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〈旧古河庭園・王子名所〉吟行記
平成二十八年十一月九日(水)一二三壯治 記
■トランプの日〈旧古河庭園にて〉
旧聞に属す話なので、先に結果を伝えるのもご容赦願いたい。この日はアメリカ大領選挙の
当日で、時間が経つにつれて大勢が判明しつつあった。夕方、王子駅前のビルの電光ニュー ステロップに「トランプ氏、当選確実」の報が出て、イギリスのEU離脱に続く大番狂わせ≠ェ 決定的となった。
晴天のトランプの日の寒さかな ひでを
ひでを宗匠は、午後1時にJR京浜東北線上中里駅に集合した時から、遠いアメリカから刻
一刻と届く開票速報を気にしていた。
「今日は吟行どころじゃないな。トランプが勝つかもしれないよ」と、木枯し一号の報など雲散霧
消するほどの事態を予想した。
とは言え、吟行は催す。我々は政治団体ではなく、俳句仲間なのだから。冬日と木枯らしの
せめぎ合いを身に受け止めつつ、参加者五名は旧古河庭園に向かった。
吟行や木枯らし一号吹きたる日 建一郎
都立旧古河庭園は、古河財閥の古河虎之介邸を保存し、庭園を拡張して現在の形になっ
た。邸の竣工には、旧岩崎邸や鹿鳴館、ニコライ堂などを設計したイギリス人建築家ジョサイ ア・コンドルが関わっている。当時、欧米流のステータスを求める階層は、こぞってコンドル詣 でをしたらしい。現在は逆に、日本人建築家の安藤忠雄氏に世界中のセレブから依頼が集中 しているそうな。これもトランプ氏の嫌うグローバリゼーション≠フ一例だろう。
窓かたく閉ざす洋館冬薔薇 壯治
邸の一階は軽食レストランを営業するが、二階は蔀で窓が閉ざされていた。庭は、多種多様
な薔薇で埋め尽くされている。薔薇には、一叢ごとに優美な名が冠せられている。「プリンセス ダイアナ」「プリンセスミチコ」もある。
冬薔薇プリンセスミチコの毅然たる ありふみ
二層、三層と段々畑のように植わる冬薔薇を眺めつつ下ると、最下層部は池をめぐる雑木
林のような景色。楓や桜などの紅葉が縮れて風にふるえていた。
あでやかに池に映して錆紅葉 ゆきこ
ゆきこさんは2年ほどの予定で京都に暮らしているが、この吟行に合わせて戻られた。かの
地の紅葉は、これから見頃を迎える。そもそも乾燥がちな東京で美しい紅葉を見ることは難し い。むしろ銀杏の黄葉が映える。
我が影に赤とんぼの影入りにけり ありふみ
女性が植物を愛すれば、男性は昆虫を好むもののようだ。なればこそ虫好きの女性は、
「虫愛づる姫」(『堤中納言物語』所収)のような奇談として語られたのだろう。仏教では、動植 物共に有仏性≠ニされる。まず植物ある所に虫が生じ、それを餌に求めて鳥が集まり、池に 魚も棲む。さらに動物、人類も集うという世界相だ。釈迦の涅槃図は、それら有情無情の全生 物に見守られている。
枯蟷螂触れればジャブを返しけり 建一郎
蟷螂は植物を擬するままに枯れて、往生に及ぶらしい。おおよそ日本庭園は、極楽浄土を模
して設計される。禅僧で数多くの庭を設計した夢窓疎石の思想を反映しているらしい。この庭 園の面白さは、上層部が洋式、下層部が和式という折衷型で、どこか東西の融合と調和を願 ったように感じられる点だ。そのお陰でもなかろうが、アメリカによる東京大空襲の被害を免れ た。
鎖国の日本を開かせたのはアメリカを始め、欧米列強の圧力だった。そのパンドラの箱を開
いた当事国の大統領が、逆に鎖国的政策(貿易保護主義)≠ニいう殻に閉じこもることが果 たしてできるのだろうか。
■神の留守〈飛鳥山公園から王子神社〉
旧古河庭園を出て、桜の名所として知られる王子・飛鳥山公園に向かう。地下鉄南北線で一
駅だが、乗り降りや駅からの移動などの不便を考え、そのまま本郷通り(途中で明治通りに合 流)を徒歩で北上した。
冬の園都電に乗りて来しことも 建一郎
建一郎さんは、ここから程近い北区西ケ原で生を享け、幼少期の5年間を過ごされた。古い
アルバムを開くように、思い出が眼前に蘇ってくるのだろう。
日光御成道の一里塚が、榎の植え込みと共に残っていた。道路の中央部は、こんもりと中央
分離帯のようになって車を左右に分けている。
「ああ、ここは昔のままだ。懐かしいなあ、いろいろ思い出すよ」と、植え込みの回りをぐるりと
眺めたりする。一里塚の立札を読むと、日本橋から二里目で渋沢栄一氏を中心とする地元住 民の運動で保存が決まったらしい。都電最盛期には、ここも都電のルートで西ヶ原二丁目と一 里塚の駅が続き王子へ下った。ガタンゴトンと耳奥に音が聴こえてきそうだ。
10分ほどで飛鳥山公園に着く。幼児向けの遊園が整備され、乳母車を引く若い母と子が一
組、二組と歩いている。公園は、わずかに葉を残す桜古木に覆われた土手と台地にしか見え ない。植木職人の影が動いていた。
足休めと寒さしのぎを兼ねて、園内の飛鳥山博物館3階〈カフェ・ヴァーチュ〉でコーヒーを飲
むことにした。
「トランプが大統領になったら、大変なことになる」
ひでを宗匠の言葉で、またアメリカの話になった。民主主義体制を共有する同盟国の国民と
しては対岸の火事≠ナはない。トランプ候補は選挙キャンペーン中、さまざまな暴言や仮想 敵への口撃で物議を醸しつづけて来た。日本に関係のある事柄だけでも列挙すると…
「米軍の駐留費をもっと負担しろ」「TPPから離脱する」「日本車にもっと高い関税をかける」「日
本は原爆を持つべきだ」エトセトラ、エトセトラ。
それらの言と実際の行が一致したら、それこそ世界の秩序が大きく乱れるだろう。が、いささ
か平和ボケしている筆者は、そこまで悲観論ではない。
「優秀な側近が付いていれば、そうバカなことはしないと思いますけど…。副大統領候補のペ
ンスという人は、トランプ氏より立派な人物に見えましたよ」
「それを期待するしかないな。しかし、オバマ政権より戦争の危険が高まるのは間違いない」
それから2、30分、木枯らしと冬日のせめぎ合う外気のように、これから降るあめりか≠
案じ合った。
トランプの勝負気にしつ冬吟行 ありふみ
博物館の展示はあまり見なかった。かつて近くに古墳があったらしく、土器や矢尻などが展
示してあった。隣接する〈紙の博物館〉と〈渋沢記念館〉が園の三大博物館を構成する。
紙の博物館前を通るが、中には入らなかった。ここも、渋沢翁ゆかりの王子製紙発祥の地と
伝えている。入口の前には、パピルスの原料カミガヤツリの鉢植えが置いてあった。ここで 「紙」について考えてみる。
洛陽の紙価を高める≠フ言葉があるように、紙は文化や社会の進歩と直結している。我
らセミの会のメンバーも、ひでを宗匠を筆頭にいわゆる紙媒体の中で生きてきた。新聞・雑誌 がマスコミの主流であり、情報の信頼性を担保していた。しかし、インターネットの急速な普及 は、メディアの勢力図を大きく変え、相対的に「紙」の力を減じさせている。
トランプ氏は、明らかに紙(特に新聞)を中心とした既存のマスメディアと敵対し、ツイッターな
ど個人的なツールで過激なメッセージを発信し続ける。彼の勝利は、既存のマスメディアの敗 北をも意味するように思えた。
返り花うき世離るること難し 壯治
トランプ氏が今後、妄言や政策の失敗などをどれほど撤回、謝罪することになるかはわから
ないが、筆者は先に陳謝しておくことがある。王子周辺は何度も足を運び、よく知っているつも りでいた。その思い込みが強過ぎて、〈王子稲荷〉へ案内するつもりが、〈王子神社〉へ導いて しまった。
ゆきこさんが、スマホで稲荷社を検索してくださり、事なきを得た。ここでも、紙で得た知識や
記憶がネット情報の前に敗北した。多謝。
■きつねの穴〈王子稲荷から石神井川〉
落語に『王子の狐』という酷い咄がある。あらすじは…ある職人が王子稲荷に参拝する途
次、雌狐が昼寝するのを見かけたのが発端。「これは…」と思い、逆に騙すことを考えた。「ね えさん、ねえさん」と呼んで人間の女に化けさせ、「一緒にお酒でも…」と料理屋に誘ったな。さ んざ飲み食いしたが、慣れない酒に酔いつぶれたのは狐のねえさんの方。職人はそれを置き 去りにしたまま、「勘定は連れが…」と言い置いて土産まで頂いてドロン。後に残った狐は化け の皮がはがれて、店の連中からこっぴどく叩かれ蹴られ這々の体で逃げた。職人の方は、参 拝をすませて意気揚々と帰宅。黙っていればいいものを、つい吹聴する。それを聞きとがめた 年寄りが「狐は稲荷の使いだ。お前さん、きっと罰が当たるよ。餅でも持って詫びに行きな」と 諭したな。
さて、どういうことに…。おあとは寄席でどうぞ。
迷ひ道狐の穴のありどころ 壯治
王子神社から迷いながらもなんとか〈王子稲荷神社〉にたどり着いた。これは職人ではなく、
我らセミの会の面々。境内は、王子駅を通過するJRの線路に向かってなだらかに下る坂のふ もとにある。崖側には神殿や「狐の穴」などが並ぶが、神さびた≠ニいうよりは俗化の荒波に 浸食されつつ細々と露命をつないでいるという風情だ。崖上の中学校を造る際、行政に相当な 譲歩を強いられて土地を切り売りした気配も漂う。
神の留守王子稲荷の小犬連れ 建一郎
迷信かもしれないが、稲荷社に犬を入れるのは禁忌(タブー)のはずである。それすらも唯々
諾々と容認している社人も、やはり時代の流れに無力と見える。
稲荷社はそもそも農事の神を祀り、この地の農民も近くに現れる狐火で稲作の豊凶を占った
とされる。歌川広重の『江戸名所百景』には、「大晦日の狐火」が描かれている。それに呼応す る〈大晦日の狐の行列〉は、狐の面を付けた裃袴姿の人々が提灯行列をする行事で現在も続 く。かつて東国三十三国の稲荷総司であったという事実が辛うじて伝わる。
御きつねの笑みに送らる秋の暮 ゆきこ
伊勢屋稲荷に犬の糞≠ニ、江戸に多いものを「いの頭文字」の語呂合わせで並べた稲荷
社のうち、ここ王子稲荷社がダントツで人気ナンバーワンだった事実もある。今もパワースポッ トと称して諸方の神社を巡る〈神社女子〉とやらが、神通力に頼りたくて三々五々訪れるらし い。
秋の夕暮れは早く、いわゆる逢魔(おうま)が時も近い。念入りに柏手を打って拝した。再び王
子駅の方を指して戻る。ひでを宗匠のご要望で、卵焼きで有名な〈扇屋〉を目指す。
筆者の記憶では、落語『王子の狐』で職人が雌狐を誘って飲食したのが〈扇屋〉だったよう
な。ほんの十年ほど前までは堂々とした二階建て和風建築の店構えだったのが、全く様変わり していた。店名は変わり、看板もない。
「ありゃー、無くなったようですね」と、下調べしなかった不手際をまた詫びようかと立ち尽くし
た。改めてもう一度見回す。すると、小さな屋台風の出店に卵焼きのパックが積んであるのを 見つけた。紺色の暖簾には、紛うことなき〈扇屋〉の白文字。眼をこすって見た。どうやら騙され てはいないようだ。
ひでを宗匠とゆきこさんが、店員を呼び鈴で呼んで買い求める。三、四十代くらいの男の店
員が、パンフレットを渡しながら店の現況を話す。ここも時代の波に…。
狐灯といふ呑み屋のありて王子かな ひでを
句会場は〈狐灯〉ではなく、区の施設〈北とぴあ〉裏手の〈塩梅(あんばい)〉を予約した。開店
の5時前に着いたが、「寒いので…」と強引に入れてもらい、席に着いた。ビール、熱燗でお祓 い。厨房が調ってからは、若鶏の塩焼きとカキフライ、メンチカツなど揚げ物を多く頂いた。揚 げ物好きなお狐様への供養でもある。
トランプの日は、かく暮れた。狐の鳴き声に重ねて言えば…
「今日という日は、二度と来ん、こん…」か。
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