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■花の下にていざ酔はん
滝山城址公園の花見は、始めに試練がある。標高160mほどの小山だが、これを登らなけ
ればならない。哀しい哉、寄る年波。年々しんどさを感じる。思いのほか、体力が衰えているこ とを現実として突きつけられるのだ。
咲き咲きて桜の山に杖を曳く ひでを
それでも、世に知られざる花の名所を訪ねてひた歩く。公園内には、五千本の桜が今を盛り
と咲き誇っている。
「世に知られざる」と書いたが、山道では数歩進むごとに同年代と思しき花見客とすれ違う。「こ
んにちは」と挨拶を交わしながら、以前より花人が増えたのを秘かに嘆かずにいられない。
老人のうろついてゐる花の昼 よろこぶ
やっとの思いで千畳敷に着いた。かつて定位置≠ニ決めた平坦な棚地は、すでに先客が
陣取っている。仕方なく谷底をめざす。かつてはタンポポが咲き、私たちだけを迎えてくれた草 原も、粗い細竹の繁茂や折れた枝の置場と化してよそよそしい。それでもシートを敷き、どっか り腰を下ろせば別天地である。20メートルほど離れた日なたに、テントを張る親子が居た。
幼な子とテント仕立てる花の谷 かおる
それぞれ好みの酒を酌み交わし、弁当を開いての宴。宗匠が棒状の鯖寿司を取り出し、「な
んだ、切ってないのか」と嘆く。すると、女性陣から「まさか。切る物が入っているはずよ。ほら、 ちゃんと付いてるじゃないの」と助け舟。座がすぐに和んだ。
木の葉さんが馬頭琴を奏で始める。「やっぱりこの曲でしょう」と『荒城の月』。はらはら散り初
める桜花の舞いに和して、緩やかな調べである。この城址での初めての花見が思い出され る。
馬頭琴城址の花にレクイエム 木の葉
馬頭琴にちなんで楽器談義も交わされる。シルクロードの民は口笛や労働歌などを巧みに
発展させた。その中で楽器の工夫も進んだのだろう。特に弦楽器は、「二胡」「胡弓」など胡族 由来のものがよく知られる。楽器に限らず、胡麻、胡瓜、胡桃(くるみ)、胡座(あぐら)など、胡 由来を思わせる諸物・様式が今も東アジアに生きている。
日本に伝わって、胡は「あらえびす(=蛮族)」の意味に転じるが、その文化の高さや影響力
にはむしろ敬意を払うべきものがある。
店を閉づ花の下にて馬頭琴 ゆきこ
ゆきこさんは、この春、長年経営して来られた〈うつわや〉を閉じた。時には、中国や朝鮮の
文物器物も取り扱われた。思えば、日本はシルクロード文化の終着駅である。
馬頭琴もの哀しきや散る桜 ありふみ
日本人は「散る桜」に無常感を重ねるが、それでも腹が減り、酒も飲みたくなるのはどうした
ものか。花見の宴は、〈もののあはれ〉のネガティブ感を酒食のポジティブ感で埋めることと見 つけたり。
■古城には桜花がよく合ふ
酒食を終えると、いつものように二の丸跡の台地へ出た。夜桜見物は寒かろうが、四囲に小
提灯がぶら下がり風に揺れていた。台地からは遠く拝島方面の市街地が望める。多摩川がそ の真ん中をよぎっている。宗匠、よろこぶさん、筆者の男3人、にわかに戦国時代の亡者の気 にでも取り憑かれたか、ぼそぼそと歴史談義。
「この程度の城で戦えたのかな」
「戦うというより、国境の警備でしょう。甲斐の武田が攻めて来るのを第一陣として防ぐ砦みた
いなもので…」
「本拠の八王子城に、狼煙(のろし)で知らせる役目もあったかな」
「しかし、北条氏は滅びた」
「武田も滅びた。豊臣・徳川連合が漁父の利を得たようなものだ」
かくして荒城は残った。
二の丸跡から下る道端に「北条氏三代を大河ドラマに」と書いたキャンペーンの幟が揺れて
いた。後北条氏初代早雲(伊勢新九郎)は室町将軍家に仕えたが、やがて自ら戦国武将とな り伊豆を皮切りに関東を制圧した。早雲の一代記なら、日の出の勢いなので大河ドラマに向い ているかもしれない。脚本には、司馬遼太郎著『箱根の坂』が最適だろう。
いずれにせよ、後北条氏は三代までが絶頂期だった。「大河ドラマに」という発想は、いわゆ
るいいとこ取り≠ナある。東京を中心とする現代の関東地方は、北条氏から徳川氏への政 権移行以後に大きく発展した。
喧噪を知らぬ狭間の桜かな ありふみ
それにしても、日本の古城には桜の名所が多い。江戸城は千鳥ヶ淵が有名だ。青森では弘
前城、信州には高遠城、滋賀の彦根城もよかった。他にも城に桜を配した観光写真をよく見 る。戦国時代当時は、籠城や防御、食糧自給などの面を考えて桜以外の植樹をしたのかもし れない。その意味でも、桜は平和のシンボルのようだ。
古城や荒城はまた、杜甫の詩〈国破れて山河在り 城春にして草木深し…〉の『春望』以来、
歴代詠み継がれる詩の一テーマになった。島崎藤村は『千曲川旅情の歌』で〈嗚呼古城なにを か語り 岸の波なにをか答ふ 過し世を静かに思へ 百年もきのふのごとし〉と吟じた(初版明 治33年)。それから「百年」
以上を経た今日、国対国、民族対民族の興亡で敵味方等しく歎きの涙を滂沱と流しても、人類
はいまだに野蛮な力競べを止めようとしない。
花ふぶき空より襲ひおそろしき 壯治
この時期、南米のウルグアイから世界で最も貧しい大統領≠ナ知られる、ホセ・ムヒカ元
大統領が来日していた。ムヒカ氏独特の『幸福論』は、「幸福とは何か」を考えさせるだけでな く、戦争の無い世界を実現するための示唆にも富んでいる。氏の言葉を読むと、心に響くもの がいくつもある。こんな言葉があった。
「人は独りでは生きていけない。恋人や家族、友人と過ごす時間こそが、生きるということなん
だ。人生で最大の懲罰が、孤独なんだよ」
セミの会の友も尊い。
長生きの途中や俳友(とも)と花見行 よろこぶ
友に木に遇へる幸せ花見行 かおる
杜甫はさらに詠じた。〈時に感じては花にも涙をそそぎ 別れを惜しんでは鳥にも心を驚か
す〉。それも共感し合える友あってこそ、だ。
■いつか来た道は行く道
下山の道すがら、年々の記憶を甦らせる。「あの角を曲がれば何が、農家の庭には何の花
が…」という風に、記憶と現実が一つずつすっと重なり合っていく。思い返せば、15年近くも滝 山城址で花見を続けて来た。
竹林の奥の入日の春愁ひ ゆきこ
竹林は荒々しく、同類相打つ殺伐の景である。新竹は、まだ顔を出さない。ゆきこさんは滝山
城址公園の紹介者だが、個人的にはかれこれ20年も通ったという。〈店を閉づ〉ゆえの感傷 で、何を見聞きしてもひりひりと心が疼くのかもしれない。
かたくりの花ある山手を今年また ひでを
カタクリの花は、山麓の斜面に咲いている。桜花の絢爛さはないが、「何やらゆかし」といった
趣を感じさせる。
一叢の二輪草みて老を待つ 壯治
筆者には、畑地脇のわずかなスペースに所狭しと咲く白い二輪草が好もしい。花狂いではな
いが、桜に乱れ酔った心を静かに浄めてくれるように思えた。
往路復路共、思いのほか長い時間を要した。やはり歩みが鈍くなった。農家の前でタクシー
を呼ぶことにする。きりりしゃんとして働き者そうな主婦が家の周りを掃除に出てきたので、ご 当地の住所を尋ねた。
「高月町何千何百何十何番地」と、丁寧に教えてくれた。すぐさまタクシー会社に伝え、目印と
なる路傍の地蔵のことも言い添えた。ほんの10分足らず待つと、黒塗りのタクシーが続けざま に2台来た。JR拝島駅に出る。時刻は午後五時に近い。
流行りの言葉で「定番」とよく言うが、花見吟行後の句会場は立川駅ビルの中華料理店(こ
の日は随園別館)が定番となった。元は衣料関係の言葉で、流行や時期によらず売れる商品 を指すらしい。だが中華料理の方は、必ずしも決まり切ったものを注文するわけではない。や はり珍しいもの、旬のものを選びたい。
花見の宴からあまり時間も経っていないというのに、肉と野菜の炒め物やシュウマイ、海老チ
リソースなど、目まぐるしく円卓を回しながら、食べること飲むこと。牛飲馬食とはこれかと眼を 見張る。紹興酒は6人で2本を空にした。この時ばかりは、年齢や健康上の憂いを忘れた。
羊肉(ラム)旨し花粉の病忘じける 壯治
飲食のおくびが上がる頃合に投句の紙を回した。宗匠のご講評へと進む。山道の往来を詠ん
だ句が多かったからか、「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを、か」 と、宗匠が口ずさんだ。在原業平朝臣の歌である。一首に今日一日の情が尽くされた思いがし て、深く心に銘じた。
毎年同じ場所で催す花見の「定番」でない興趣が、ようやくわかってきた。
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