俳句評論  一二三壯治   2007・12

「浅草のバーの小窓を六(りっ)花(か)舞ふ」 
木下ひでを代表の句が、俳誌『白桃』 (伊藤通明氏主宰)の9月号に続き、12月
号の〈十二月のうた〉に久保田万太郎、中村草田男、安住敦らの句と並んで掲
載されました。選者(抽)は津森延世氏。またまた、一時代を画した名高い俳人
たちと並び称される栄誉に、われらが"宗匠"は、いよいよご自慢のひげをさす
りながら満面の笑みを浮かべておられるとか…。

   浅草のバーの小窓を六(りっ)花(か)舞ふ

【解説】

 この句は、句集編集の過程で名句に昇華した。初めは「小雪舞ふ」という表現であった。
 だれもが感じるように、「小雪舞ふ」では平凡な印象を免れない。代表自身も一度は選から外
そうかと考えたほどで、いわば当落線上の句だった。
 編集を担当した筆者が「では、代わりの句を…」と電話で求めると、代表には珍しく躊躇(ちゅ
うちょ)する気配が感じられ、やがて「〈六花舞ふ〉に直したらどうだろう」との返事。印象はにわ
かに一変した。
 自慢するわけではないが、結果として、この句を取ったのは筆者だけになった。津森延世氏
が『白桃』誌に掲載してくださり、大いに面目を施している。以上、他人には聞くに堪えない吹聴
話。
      *           *           *
 「浅草」には、「六花」こそふさわしい。まるで呼応し合うように。「小雪舞ふ」では、古い浅草の
イメージを超えられない。冬でも猥雑に、また多彩に華やいでいるのが現代の浅草。降る雪で
さえも、人々の熱気や街の灯に照らされて花と見紛うばかりである。
 句そのものも、「六花」の二文字で魂が入った。句に描かれていない六区の賑わい、バーで
交わされる会話、車の行き交う往還などが一斉にさざめき立ち、無音の静止画が音声のある
動画に変わったような風情である。
 俳句における言葉選びの大切さを、直に教えられたような思いが強い。



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