2015年9月昭和記念公園吟行記
   平成二十七年九月三十日(水)
                                    一二三壯治 記

■秋天はわれらにほほえむ

 雨天で三週も後に延ばしたのが幸いし、これ以上ない秋晴れとなった。幸いあれば禍いもあ
って、参加者が男ばかり四人と華やぎに乏しい。「まあ、花は公園にたくさんある」などと強がり
を言いつつ、〈国営昭和記念公園〉JR西立川駅側のゲートをくぐった。
 残暑のぶり返しと言えるほど、日差しが強い。百花の隈々に陽光が射し通るようなまばゆさ
がある。かえってのんびり歩くのによい。

   木洩れ日を輝き亘る白き蝶      ひでを

 広大な敷地(約一五六・三ha)に各エリアが設けられ、そのネーミングによって主役やテーマ
を知ることができる。秋蝶が道案内のように現れたのは、〈水鳥の池〉左側を巡って並木道に
差し掛かる辺りである。パークトレイン(園内バス)や自転車では、こういう自然とのふれあいが
味わえない。犬を連れて歩く人もいる。

    イヌも人もただ秋天を満喫す     風天子

 一〇分ほど歩いて、すぐに最初の休憩をとった。〈渓流広場レストラン〉とあり、パラソル掛け
の下にアルミパイプ製の簡単な椅子・テーブルが据えてある。風天子さんが軽いリューマチを
治した話から、映画俳優の話になった。あまり関係なさそうだが、以下のように始まった。
「俳優のジェームス・コバーンが晩年、リューマチに罹っていましたね」
「『荒野の七人』に出ていたな」
「あの映画のユル・ブリンナーはよかった」
「彼は『王様と私』の舞台で名を上げた」
「今、渡辺謙がブロードウェーでやってますね」
「大したもんだ」…
 他愛ない話だが、呼吸を調えるにはちょうどよい。それから懐かしい俳優や映画をひとしきり
語り合い、「さて、そろそろ…」と立ち上がって〈子供の森〉をめざした。

   飛行場跡の公園草の花       舞九 

 ここは公園になる以前、アメリカ軍の立川基地であった。日本に返還されて、昭和五十八年
に昭和天皇在位五十年記念事業の一環で開園された。平成の世になって、「昭和」は何によら
ずノスタルジーの対象となりつつある。
 五、六分で〈こどもの森〉に着く。また休憩。〈こども〉と冠しているので、よもやと思ったが売店
には缶ビールを置いていた。それと子ども向けの菓子の中から「酢いか」と「ポテトチップス」を
つまみに買って、一人三百円の手軽さを味わった。
 辺りは銀杏の大木が並び、折しも実が落ちて独特の臭気に満ちている。ビールで少し鼻をマ
ヒさせる。隣接する〈木工房〉の製作物なのか、そこに据えられた机や椅子から階段まで西部
劇のセットを思わせる無骨な木製である。腰を落ち着かせれば、『荒野の七人』ならぬ『好々爺
の四人』といった趣だ。
 三五〇CCの缶一本では、ほろ酔いとまでもいかない。ゴールをコスモスの咲く〈花の丘〉と決
め、また漫ろに歩き始めた。

   爽やかや順路たちまち風の路     壯治

 街で言えば「ランドマーク」に当たるような巨大な金木犀を見た。芳香を風に飛ばされるの
か、樹下はあまり香がしなかった。


■松と楓の日本庭園

 〈こどもの森〉は園内北西の玉川上水口手前に位置する。そこから東向きに大きく曲り〈こも
れびの家〉前を通って、〈日本庭園〉へ向かった。〈こもれびの家〉の背後には〈こもれびの丘〉
がなだらかに続き、こんもりとした雑木林の風情を見せる。その麓に、昭和時代を偲ばせる
一・五mほどの郵便ポストが立っていた。

   森中の赤いポストに秋日ざし     舞九

 昭和の頃は、ポスト一つ取っても妙に人間臭かった。今の「ゆるキャラ」に通じるほのぼのと
した温かみがあった。なぞなぞ遊びに「毎日、赤い顔をして紙ばかり食べているものナーン
ダ?」というのがあった。答えはもちろん「ポスト」。
 ポストの赤はどちらかと言うと、朱色に近かった。印鑑の朱肉にも似ていて、時に夕日がそん
な色になる。
 〈日本庭園〉は、大池を囲んで松や楓などが植え込まれた修景である。おそらくは、伝統的な
造園の形式に則って草木が配置されているのだろう。池の東側四分の一ほどの辺りに、南北
にまっすぐ砂嘴のような小径が造られている。南側へ渡るとすぐに四阿が建ち、土壁際に長座
が設えられている。そこから池を眺めるのだ。
 池は秋天を写し、木々の緑を写して狭まる。南岸に細長い木の葉船が舫ってある。不思議と
強い印象を与え、池に生き生きした力を添えるように見えた。
 楓も高い所は、ほのかに紅く染まっている。「初紅葉」と言ってよい。

   色づきて紅一点のかへでかな     風天子

 楓よりも今はまだ、幹の湾曲をほしいままにする松の緑が濃く美しい。

    巨き松手入れを終へしばかりなり    ひでを

 銘木と見える松の木が、あたかも対峙するといった間合いで数本立つ壮観は、どうしようもな
く日本人の血を自覚させる。ただ見入っているだけで心が落ち着く。春の桜も、秋の紅葉も、常
緑の松柏を背景にしてこそ映えるのではないか。
 赤と緑は補色とされる。緑を凝視した後に、赤い残像が眼裏に残るのはそのためである。色
盲や色弱が赤と緑の識別能力に表れやすいのも、対極にあると見えて、実は相互に引き合う
特性があるせいかもしれない。視覚脳が錯覚しやすいのだ。
 四阿を出ると、水の涸れた小さな蹲踞(つくばい)があった。そこに風のしわざか、だれか悪戯
好きがそうしたのか、楓の紅葉が一枚あった。

   蹲踞に紅葉ひとひら置いて去る     壯治

 江戸時代の判じ絵のような謎を込めたのだとしたら、なんとも優雅なしわざではないか。「み
ず・かえで・もみじ(水替えでも見じ)」とか。まあ、空想の戯れにすぎないが…。

■コスモスのに丘日傾く

 秋の七草もあるが、この季の花王はコスモスかもしれない。名付けの匠が「秋桜」と称えたと
ころに、暗に秋の花王と定めたい願いが薫り立つ。公園でも、折から「コスモスまつり」の最中
だった。そのメインステージ〈花の丘〉は、日本庭園の北側に隣接する。ところが、コースは池
畔の道から渦巻状に東へ大回りして行かなければならない。「あっちだろ」「いや、こっちです」
と、地図を片手に彷徨うこと十数分。落葉掃きの係員を見つけて尋ね、ようやく辿り着いた。

   コスモスをたずねて右翁左翁かな     壯治

 英語でコスモスは「宇宙」の意味もあるが、とんだ宇宙遊泳だった。それでも、花の丘に億万
本と群れ咲く臙脂から白まで五、六色のコスモスの乱舞には、すべての労苦を一瞬にして吹き
飛ばす癒しの力が満ち溢れていた。しだいに西に傾く日に照らされる様をたとうれば琳派の金
屏風。尾形光琳作の『杜若図』をもっと稠密に重ねた淡色の諧調美と言えようか。

   秋高しこもれびの丘紅そめし       風天子

 なだらかな〈花の丘〉の背後が常緑樹林の〈こもれびの丘〉である。公園は〈花の丘〉を三方か
ら囲む北端の〈こもれびの池〉、東側の〈こもれびの里〉で尽きる。北側に砂川口が見える。どう
やら南北約一・五キロを縦断したようである。
「帰りはバスに乗りましょう」
 閉園時刻も迫っていて、誰も否やはない。〈こもれびの池〉前の停留所で待つと、「シュシュポ
ポ、シュシュポポ」とくぐもったテープ音を発してバスが来た。トロッコ列車を模しものか、先頭の
機関車風牽引車に荷車を三輛繋いでいる。乗務員が降りて来て、料金を受け取り席に誘導す
る。何やらメルヘンの世界でも演出するように重々しく形式ばっている。バスも愛嬌たっぷりに
走り出した。  
 徒歩で辿った順路や森が、こんなにも短かったかと思える呆気なさで過ぎて行く。最終バスと
のことで、閉館時刻を忘れていた客が次々に乗り込んで来た。「シュシュポポ」と合唱するよう
に「ツクツクホーシ」の声が聞こえる。

   法師蝉なほ鳴いてゐる九月尽     ひでを

 秋の日は暮れつつある。再びJR西立川駅から一駅だけ戻り、立川の駅ビル〈グランデュオ
立川〉で、ひでを宗匠、風天子さん、舞九さんは中華料理を召し上がる。筆者は仕事の都合で
一人帰る。舞九さんに後日話を伺うと、中国人の接客や応対が拙く注文しないものが来たりし
たが、それも座を和ませる種に替え、紹興酒三合も程よく大いに味わい楽しんだとのこと。

   ひと日かけ短き秋を惜しみけり     舞九

 三翁きっと、李白、陶淵明、蘇東坡の生まれ変わり。
  











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