〈東久留米市南沢遊水地〉吟行記     

            平成二十八年一月十三日(水)一二三 壯治  
 
■年の初めの試しとて

〈関八州巡り〉と銘打って始めた当会の吟行も、このところ東京都内が増えている。単に遠出が億劫になりつつあるからだけでもない。未踏の名所や新たに開発された街など、訪ねずば東京人の名折れ≠ニいう意識に動かされている面もなくはない。
 初吟行とて参加者は7名。そのうち純粋に東京生まれ東京育ちは、誰々ぞ。世田谷育ちのひでを宗匠も、お生まれは旧満州の新京である。
 
   枯葉踏む音もゆかしや初吟行    ゆきこ
 
 ゆきこさんは、神戸で生まれて東京で育ったと聞く。それでもなお、今回の吟行地は知らなかったらしく「東久留米に来たのも初めてじゃないかしら」と、案外〈灯台下暗し〉のことわざを地でいく。
 その場所こそ東久留米市南沢にある湧水群である。西武池袋線の快速で池袋から約20分の東久留米駅に降り立てば、訪問者も多いと見えてロータリーに大きなルート案内図が見える。「先に行っています」と連絡の入った中村三酉さん、優李さん夫妻を除く5名が、ゆるゆると〈まろにえ富士見通り〉を歩き出した。
 落合川、毘沙門橋を目標に進むも、なお確信が持てず地元の人に聞いたりする。それもまた、何か新たな邂逅や見聞を求める心ゆえか。南沢通りから毘沙門橋を渡ると氷川神社の参道で、夫妻の待つ社は近い。すぐ脇に野菜を売る家があった。
 
   道の端の無人の店に蕪求む    木の葉
 
 木の葉さんは北陸加賀の生まれ。モンゴルを愛するだけあって、自然な物を好まれる。店には、蕪のほかに小松菜、ほうれん草、大根などが豊富にあった。女性陣はそれぞれ冬野菜を買い込んだ。
 
   小春日を踏みつつ氷川神社道    壯治
 
 筆者(壯治)は生まれも育ちも東北宮城。東京には学生時代から40年以上暮らして、なんとか地図を概ね頭に描けるようになった。それでも南沢湧水群の情報は初耳だった。
 ほんの1、2分で氷川神社に着く。中村夫妻が悠然と手を振っていた。
 
   楠の木に注連縄のあり初祝詞     優李
 
 夫妻は練馬区在住。ご主人の三酉氏が純東京人である。優李さんは、生まれこそ東京の東上野だが、お父上の仕事の都合で関東地方を転々とする幼少期だったとのこと。
 
   参道を降りる二人のマスクして     かおる
 
 かおるさんも生粋の東京人。三酉さんとは杉並区の小中学校が隣接するほど近かったという。ご本人たちは意識していないだろうが、筆者のようなあらえびす≠ゥら見ると、やはり立居振舞や物言い、心向けなどに都会育ちらしいエレガンスがにじみ出ている。そんな東京人たちをしても、湧水地群の存在には耳目が及ばなかったようだ。
 氷川神社は素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祭る。全国に同名の神社が200社以上あると言われるが、さいたま市大宮の氷川神社を一宮として、荒川と多摩川に囲まれた武蔵(むさし)国(のくに)だけに約97パーセントが集中する。出雲(いずも)国(のくに)の簸川(ひかわ)(斐伊川)の名に由来し、ここに移り住んだ出雲族が南沢の落合川を簸川に見立てたとされる。スサノオは湧水の守護神でもある。
 記紀によると、スサノオは国生みの神イザナギ・イザナミの三貴子(みはしらのうずみこ)の一神だが、荒ぶる所業ゆえに高天原を追放された。その後、出雲の地で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した勲功から、国つ神(出雲神)の娘櫛名田比売(くしなだひめ)と婚姻の運びとなる。その折に詠んだ〈八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣造るその八重垣を〉が日本最古の歌とされ、スサノオは和歌の創始者にも祭られる。俳句を嗜む者にとっては、遠祖と呼ぶべきかもしれない。
 落合川の源流の一つが南沢湧水群である。鳥居本に掛かる宮前橋の手前は、こんもりとした雑木林。落葉を踏んで奥へ進むと、相撲の土俵より一回り小さな円形の池がある。ゆらゆら水面が揺れて、水の湧き出ているのがわかる。
 
   スサノオを鎮めて温き寒の水      ひでを   
 
 湧水に手を入れて最初に「温き」と確かめたのは、ひでを宗匠だった。他のメンバーは、一見しただけで別の場所に移ろうとしていた。宗匠も一度は宮前橋の方へ帰り掛けたのだが、「ああ、忘れ物をした」と謎めいたセリフを残して再び池に向かった。
「何を忘れたんですか」と戻ってきた宗匠に問うと、「水に手を入れてみるのを、さ」との返答。これには一同「おお、そうだ」「わたしも…」と口々に言い、先を競うように殺到した。 
 
   あめんぼに水あたたかき冬の宿     三酉
 
 池には、あまりの温かさに時季外れのアメンボが這っていた。
 
■落合川の流れに沿って

 南沢湧水群は、都内最大の湧水量を誇る。林の中には円池のほかにも点々と湧水があり、幾つもの細流となって落合川に注ぐ。湿地では、厚く積もった落葉を踏むとずぶずぶ沈むような感触が楽しい。どこかで落葉焚きでもするのか、煙の匂いが漂ってきた。
 
   参道を清かに流る焚火の香     木の葉
 
 火は高きに、水は低きにゆく。火をカと読み、水をミと言い、その相反する働きを「カミ」とした説もある。また、氷川(簸川)の「ヒ」は生命の源泉を意味するとも言われる。その「ヒ」が、ととのって「ヒト」になったとか。
 
   冬の川澄み切つてゐる重さかな     三酉
 
 ぶらぶらと神社脇の裏参道を辿り、落合川の本流の方へ向かった。宮下橋を渡ると、小ぢんまりした水生公園がある。地元のボランティアが植栽した季節の花々が特徴らしい。千両や山茶花が見ごろである。
 今回の吟行地もまた、ひでを宗匠が東京新聞から得た情報に基づく。昨年末『東京どんぶらこ』という連載記事に南沢がイラスト地図入りで紹介された。その中に〈うつわ&カフェ かくしち〉が掲載されていて、「タルトが絶品」とあった。少し歩き疲れたところでもあり、その〈かくしち〉でティータイムと洒落た。
 グルメ記事ではないので詳細な説明は避けるが、評判通りのケーキとコーヒーが頂けた。女性陣は季節のフルーツタルトを2、3種類分け合って味見した。お出かけになる方のためにざっと位置を記すと、〈まろにえ富士見通り〉を直進、市立図書館のほぼ向かいになる。時おり落語会なども催すらしい。 
 
   探梅の客こそ参れカフェテラス     壯治
 
 吟行はさらに続く。落合川沿いの遊歩道を下った。毘沙門橋のそばに多聞寺が建つ。多聞天(毘沙門天)を本尊とし、本堂の鴟尾や山門の柱はなかなかの見ものらしいが、寄らずに通り過ぎた。山門前に木瓜の花が咲いていた。
 遊歩道は、水面からせいぜい高さ1メートルほどでうねうね続く。住宅から流れまでの近さが、わずか3、4メートルに迫るところもある。その親水性がまた、いかにも古代風の集落を思わせる。近ごろの神経質な災害対策や過剰な工事を考えれば、奇跡のような光景である。 
 
   貴婦人のごとき歩みや冬の鷺     かおる
 
 家々の窓や庭から、こんなにも自然豊かな借景を得られる地が都内にあったとは。鷺や鴨などの水鳥が、恐れ気もなく悠然と遊ぶ。ヒトは動植物の生活を侵さず、共生という実感の中に棲んでいる。
 
   鷺の首しなやかにして冬動く     ゆきこ
 
〈憩いの水辺〉と名づけられた草地へ降りる。犬と散歩に来る人々は、一様にほほえんでいる。身も心も気持ちよさそうだ。やや下流寄りの対岸に、青々と高い竹林が見えた。
 
   冬日負ひ竹林いよよ美しき       優李
 
 竹林公園である。傾きつつある日が射して明るい。その中にも湧水があるらしいが、行くのは諦めた。宗匠が今回のもう一つの楽しみ≠ニ推奨する場所へ移動しなければならない。
 
   冬残照せせらぎの砂かがやかす     ひでを
 
 落合川を離れて駅の方へ向かった。
 
■富士の影を慕いて

 東久留米駅は2階建てのビルで、東西両方向から利用客が集まる。その西口に〈富士見テラス〉がある。〈まろにえ富士見通り〉を正面に見据える8?10畳ほどの半円形に迫り出たスペースだ。すでにカメラを構える男性など、2、3人が一方を凝視していた。通りは5、6階建てのオフィスビルやマンションに挟まれ、幅10メートル程度。時は午後4時を回った。
 
   富士の影待つ落日のビル谷間      ゆきこ
 
 冬にしては湿気のある夕べで、西の空には薄い雲が掛かる。富士の影らしきシルエットが微かに捉えられた。
「まだ、少し早かったな」と、宗匠が言う。
「今日は雲が掛かって見えにくそうですね」と、筆者。
「いや、大丈夫だ。おれは、夕日ウォッチングの専門家だからね」と、宗匠が自信たっぷりに答えた。確かに横須賀市秋谷の宗匠の隠れ家を訪ねた折、海辺のバーから眺めた夕日は称賛に値する絶景で、それを四季折々に眺め、気象によってどう変化するのかも重々承知しておられるのだろう。「じゃあ、今のうちに句会場を探してきます」と、筆者は駅前の探索に走った。
 
 テラスの左右にはらせん階段があり、駅前ロータリーに降りられる。右側には学習塾の看板が目立ち、そこここへ学校帰りの子供たちが吸い込まれていく。
 
   塾通ふ子らかへり見ず冬の富士     三酉
 
 それから30分ばかり、富士見通り突端の中華料理店を皮切りに、西口から東口まで句会場によさそうな店を探し回った。オヤジの感覚だけでは心許ないので、目利きのゆきこさんに必ずチェックをお願いする。そのうちに、かおるさんや優李さんもそれぞれ調べてくれ、やっとのことで西口ロータリー左側の飲食店が集まるビル3階にある海鮮茶屋〈鮮乃庄〉と決めた。
 冬の日は疾く暮れかかり、辺りにはどんみりと夕闇が浸み入る。息白くして帰り、「居酒屋風の店を予約しました」と宗匠に告げた。
「ご苦労様。富士山もいい具合に姿を見せてくれたよ」と指さす方を見れば、くっきりと黒い山影が湿った空気のカーテンに映っていた。
 
   やうやうと富士あぶり出し冬落暉    壯治
 
 黒富士、赤富士、白富士に、山頂に朝日を抱く富士もある。いずれが甲とも乙とも付けがたいが、東京に幾つもある「富士見ポイント」の十指には入れてもいいかと思う。あるいは市の条例で、富士見通りを塞ぐような建設を制しているのかもしれない。南沢湧水群と言い、何となく市と市民の環境保護意識の高さが感じられた。
 
   富士の影しるく残して冬落暉      かおる
 
 赤と黒のコントラストを眼に焼き付け、忍び寄る寒風を避けながらの移動。まだ5時少し前だが、店は快く受け入れてくれた。出入口近く、小部屋のような8人掛けの席に6人が悠々座る。木の葉さんは、所用で先に帰宅した。
 
   スサノオのこころ和ますぬくめ酒     ひでを
 
 熱燗や焼酎のお湯割など、温かな酒が身に沁みわたる。「富士見冷えした」とでも言おうか。
 
   かじかみし指こすりつつチゲの鍋      優李
 
 鍋はカキ白子石焼き豆腐チゲ鍋とあさりキムチ小鍋の2種、ほかにだし巻き卵や油揚げの南蛮みそはさみ焼きなども矢継ぎ早に注文して口に運ぶ。句作の焚き付けにしては、一挙に燃料を入れ過ぎる。心身はたちどころに温まった。
 携帯の呼び出し音が鳴って、木の葉さんから追加の投句があったのは、宴もよほど闌けたころだった。
 
   求め来し里芋を剥く厨かな      木の葉
 
 どことなく、句座に連なれなかった寂しさがにじむ。他の6名はそんなことなど知らぬげに、締めのチャーハンやざるそばまで鼓腹撃壌の体で宴を閉じた。



 
 






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