2017年7月上野吟行
〈上野公園蓮から端まで=r吟行記 
平成二十九年七月十二日(水) 一二三壯治 記 

■不忍池をめぐりて

 蓮の咲きようは、朝にめざめて昼に閉じる。昼を何時と考えるかによるが、ひとまず午前十
一時、東京随一の蓮の名所・上野不忍池に集合とした。毎回、午後一時にスタートする当会の
吟行にしては早い。

  咲く蓮を見つつ欠伸をかみ殺す ひでを

 ひでを宗匠は蓮が開くときの音を聴こうと、「早朝から来ていた」とのこと。そこまでの熱意が
なく、漫然と十一時に来た他のメンバーは、ちょっと悔しい思いをしたかもしれない。ただ宗匠
も音は聴けず、私たちも正午くらいまでは開花してくれる律儀者≠フ蓮を遠近に眺め、かつ
愛でることができた。

  蓮花の池をおとなふ朝かな かおる

 かおるさんは、蓮を撮り続ける女性写真家の写真集『蓮花』を編集した経験がある。どうも蓮
には、仏教ゆかりの花という以上に不思議な魅力があるようだ。特に女性には〈蓮好き〉が多
いと感じる。蓮にも女性にも疎いので、その辺の事情はよくわからないが…。ある蓮好きの女
性は「花はあんなに綺麗なのに泥に咲くというのもあるけれど、枯れた姿の凄惨さとギャップが
あり過ぎて妙に心を奪われるのよ」と語っていた。

  蓮花にはとまらぬ蝶の行方かな ゆきこ

  散り蓮華ひろふこの手も御手となり ゆきこ

 ゆきこさんは、この吟行に参加しておられない。京都に居を移しておいでだが、上野で「蓮
見」と聞いて、わざわざ投句をしてくださった。やはり蓮好きな女性の例に漏れないようだ。ゆき
こさんに吟詠地を問い合わせもせず、山科の勧修寺あたりか、あるいは別の知られざる名所
かと勝手な想像をめぐらした。知らないままでいるのも、また楽しい。
 蓮の花は、三日しか咲かない。それでも広大な不忍池ともなれば、無数と言っていいほどに
咲いている。閉じた花もまた、陰陽のコントラストを生むのに欠かせない。みな鷹揚に揺れて、
豪華と呼ぶにふさわしい。
 弁天堂の方へ向かう。参道には食べ物の出店が連なり、醤油の焦げる刺激的な臭いが漂
う。人は代わっても、江戸時代から変わらぬ光景だろう。元々弁天堂(中島弁財天)は、琵琶
湖北端の竹生島を模して造られた。さらに言えば台上の東叡山寛永寺も東の比叡山という意
味で、京都や近江の景観と機能を模倣したものだ。方角的には、どちらも王城から見て鬼門
(北東)に当たる。
 御堂に登って拝礼し、欄干からも蓮を眺めた。蓮の葉を渡る上風が心地よい。弁天様が大き
な団扇を振るっているかと見紛うばかり。池の水が揺れている。鯉の口が数え切れないほどう
ごめいていた。

  炎昼や生ある物の口ぱくぱく 壯治

 蓮に見惚れて天候を忘れがちだが、気温は三〇度を超えていて暑い。葉風がひとしお涼しさ
を感じさせる。
 参道を戻って左に折れると、動物公園の新しい入口が出来ていた。以前は、サルの動物列
車が走っていたが、それは見えなかった。少し来ない間に公園も様変わりする。変わるものと
変わらないもの、その調和がいい。

  パンダ生まれ上野わきたつ夏きたる 風天子

 パンダの一番人気は変わらないらしい。ましてや国内で出産に成功したのだから、めでたさ
も加わって夏休みの目玉になるだろう。赤ちゃんパンダは後日、香香(シャンシャン)と名づけ
られた。
 動物公園は、正式名に恩賜と冠せられている。そんなことはあまり知られずに親しまれてい
るのがいい。江戸城無血開城の立役者になった勝海舟は、江戸という町を「芝辺の貧民街か
らやくざの分布まで知りぬいて」いたという(司馬遼太郎著『胡蝶の夢』)。それを思えば、私は
上野公園からその界隈についてさえ、ほとんど何も知らないのではないか。
 明治新政府が樹立される前、上野が江戸で最後の激戦地だったことは知っている。今の上
野公園の明るさとは、全く無縁な話のように感じられる。

■日盛りを避けて

 上野山下に出た。西郷像の下辺りにある西郷会館ビル地下一階のビアホール〈銀座ライオ
ン〉に入る。サッポロビールの経営だが、他にも様々な銘柄や種類を置いている。以前、恵比
寿駅前のビアホールに入った折にビールの種類を縷々述べたので繰り返さないが、黒ビール
やラガー、中でも一般的なピルスナーなどが揃う。近ごろ、ビールの薄さが気に入らないので
発酵臭の残るスタウトタイプを頼んだ。一口目は、ほのかに味噌のような味がする。つまみは
ソーセージ、チーズ、ポテトなど定番のもの。杯が進めば話も弾み、飲食の話から健康談義に
移る。
 宗匠が「カレーはいろいろな香辛料に薬効があって、健康に良いらしいな」と口火を切る。「な
るほど、漢方の薬種も幾つか入っている」「夏は食欲がなくても、カレーなら食べられます」など
と意見百出。最後は「だけど宗匠、それ以上元気になって何をするつもりですか?」と、筆者が
落し噺にしてしまう。

  昼ビール長寿の国を嘉すなり 壯治

 しかし、健康のためには飲み過ぎないように気をつける。吟行はまだ続く。午後一時に西郷
像前で、遅れてご参加の関建一郎さんと待ち合わせる予定だ。外に出ると、幸運にも上野山
への石段を上る建一郎さんの後姿があった。声を掛けてすぐに合流となった。こうタイミングが
良いと、それだけで祝福された会だと思えてくる。

  日盛りの日本をにらむ西郷像 かおる

 西郷さんは、勝海舟と並ぶ無血開城のもう一人の立役者である。その巨眼は、皇居(旧江戸
城)の方を見ているのか。あるいは、末には賊軍の汚名を着せられて自決したから、皇居に顔
向けできないか。じっくり眺めると、青銅が風雨のせいで白っぽく変色し、目の辺りには憂いが
漂っているように見えた。来年のNHK大河ドラマでは、どんな『西郷(せご)どん』に描かれるの
だろう。
 猛暑の中、敗兵のような足どりで国立西洋美術館の方に向かって歩く。歩くというより、炎暑
に炒られて漂っている感がある。春には盛大な花見の名所となる桜の木陰々々をたどって進
むと、文化会館の手前に〈正岡子規記念球場〉の看板が見えた。俳人の名折れかもしれない
が、こんな所にこんなものがあるとは知らなかった。

  炎天下子規球場に人気(ひとけ)なし 風天子

 子規と野球について、今さら説明する必要もないだろう。「野球」という名称は、自分の本名・
昇(のぼる=升とも書く)から「野ボール」と洒落れて考案した。筆者もご多分に漏れず野球好
きなオヤジの一人で、子規の名訳には常々多大な恩恵を感じている。たとえば「塁」は、塁間と
か帰塁などと言葉を省略して用いるのに便利だし、安打、三振、飛球なども優れて詩情があ
り、最多安打、奪三振、大飛球などと応用することによって野球ジャーナリズムをよほど豊かに
している。

  夏雲やキャッチャー子規の野球場 建一郎

 キャッチャー(捕手=これも子規の訳語)用のプロテクターを着けた子規の写真を見たことが
ある。子規はそもそも捕手型人間だと思える。内外野(これも)全体を見回して、投手や野手
(これらも)に適切な指示を送る。そんな風にして、俳句・短歌の改革を進めたのではないか。
「野ボール」の洒落に呼応するなら、子規は「指揮者」のようだと、また落し噺にしたくなる。
 享年三十六は、日米野球史の奇跡とも言えるイチロー選手(この時、四十三歳で現役)より
も若い。ちなみにこの球場が完成した平成十八(二〇〇六)年、イチローが牽引する日本チー
ムは第一回WBC大会で優勝している。

  どこからかオカリナの笛夏の森 ひでを

 見回すと、文化会館の裏手でオカリナを吹き鳴らす人がいた。耳に涼しさを感じながら、文化
会館のカフェ〈有〉に入る。国立西洋美術館とに挟まれた道は、JR上野駅に直結していて、強
い日射にもかかわらず人通りが多い。 

  古きを訪ね新しきを知る夏休み 風天子

 幕末に活躍した西郷さん、明治期坂の上≠めざして息せき切って生きた子規を偲びつ
つ、視界は一気に現代へ戻った。

美の殿堂を訪ねて

 文化会館のカフェには、一時間近くも居座った。その間、ひでを宗匠だけは科学博物館へ
〈深海魚展〉を見学に行かれた。こちらから携帯電話で何度も呼び出すので、「係員に睨まれ
た」と合流後にぼやいておられた。
 午後三時頃、重い腰を上げて歩き出す。まだ、猛暑の熱が路上に滞っている。緑陰の連なり
が救いだ。東京国立博物館前にあった大きな噴水の池は、歌壇を設えた大通りに変わってい
た。そこを横断する形で東京藝大の方へ向かう。
 藝大美術館では、創立130周年を記念して〈藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた!〉
と銘打つ作品展が開催されている。

  パンドラの箱開くとふ上野夏 建一郎

 東京藝術大学は美術科と音楽科に分かれているが、美術科の前身・東京美術学校はフェノ
ロサ、岡倉天心、狩野芳崖らが中心となって設立された。その中で芳崖が描いた『慈母観音』
を始め、ゆかりの画家や卒業生たちの卒業制作が今回の展示の目玉となっている。何が飛び
出すかわからないところから〈パンドラの箱〉としたのだろう。

  犬の首輪きちりと引きて浴衣像 ひでを

 宗匠は、小倉遊亀作の『径(こみち)』を題材に詠まれた。夏姿の母子が、犬を連れて散歩す
る絵である。卒業後に大家となる画家・彫刻家の若い情熱や才能の輝きを感じ取るのが楽し
い。

  砂浜の夏の乙女のわれなりき かおる

 かおるさんは、高山辰雄作の『砂丘』に心を揺さぶられたようだ。『聖家族』などで著名な画家
の若くギラギラした野心作と見えた。少し歪んだような構図的違和感を、大柄な肢体を砂浜に
投げ出した乙女が一身で救い、画布からはみ出て鑑賞者の心まで支配するかのようだ。乙女
の眼差しが強く人を射すくめる。俳句でもよく言う〈余韻・余情〉とはこういうものかと、頓悟させ
られた。

  西日射る昔のひとの面構へ 壯治

 和田英作『渡頭の夕暮』、湯浅一郎『漁夫晩帰』といった絵画では、明治大正のころの名も無
き人々の表情がよく捉えられている。ミレーの『晩鐘』の影響などもあるのか、一日の労働を終
えた人々の安堵感や幸福感が溢れる。毎日を精一杯働き、善良な心を養う人々の「面構へ」
には一種の神聖さが匂うようだ。
 平櫛田中の大作彫刻『大谷米太郎像』には、気骨ある経済人が今生きてそこに居るような迫
力を感じた。大谷はホテルニューオータニの創業者である。
 美術は結局「肖像」にとどめを刺すのか、藝大の卒業制作でも自画像が課題になっている。
千住博、福田美蘭、村上隆、山口晃など今最も脂の乗った作家の自画像には、ユニークな技
法と自己の内面への鋭い斬り込みが感じられた。中でも山口氏の黒い衣冠束帯をまとった鎌
倉武士風の自画像は、パロディ趣味に満ちた氏の後年の作風を暗示するようだった。
 美術館を出ると、こちらも〈パンドラの箱〉から放り出された気分になる。日はやや西に傾い
て、メンバーの「面構へ」にも荘厳さを添える。タクシーを拾い、再び池之端に戻る。〈上野不忍
池パークサイドホテル〉の中華料理店で句会を催す計画である。
 ホテルのロビーで午後五時の開店を待ち、地下一階の〈蓮風(りんふう)〉に入る。料理は店員
の薦める「鮎の唐揚げトウチ餡かけ」のほか、「前菜三種」「えび餃子」「シュウマイ」「ちんげん
菜の蟹餡かけ」に、締めとして二種の「餡かけ焼きそば」と次々に平らげた。酒はビールに紹
興酒。これぞ、セミの会である。

  蓮めぐりあれやこれやと句座なごむ 建一郎

 宗匠が閉会を告げるように、Call it a night(コール・イット・ア・ナイト)≠ニ言われた。「今夜
のパーティーはこれでお開きに」という意味らしい。盛夏の半日だったが、満ち足りた「面構へ」
で赤い灯青い灯の巷に出た。

    





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