その6〜その10

その10 「オバマ家の犬(続)」

 オバマ家がホワイトハウスで飼う犬が、ようやく決まり、四月十四日報道陣にお披露目されたそうだ。ケネディ上院議員を通して贈られたポルトガル・ウォータードッグで生後六ヵ月という。これって、ちょっと話が違うんじゃない?動物愛護団体に保護されている犬から選ばれるはずじゃなかったの?。それに雑種でもよいって話だった。
 朝日新聞は「……最初の飼い主と合わず引き取られていた犬で『準保護犬』のようだ」と伝えているが、どことなく言訳めいている、といえなくもない。なんだかがっかりだ。なにしろケネディ家から来たんだもんね。「選考過程は『最高機密』扱い」だったそうだ。
 しばらく前の東京新聞によると、日本全国で、自治体が捕獲したり、引き取ったりした犬の八割に当たる約十一万匹が毎年処分されているという。そんな中、熊本市は動物愛護推進協議会をつくり、さまざまな試みを行い、処分率を全国トップクラスの二割以下に減らしている、という。
 これは東京に住む友人の話だが、この男はシェルターから貰った犬を飼っていて、あるとき三浦半島のわが借家に連れてきたことがある。さっそく半島で一番高い山、といっても標高実に二四一bの大楠山に出掛けると、犬は大喜びで沢を上り、斜面を下り、草の中を走り回っていたが、頂上まで距離にしてあと百bくらいの所で完全にバテてしまい、なさけない顔になった。しかたなく抱いて引っ張りあげた。
 ところが下山になると、とっととっと道を下り、ところどころで立ち止まっては後ろを振り向き、「早く来い、おれは待ってやっているのだ」いわんばかりの得意顔である。「お前は今さっきまで抱いて運んでやったのをもう忘れたのか」と、言いきかせても知らんぷりであった。
 友人によると、この犬は、鎖につながれたまま主人がいなくなってしまったことをよく覚えているので、スーパーなどに連れて行って店先に繋ごうとすると、すごく怯え、そして悲しい顔をする、ということであった。


 
 のら犬をかくまふ縁の下朧   今井 聖



その9 「透明の傘」


  本降りになって出て行く雨やどり   誹風柳多留

 実にうまい句だと思う。しかし、最近はこういう風景は少なくなった。傘が安くなったせいだ。おかげで見知らぬ人と長話をする機会も減ってしまった。
 わたしが小学校のころはコウモリ傘などなかなか買ってもらえなかった。番傘がまだ幅を利かせていた。雨がやむと、チャンバラだ。だんだん本気になったりして、傘はあわれなことになる。親にみつからないようにしていて、また雨が降るとこれを持って出るわけで、雨をさえぎる部分は三分の一くらいになったりする。
 近頃のビニール傘の跋扈はまことに故あることなのである。しかもその安さが、とくに酒呑みには魅力だ。居酒屋によっては傘立てが戸口の外に置かれている。帰る客は、この中から一番いいのを持って行くのである。昔ある時、店員に「わたしの傘がないよ」と言ったら「あんたのは何色だった」ときくので「青」と答えると「そんじゃ、この青いの持っていきなよ。いいよ、いいよ」と言うのであった。
 以来、コンビニか百円ショップである。「ビニール傘にもね、ブランド物があるんですよ」と俳友の一人が言う。そして、「回り道でも、そこへ行って買うんです。息子もそうですよ」と言った。一本六百五十円だそうだ。
 わたしは、そんなブランド物などめったに買わない。家から駅へ向かう途中、孔明の如く風雲を卜し、雨と見れば百円ショップに寄り透明のを買う。数年前吟行で東京郊外の城山に花見に行った。卜はみごとに当って雨が降り出した。透明だから目の上の花も見逃さずにすんだ。それからは、海外旅行の際にも、必ず鞄に入れて行く。斜めにするとぴったり入る。
 昨年ロシアを旅した。十一日間雨は降らなかった。十二日目の帰国の朝も晴れていた。で、うっかり傘を鞄にしまって預けてしまった。ところが夕刻の出発までモスクワ郊外の教会に出掛け、そこで雨にあった。モスクワの九月の雨は冷たい。なんとも惨めであった。うっかりと書いたけれど、もったいないから持って帰ろう気持ちが働いたからというのが正しいだろう。
 傘は最後まで手放さず、空港にそっと置いて帰るべし。誰かが使ってくれたら、もって瞑すべしだ。と言ったらエコロジストに怒られるかしら。



 透明の傘ありがたき花の山    ひでを





その8 「ラ・ロシュフーコー」

 La Rochefoucauld が、ラ・ロシュフーコーのことだと分かったとき、わたしはアッと叫んだに相違ない。タイムアップまで、あと数分。半世紀以上も前の大学模擬試験の話である。
 研究社の英語のテスト問題の〈英文和訳〉。わずか十数行の英文のなかに、このLa Roche…をはじめ理解できない単語がいくつもある。チンプンカンプンだった。で、これは後回しにした。
 なんとかひと通り他の問題を片付けて再び挑戦。そして、この文章はLa Roche…がキーワードだと狙いをつけて睨みつけているうちに、突然ラ・ロシュフーコーが、脳の皺の中から浮上した。
 国語の教師が、アフォリズムの話をしていたときに出てきたフランスの貴族のおじさん(1613〜1680)で、芥川龍之介の『侏儒(しゅじゅ)の言葉』につながる面白い人。となれば、むつかしくて分からぬ単語は、箴言(しんげん)(箴の字は書けなかったに違いない)、警句、格言などを当てはめれば、大意は分かる。皮肉という言葉もあったに違いない。
 かくてスルスルとうまく行き、賞品の金の万年筆をもらった。しばらくは得意満面であったろうが、一緒に受けた中平卓馬氏(後の著名な写真家)は、賞品にハンディな英語の辞書をもらい、「木下、辞書の方が役立つから、絶対、上なんだよ」なんて嫌味なことを言い、「へへへ」と笑った。昔からなかなかの論客≠セった。後年、寺山修司さんを通じて、この中平氏と一緒に仕事をすることになろうとは、そのときはもちろん夢思わなかった。
 こんな黴の生えた自慢話を思い出したのは、先日、どこかの入試で時間を一分間早く締め切ってしまったというニュースを新聞で読んだからだ。今は、多肢選択法の試験が多いから一分でも大変貴重であろう。



 三方に窓ある部屋や大試験  徳川 無声


  
危険思想(『侏儒の言葉』から)
 危険思想とは常識を實行に移さうとする思想である。
(日本現代文学全集「芥川龍之介集」筑摩書房刊)

なお、晩年の堀田善衞さんに『ラ・ロシュフーコー公爵伝説』というすばらしい著書がある。



その7 「マフラー」

 マフラーは音もなく落ちてしまうから困る。
 三浦半島の海辺のバーで、いつものように夕日を見ていて、マフラーが首に掛かっていないのに気が付いた。もともと大して気に入っているものでもないし、〈今どき道に落ちているマフラーを持って行く人もあるまい〉などと思い、ゆっくりとワインを楽しんでから、来た道を左右も気にしながら帰った。
春とはいえ、夜はまだ寒い。辺りはかなり暗くなっていて、マフラーはついに見つからなかった。
明朝探してみようと思いつつテレビを見ていたが、どうも落ち着かない。そのうち、あれはフランス製だったなどと思い出すうちに、だんだん惜しくなってきた。それで、えいっと立ち上がり、懐中電灯を持って出かけると、借家から二百メートルばかりの小道の柵にしっかりと結び付けてあった。オリオンがきれいに出ていた。
翌朝、同じところに行き、「マフラー ありがとう」と書いた紙切れを柵に貼り付けてきた。これで話は終わりのはずだった。ところが、である。三週間後、その紙切れはまだあって、よく見ると「よかったネ」と赤いボールペンで書き込まれていた。
ここからが推理である。まず、書き込みの人物はマフラーを拾ってくれた人物、もしくは一緒にいた人だろう。なぜなら、わたしは「拾ってくれてありがとう」とは書いていない。ただ「ありがとう」と書いただけだからである。
次に「ネ」である。ここから、この人物は女性だと見るのが妥当である。問題は赤いボールペンをいつも持っているような女性とはどういう人か。教師かキャリアウーマンか、などという妄想に浸っているところへ友人が碁を打ちに来た。さっそくこの話をすると言下に「そりゃ、女子高校生だよ」と当然のように言う。
女子高校生! なんだかがっかりしてしまった。柵にしっかり結び付けたところなんぞは、やはり、もうちょっと年は上、などとわたしはまだ考えていたのだったが、友人はもう碁を打つ構えであった。



 襟巻の美しき過去は誰も知らず  松岡 六花女

 襟巻やしのぶ浮世の裏通り   永井 荷風





その6 「目白」

  ベランダに鉢植えの山茶花がある。二十年近く前、近くのお不動さんの植木市で求めたもので、現在高さ一メートル五〇センチ位。これが花をつけ始めると必ず目白がやって来る。最初は一羽のこともあるが、だいたい二羽か、二羽の倍数で、たまに八羽位になることもある。
 まことにかわいい。ちょっと小生意気というか伝法というか、その目付きがいい。背の色も鶯より楽しい。しかし、せっかくの山茶花をすぐに食い散らかしてしまうのが困る。
 そこで、ある時、木の根元にみかんを横にばさりと切って置いてみた。すると、目白は大喜びで花よりこちらに来る。木の天辺から幹にそって一気に垂直に降りる。小枝など目じゃないらしい。
ところが、これに鵯(ひよ)が目を付けた。鵯はなかなか上品な着物を着ているが声が良くない。それに半分割のみかんをあちこち転がし、ひっくり返しても元に戻さない。大きな糞をして汚い。
 目白だけを呼び込み、鵯を追っ払う方法はないか。少年のころ、地面にまいたお米の上に笊を斜めに立て、物陰に隠れて雀がくればつっかえ棒に結んだヒモを引っぱって捕らえようとしたことを、思い出した。わたしが一羽もつかまえたことがないのは短気だったためだろうか。しかし、鵯を追っ払うのには実に効果的であった。
 鵯はベランダの柵にまず止り、上下左右をながめ、今度は家の中をうかがう。やがて床に下りて少しずつみかんに近づく。そこにわたしの仕掛けがある。笊のかわりにかなり大きな板を使い、つっかえ棒に結んだヒモを部屋の中央にのばしてて手で握り、テレビを見ていると、来た。板と棒で作った「人の字」になった仕掛けに飛び乗った瞬間、わたしはヒモを強く引く。大音響と共に人文字は崩れ、鵯はすごい警戒音を発しつつ、ベランダから急降下していった。この場合、鵯は上へは飛ばず必ず下へ行く。これで一、二日は鵯は来ない。
わたしは悦に入っていたのであるが、みかんの消費量で家人から文句が出た。それで今度はインスタントコーヒーのキャップに砂糖水を入れて置いてみた。これにも目白は大喜びである。代わり番こに吸っては山茶花の小枝で嘴をぬぐっている。時に首をかしげて、ガラス越しに見ているわたしをにらむ。どこで観察しているのか、砂糖を持って行くと一分以内に必ず来る。
この冬は雀も飲みに来るようになった。雀は目白より大きいし、いつも団体で来るので目白の立場は弱い。しかし、果敢に雀に闘いを挑む奴もいる。わたしは舌切雀のたとえもあるので雀は追わないことにしている。ただ、ありがちことに目白ほど砂糖は好きではないようだ。
目白はまことに楽しいが、野生動物にエサをやるのは良くないらしいし、メタボになっても困るので量は少なくしている。
 山茶花は散り、目白たちが山へ帰るのも近い。

 お持ちの歳時記を見ればお分かりと思うが、目白の季語は、夏と秋に割れている。さらに高橋悦男編の『俳句月別歳時記』(博友社刊)では春に置いている。    
そしてわたしの季感では絶対に山茶花と同じ冬なのである。それで、目白の句はやめて



 山茶花や渡り廊下のひかりをり  ひでを




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