2017年3月京都特別吟行記

〈京都特別吟行〉の記 

  平成二十九年三月二十八日(火)・二十九日(水)  一二三壯治 記

参加者/ 木下ひでを  萩原かおる  あらかわゆきこ  田中丸木の葉 
  吉村桂    一二三壯治    ゲスト・村松あいの(名古屋)  


 会友のあらかわゆきこさんが、二年ほどの予定で京都にお暮らしです。これ幸いと、ちょうど
京都滞在中の筆者が一泊二日の吟行計画を提案し、さまざまな手はずを調えていただいた末
に実施の運びとなりました。
 ひでを宗匠も初めは、「もう京都はいい。若い人だけで行って来なさい」と気乗り薄のようでし
たが、ゆきこさんに宿泊施設、木の葉さんに新幹線乗車券の予約をしていただき、「そこまで
準備をしてくれるなら…」とついにはご賛同。参加メンバーも総勢七名となり、桜の開花が近い
早春の古都を堪能できました。まことに簡略ながら、ここに二日間の記録を書き留めたいと思
います。

■東福寺

 東福寺は、京都五山(臨済宗の禅寺)の一つ。特に紅葉の名所として知られ、通天橋から見
下ろす洗玉澗の紅一色の景観は炎に灼かれるかと思えるほどです。観光客の少ないこの季
節は、禅寺本来の閑寂さに満ちていて、悟りに至らずとも深遠なもの思いに耽ることができま
す。

      春寒し敗荷野晒し抱くごと     ひでを

      塀ぎはのつくしも愛し東福寺    かおる

      わがために泣く人ありや涅槃像  壯治

〈八相の庭〉
 東福寺の大方丈にあるのが「八相の庭」。八相とは、「蓬?」 「方丈」 「瀛洲(えいしゆう)」「壷梁
(こりよう)」 「八海」 「五山」 「井田市松」 「北斗七星」を指し、釈迦の生涯を八つの相に集約
して描いたと言われます。著名な作庭家・重森三玲(みれい)の手による変化に富んだ四つの庭
が、心に調和と生動をもたらしてくれます。

      市松模様しるせる苔や山笑ふ    かおる

      寂として声ひそかなり春の庭     壯治

     ふかふかと薄日ためたる芽苔かな   あいの

      春風や渡り廊下を葉のまよふ     壯治

 東福寺を出て泉涌寺へ。東山三十六峰の南端が間近に迫っています。寺々にゆかりの家々
か、小径に沿って半ば隠棲のような暮らしを代々続けてきたような佇まいです。タイムスリップ
して、古の杣人にでもなった気分に誘われます。

      馬酔木咲く空家の札の古びをり     桂

      花桃や空は群青ほしいまま       壯治

■泉涌寺

 泉涌寺は、月輪山の麓にあります。鎌倉時代、月輪大師によって開山されたと言われます。
以来、天皇家の帰依を得て、歴代天皇の山陵も多くあることから、京人には「御寺(みてら)」の
名で親しまれてきました。なだらかな寺地に仏殿、舎利殿、御座所、霊明殿、楊貴妃観音堂な
どが並び、大伽藍を形成しています。泉涌寺の名からも察せられるように、かつては豊かな泉
が涌いた跡を随所に見ることができます。
 山門を入る前に、ゆきこさんご持参の美味しい焙じ茶と桜餅を頂きました。

    馬酔木咲く門跡寺の寒山拾得図    ひでを
 
    大寺や如月の背の山笑ふ      ゆきこ

    美人祈願てふ札のあり春の寺    かおる

     山門を額縁にして初ざくら     壯治

     春愁や名水の茶と秋(とき)を待つ  ゆきこ

    東風吹けど逢ひたい人と逢へぬまま   桂

     桜餅さらに焙じ茶うまきかな    壯治

     春の日も粛々侍る御霊かな  あいの

      楊貴妃の笑みも拙し山笑ふ  壯治

〈来迎院〉
 泉涌寺の別当(子院)として建てられた来迎院。戦国時代以降、信長、秀吉両雄の寄進を受
けて栄えた歴史があります。赤穂浪士の大石内蔵助も、山科に身を潜めた際、当院の檀家に
なったと言われます。本堂、荒神堂のほかに弘法大師銅像と独鈷(とつこ)水、茶室含翠軒、心
字池などが、まるで歴史の表舞台から忘れ去られたように佇み、また揺らいでいます。

   人気なき庵の春の小ぶりなる   ゆきこ

   春眠や寺にごろりと内蔵助     桂

   春浅き独鈷の水の解けゐて    ゆきこ

   あめんぼう流さるるまま心(しん)の池   桂

   熊笹の小さく波打つ池の面    木の葉

■新熊野神社

 新熊野(いまくまの)神社へ向かうと、黒雲が沸き起こり小雨がぱらぱらと落ちてきました。これ
を何か神仏の障りと思うのは悲観論。楽観論者は必ず「慈雨」と考えます。「椥町」という住所
表示が読めずに行くと、新熊野神社縁起の立札で「なぎ」とわかりました。椥(梛とも書く)の木
が御神木として祀られ、別名「梛の宮」とも言うのだそうです。イザナギの神を思い起こさせま
すが、ナギは「和気」と同義になります。熊野信仰を京で新たなものとし、古熊野に対して「今」
の意味を込めて社名にしたとか。後白河法皇(上皇)の創建と言われます。上皇手植えの樟の
木は、「影向の大樟」として大切にされています。
 かつて「今熊野猿楽」が興行され、それを以て猿楽(能楽)発祥の地とされますが真偽は定か
ならず。宗匠は「セミの会も能楽愛好家の塚田君(俳号凡天・故人)の肝煎りで仲間が増え、吟
行も盛んになった」と、因縁を懐かしんでおられる様子でした。その他、熊野十二所権現や八
咫(やた)烏など、熊野信仰の一揃いを境内に見ることができます。

   巨楠の芽の早緑や梛(なぎ)の宮      かおる

   新熊野並びて実る椥(なぎ)の雌木(めぎ)    

   大楠や世阿弥観阿弥舞ひ初むる    ゆきこ

   新熊野社の梛に実のありて     木の葉

   うぐひすの声馴らしなり神の宮   あいの

   雲間より日の差す時の馬酔木かな    ゆきこ

   きこきこと耳をすませば芽吹きの音   壯治

■そば茶寮〈澤正〉

 句会場は、ゆきこさんご推奨のそば茶寮〈澤正〉にて。銘菓「そばぼうろ」で親しまれる菓子舗
が、東山の麓にそば会席料理店としてオープン。雨雲が去って金色の西日射す洋間でコース
料理を頂きました。そば粉を用いたさまざまなメニュー(そばパンカナッペ、そば衣の寄せ揚
げ、そば餡、そばの苺餅など)が、いわゆる女子好みの一口サイズに仕上げられています。竹
林に暮れなずむ春宵一刻値千金≠、幽けき小渓谷の中に見出すことができました。

   竹林の七賢の酔ふ春夕日     ひでを

   七賢の徳利の酒の春都      木の葉

   春落暉ステンドグラスの京館(やかた)   かおる

   春落日ゆがみ硝子に跳ねてをり   木の葉

   春の宵待ちわびてをり生ビール   桂

   竹林や夕陽沁み入る京の里     あいの

   花桃のつぼみはかたくそば茶寮   木の葉

   誰そ彼や輝き冴える七つ星    あいの

   竹秋の朱に暮れなづむ厠窓     壯治

   京に花なく罰杯の幹事団      ひでを

■京都御所〈仙洞御所〉

 翌二十九日は、早朝九時から京都御所内の仙洞御所を拝観。ガイドの案内に導かれて、一
時間ほど粛々と庭園を歩きます。仙洞御所は江戸時代の初め、後水尾上皇が造営、以後
代々上皇が住まいされる御所となりました。お住まいに当たる御常(おつね)御殿の南東側は
北池と南池を望む大庭園で、池を巡って小径が続きます。ビューポイントと思しき地点には、か
つて幾つもの建物がありましたが、今は近衛家献上の「又新亭(ゆうしんてい)」と茶室の「醒花
亭」が残るのみ。紀貫之邸跡の「阿古瀬淵」、鷺の森、紅葉山などに、昔日の雅な宴や歌人た
ちの交流ぶりをしのぶことができます。

   頼政の名をも上げたるほととぎす     ひでを

   かしこくも御所の内なり青き踏む      壯治

   四つ目垣古くはあれど若緑       壯治

 その後、旧近衛亭跡のしだれ桜を眺め、昼食を挟んで洛北鷹峯(たかがみね)に移動。刀の研
ぎ師で鑑定家としても名高い本阿弥光悦旧居跡の「光悦寺」、円窓・角窓を設えた禅寺「源光
庵」を訪ねました。二日間で総歩数は三万歩にも達し、春の日と京都特有の神気霊気に激励
されたかと思えるほど。坂道をだらだら下り史蹟「御土居」前の喫茶店で休憩した後、解散とな
りました。刻は三時過ぎ。
 やはり京都は見どころが多く、それだけ句材も豊富。できれば、ゆきこさんが滞在中にもう一
度くらいは吟行をしたいと思ったことでございました。








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