2015年1月〈旧東海道・品川宿界隈〉吟行記 

〈旧東海道・品川宿界隈〉吟行記 
   平成二十七年一月二十一日(水)一二三壯治 記



■品川神社から東海寺へ

 旧東海道最初の宿場・品川宿をぶらぶら歩くつもりの初吟行は、冷たい雨になった。まず京
浜急行の北品川駅で下車し、通称「イチコク」(国道一号線)を渡って品川神社へ参る。徳川歴
代将軍の庇護を受けたとある。

   吟行の雪とはならず寒の雨    ひでを

 寒の雨にしては、参加人数が九人と多い。ただし筆者と木の葉さんは出遅れ、ひでを宗匠ほ
かのみなさんに先行をお願いした。確認のために後からルートを辿ると、富士浅間神社や稲
荷社など複数の神々を合祀していて拝礼には事欠かない。

   十坪余の稲荷に避ける冷雨かな    桂

 江戸っ子が得意の自虐ネタ…「伊勢屋稲荷に犬の糞」。頭韻を踏むあたり多少の歌心も感じ
る。いずれにせよ、その三つは江戸に多かったらしい。稲荷信仰は、主に五穀豊穣の祈願か
ら始まった。しかし、本社の主祭神は大黒天である。
日本は何しろ八百万の神々を「ウエルカミ」としてきたので、神仏をいっしょくたにするほど融通
無碍でいい。「あ」と問えば「うん」と答え、お互い和魂(にぎみたま)が生まれる。

   寒の雨阿吽三対たたずむや    ゆきこ

 ほんの二、三分歩いて東海寺(万松山東海禅寺)へ巡る。往時は、塔頭(たっちゅう)(小寺
院)十七を数えるほどの広大さだったので、まさに品川神社と神仏隣り合わせの風情だったは
ず。明治の廃仏毀釈で東海寺の格は貶められたが、江戸時代には徳川家から手厚い加護を
受け宿所にも使われていた。開祖は漬け物で有名な沢庵禅師である。
 今は寺も、四方を開発喧しいビル群に圧迫され、まるで漬物石に押される大根のよう。 

   釣鐘の憮然と下がる寒の雨     夢

 鐘楼は「豁夢楼」と号し、寺内十境の一つとされた。夢さんが詠まれたのも、その縁で豁然と
何かが見えたのかもしれない。他の十境は、ほとんど失われた。栄枯盛衰は世の常と言いな
がら、かつての名刹が時代の波に押し流される様は見るにしのびない。寺域の隅に球状の墓
石があり、辛うじて「澤」の字が読めた。「すわこそ…」と、遺跡発見のようにみなさんに知らせ
る。

   悴かめるまま合掌や海の寺      舞九

■目黒川から旧東海道へ

 桜の冬木が連なる目黒川沿いを下る。東海寺の脇と言ってもよい。旧東海道手前に架かる
朱色の太鼓橋を渡ると、正面は郷社の荏原神社である。祭神は龍神の高麗神、他に天照皇
大神、須佐男之神、恵比寿神などを祀る。

   冬の雨破顔のままのえびす像     かおる

 こぢんまりした境内に梅咲くも、鳥居を囲む木々はまだ冬芽のまま。

   お百度の足音遠く冬芽立ち       壯治

 どうも品川宿というと、落語『品川心中』『居残り佐平次』などから宿場女郎の身の上が偲ば
れる。荏原郷からも百姓娘が身売りされ、何かに願を掛ける姿がよく見られたのではなかろう
か。また旅人も、道中の安全祈願に立ち寄ったのだろう。
 冷雨が吟行の足を速める。旧街道に入った。

   キラキララ小さく雪舞ふ東海道        木の葉

   シャッター降りて品川宿の寒さかな     風天子

 どこかで一服の気分である。品川宿本陣跡を確認すると、〈品川宿交流館〉という休憩所で雨
宿りを兼ねて休む。いわゆるコミュニティスペース。駄菓子屋風のコーナーがあり、二百年も生
きていそうな江戸っ子のバアさんが店番をしている。こめかみに絆創膏は貼っていなかった。
女性陣が気兼ねしてか、さまざまな駄菓子や昔の玩具を買い求めた。

    旧街道傘屋の前の孕み猫     桂

 紹介が遅れたが、今回の吟行は桂さんが下見までして推薦してくれた。ここで桂さんが急に
外へ飛び出す。息を切らして帰ってくると、その手にはゴロッと大きな焼芋が三つ。流していた
焼芋屋の売り声に、「みんなで食べたくなった」らしい。その気遣いがうれしくて、バアさんのし
かめ面を余所にみんなで頂く。

   焼芋や東海道の一の宿       舞九

 エリアにも流行り廃りがある。古いのがいい場合もあるし、ダメなこともある。中途半端がい
ちばんイケナイ。世は「マーケティング」時代。話題性が重要だ。品川駅が存在感を増すのに、
品川宿は取り残されているように思う。
 東海道のゴール、京都などは古さや伝統を頑固に守り、その徹底ぶりで尊敬を得ている。以
上、吟行記にふさわしからぬ文化論のひとくさり。
 
■品川宿を青物横丁まで

 街道筋を少し歩く。ゴールを京浜急行の青物横丁駅前と定める。以下、立寄った場所を記
す。
 〈街道松の広場〉名代の松よりも、雨に濡れた蝋梅が愛らしい。

   旧街道寒九の雨の石畳      ゆきこ

 その辺りの石畳もガイドブックに記されるほど。〈遠州屋〉という御菓子司がある。法事の品
川(ほんせん)おこわ、閻魔いなりなどが名物らしい。

   大寒の古きのれんの遠州屋     風天子

 街道を西へそれて路地を入る。すぐに〈天妙国寺〉という古風な寺がある。境内には本堂と離
れのような庵室が一つ。庭は手入れされ、池を切ってある。

   蝋梅の咲きをる庭の錦鯉     木の葉 

 墓地を挟んで、もう一つ寺がある。こちらは象などを涅槃図風に配置した山門が強烈だ。〈真
了寺〉と言い、伽藍も新興宗教めいた原色の装飾に満ちている。

   パステルの青の鴟尾あり寒鴉     ひでを

 何かいけない物を見たようなめまいを感じる。〈旧海岸線〉の石垣は探したが、よくわからな
かった。雨で根気が続かない。すぐに諦め青物横丁駅へ向かって〈ジュネーブ平和通り〉に出
る。昭和風の狭いレトロな通りである。名もろくろく確認せず、町の人が集まるような喫茶店に
入る。そこでしばしコーヒーを飲みながら句作に励む。
 午後五時を待てずに、〈博多道場〉という居酒屋に入る。これも桂さんご推薦。まだ世間は働
いている時間、悠々と掘りごたつ風の席を得た。

   冬帽の並ぶ句会になりにけり    かおる

 鍋が自慢とあり、もつ鍋全三種のうち二種を注文する。

   鍋二つ奉行北町南町       壯治

 酒が入り、鍋を囲めば句心もぐつぐつと煮えてくる。

   鍋囲む俳縁といふ深き縁     夢

 七時を過ぎて、仕事を終えたサラリーマン諸君が三々五々集まるころ、セミは帰り支度。宗
匠の講評は、閉店間際の〈ミスタードーナッツ〉で拝聴した。










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