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2016年7月13日 田中丸木の葉
朝からどんよりとした空模様、雨が近付いているとの天気予報。今日の吟行は中止になるの
かなと思いながら過ごしていた。だが中止連絡ではなく、幹事の一二三氏から「僕は行けませ ん、お後よろしく」とお電話をいただき、にわかに緊張しつつ吟行に出発。
目黒駅から歩く。「あれれ、庭園美術館、今日は閉館だわ」と、本日の吟行スケジュールにあ
る、後程時間を過ごす予定の庭園美術館前を通過し集合場所の港区白金台の国立科学博物 館付属『自然教育園』に向かう。入場料を支払い入口の管理棟で仲間を待つ。今日のメンバ ーは総勢5名。全員集合で、教育園の中へ。
都心とも思えぬ大木に囲まれた鬱蒼とした森の中の小路を進む。木々の間からこぼれてくる
雨を避けながら、傘を開いたり閉じたりしながら、てんでに歩く。幸いに小雨である。
梅雨最中都心の森の深きこと ひでを
葉陰より漏るる雫も梅雨吟行 舞九
自然教育園を含む白金台地は、園内から縄文中期(紀元前約2500年)の土器や貝塚が発
見されており、この時代には人々が住んでいたと考えられているとのこと。室町時代には、この 地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられているら しい。この館の主が誰かは不明だそうだが、小路の奥に見る大木の向うに堂々とした土塁が 残っている。どれほどの権力を持った豪族だったのだろう。
戦国の土塁の跡や半夏生 舞九
あらかじめ管理棟の女性に今日の見どころの植物情報を聞いたので、先ずその花を見つけ
たくて目指す。教えられたポイントに到着。けれど目的の花はなかなか見つけられない。わたし が休息所のそばの下草の群の中をしゃがむようにして探していると、カメラを首から下げてい る小父さんに声をかけられた。カメラ小父さんは、マヤランが咲いている場所へ案内してくださ った。マヤランは七センチほどの小さな丈で、暗い赤色をちらりとのぞかせて咲いていた。つぼ みのままの姿のもあり、あちらこちらに点在していた。花の時期には葉がない種類の蘭で、そ のあまりの小さな姿に驚いた。また、サガミランはすでに咲き終わった茎が立っているものしか 見つけられなかった。蘭つながりと言うことで、そのカメラ小父さんに、蘭ではないけれど「鬼女 蘭」という植物の花も咲いているよと教えていただいた。「鬼女」その名前の由来や、春にはカ タクリが咲く場所なども教わった。いろいろ詳しいお話をしてくださるので、伺うとカメラ小父さん は週に2日はこの教育園に来て写真を撮っているという。
麻耶蘭と言はれてさがす小さき花 舞九
わたしがカメラ小父さんに案内されてあちらこちらの藪の中を歩き廻っている間、わたし以外
の一行4名の男性たちは、休息所の椅子の上でのんびりお話し中。するとカメラ小父さんは、 皆さんが腰かけておいでになる椅子の下には蟻地獄の巣がたくさんありますよと、これまた面 白い情報。
覗くと、ベンチの下には確かにたくさんのこんもりとした火山状の巣穴がある。アリジゴクはち
ゃんと雨に濡れない場所に巣をつくるのねと感心。建一郎さんがアリジゴクはウスバカゲロウ の幼虫だと教えて下さった。すると宗匠がダンゴムシを巣の中に放り込むと、アリジゴクが出て くると言う。それではとわたしは棒きれでそこいらの枯れ葉の下をほじくり回してダンゴムシを1 匹採取。大きめのアリジゴクの巣の中に投入してみた。だがアリジゴクはご機嫌斜めなのか、 満腹なのか、はたまた餌に不服だったか、登場しなかった。
アリジゴク誘ふ生け贄ダンゴムシ 木の葉
我々はカメラ小父さんにお礼を言い別れた。カメラ小父さんは、我々セミの会の一行がうらや
ましいとおっしゃったそうだ。メンバーが各々勝手にうろつきながらおしゃべりしている姿が楽し そうに見えたのだろうか。いつも一人で行動していると思われる小父さんの心のどこかに触れ たようだ。
木下闇地元の人と虫談義 建一郎
水生植物園の方に足を延ばした。ノカンゾウ・ミソハギ・ヒメガマ(ガマの穂)などの植物の中
の木道を歩く。水辺でもあり湿度は100%ではと言う気になる。まわりの植物群は背丈に近い 程だ。
梅雨の庭ルオーの森を歩く如 ひでを
水辺を抜けると、いつからか黒揚羽がふわふわと我々一行の上のあたりを舞っている。まる
で離れがたいというように、前になり後になり舞っている。誰かの御霊かもと思う。吟行の今日 は、新盆の日でもある。
散策にときに付きそふ黒揚羽 建一郎
黒蝶の一羽舞ひくる館跡 ひでを
江戸時代には、この地は徳川光圀の兄の下屋敷となったとのこと。「物語の松」と名のある
黒松は、その幹の太さ、丈の巨大さに言葉もなく!すごい!と思った。それこそ、何でも知って いそうな趣である。
年を経しくろまつに問ふ梅雨明け日 風天子
明治時代には海軍省・陸軍省の、火薬庫ともなったそうだ。大正6年には宮内省帝室林野
局の所管となり、白金御料地と呼ばれた。その後、昭和24年文部省の所管となり、「天然記念 物及び史跡」に指定され、国立自然教育園として広く一般に公開され、昭和37年国立科学博 物館附属自然教育園として現在に至っているという。手つかずの自然の姿が残る都心の森、 これからも永遠にこのままであり続けて欲しい。
昭和の大切な事柄、今後も、決して、軍事用の施設用地などにはなって欲しくない。
問ひかける自然教育梅雨の森 風天子
その後、 恵比寿ビアステーションにて句会の時間を楽しんだ。
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