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秩父宮ラグビー場に通っていると、トップ・リーグ (社会人)の監督たちの近くにたまたま座ることがある。彼らは中央の最上段あたりに陣取り、全体を見下ろしながら、携帯電話でピッチ上のコーチに指示を送っている。さすがに皆、格好いい。サッカーと違ってラグビーの監督はあまり感情を表に出さない。しかし・・・。
選手時代、その勇猛果敢さでファンを魅了したある監督は、ダークスーツをびしっと決めていたが、突如「あの馬鹿、何やってるんだ」と怒鳴り出した。そんな声を聞きつつ、練習場での厳しさが想像されたのである。
ある時、得意先を招待しているような光景に出会わした。背広姿がずらりと並び、課長か部長クラスと思われる人物たちが、何かジョークを飛ばし合っているらしく、よく笑い、時に後ろを向いて手を上げる。すると、トレーナー姿の女の子が飛んで行って、注文を聞き、階段を駆け上がってビール缶のようなものを届ける。試合前とはいえ、あまり感じのよいものではない。そこへ監督がスタッフをひきつれて上ってきた。監督もやはりその場の雰囲気が気になったのか、回りの人たちをじろりじろりと睨(ね)め回したのである。すると辺りは急に静かになった。さすがに威風堂々としたものだった。
対アメリカ代表との試合のことである。前半終了間際、全日本は相次いでイエローカードを喰らった。二人の選手が一〇分間退場しなければならない。ラグビーではシンビンという。文字通り罪(シン)の壜(ビン)の中に閉じ込められるのである。(本当の壜があるわけではないが…)
この二人目の処分≠ェ発せられた時、全日本のカーワン監督とスタッフは一斉に立ち上がった。そして、そのまま見ていた。全員が最上段付近の席なので、別段、観戦の邪魔になるわけではない。だが、それは巨大な壁となり、なかなか威圧的であった。仮にそれでピッチが見えなくなったとしても、「カーワン座って!」なんて言えるファンは、日本には一人もいまい。かつての世界屈指のプレーヤー、そして二〇一一年のワールドカップ(ニュージーランド大会)での日本の躍進がこの人にかかっているのだから…。
試合は全日本が見事なプレーで、久しぶりにアメリカに勝った。
ヤマハの堀川監督は、イヤホーンを耳に、小型のマイクを口元につけていた。指示する声は聞こえなかった。ところが試合終了近くになって、突然「フェイス・アップ」「フェイス・アップ ヤマハ」という大きな声が聞こえてきた。そして、今度は日本語で「最後まで顔を上げて、堂々と闘え」と続けた。
点差と残り時間を考えれば、ヤマハに勝ち目は全くない。ラグビーは八〇分走り続ける格闘技である。敗北を覚悟した選手たちの疲労はさらにすさまじいものだろう。そのクタクタの選手たちを、なお叱咤激励する監督。敗軍の将の胸中を思うと、こちらもジーンとくるものがあった。
ラグビーの敗けたる側を見てゐたる ひでを
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オバマ一家がホワイト・ハウスでどんな犬を飼うのか気になっている。大統領に当選した直後の記者会見で、犬のことを聞かれたオバマ氏は大真面目に答えていたそうだが、雑種犬のことにふれたところで「わたしも雑種だ」といったという。日本の新聞は“きわどい冗談”と書いていた。しかしポチ公派にとっては、この表現は大変気分がよい。だいたい、人種だけでなく純粋とか正統だとかが、声高に叫ばれるのは、ろくでもないときだ。それで、オバマ氏の娘たちが連れてくる犬が気になっているのだ。
それにしても日本の新聞は、なんであんなにデカデカと「黒人初の米大統領」「アフリカ系初の米大統領」なんて報じるのだろうか。アメリカ合衆国でのこれまでの黒人の歴史を考えれば、アメリカが大騒ぎするのは分かるけれど、日本のマスコミまでがこんなに大見出しで騒ぐことが必要なのだろうか。だいいち黒人の父と白人の母は即黒人なのか。アフリカ系といっても北アフリカに昔から住んでいる人々はコーカソイド(白人)ではないか。この辺が疑問なんだけれど、ともかく、オバマ政権誕生でこれからの選挙では、黒人白人が問題になることは少なくなるだろう。(米国の人気ドラマではとっくに黒人大統領が誕生しているし)。
ところで子猫、子馬、小鹿みな季語なのだが、子犬は季語ではない。人類の一番古い友の子がなんで・・・・・・あれは春生まれと決まっているわけではないからだ、という人がいるけど、猫も子を産むのは春とはかぎらないではないか?。どうも俳句では猫は犬より“優遇”されているようだ。句会には、必ずといってよいほど猫が登場する。母モノ、猫モノといわれつつ点をさらってゆく。
捨て仔猫少女去りてもうあてもなし 加藤楸邨
世の中、えらいことになってきた。大変なのは猫ばかりではない。
アメリカ発の大不況がどうなるか。オバマ氏は格好よすぎて心配でもあるが、この人以外に今はあてもない!?
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マティーニが効いたらしい。ホテルでぐっすり眠っていたのだが、窓ガラス越しに伝わるヘリコプターの音で目を覚ました。歓声も聞こえてくる。もう決まったのかと思い、寒さ対策をして外へ出た。
七番街に入ると、すごい人だ。でこぼこの多い歩道を人にぶつからないように注意して、真夜中に近いタイムス・スクエアへ向かう。
オバマ・コールが、あちこちで沸き上がる。かなり酩酊した様子の婆さんが、頭陀袋を肩に「テン・バックス(十ドル)、テン・バックス」と喚きながら、あやしい足取りでやってくる。オバマ氏の肖像入りTシャツを売り歩いているのだ。記念に一枚買おうと思ったが、一人の客ともめ出し、婆さんは人混みに消えてしまった。
車道ももちろん大混雑。クラクションを器用にリズムをつけて鳴らしつつ、窓から身を乗り出して拳を上げる運転手。昼間沢山見たシクロは見当たらない。あれで見物したらいいなと思ったのだが。
タイムス・スクエアに近ごろできたという桟敷みたいな所、イベントがない時にミュージカルのキャンセル切符を待つ人が群がるという辺りは、ぎっしり人たちで埋まり、CNNの大型スクリーンに見入っている。音声は聞こえない。すごい歓声がどよめき、拍手が続く。シカゴからの勝利演説のようだ。若者が圧倒的で、年寄りは遠くから眺めている。私もだ。隣に立っていた美人が、突然、ものすごい声で「オバマ、オバマ」と繰り返した。
しばらく見ていると、何人かの若者が急に走り出した。隣にいた美女も走り出した。何事が起こったのかは分からない。中年のおっさんが私に聞くくらいだから、大方は分からないようだ。道が二股に分かれた中州のような所にあるビルの、大晦日のカウントダウンなどよく写真やテレビに登場する広告スクリーンにオバマ氏のアップが映し出されただけのようだ。
路地をちょっと入った所に座り込んだ男が、必死の形相でパソコンのキーを叩いている。オバマ勝利の原動力は、IT草の根運動といわれるが、その運動員がニューヨークの様子を知人に伝えているのだろうか。それとも、遠くから来たジャーナリストだろうか。
午前一時に近づいても、若者たちの騒ぎは続いている。オバマ勝利に貢献したという満足感に浸っているのだろう。
「ブッシュのアメリカなんか来るもんか」と思っていたのだが、どうやらこの大統領は大恥をかいて舞台から去ると見極め、ふらりとアメリカへやって来て、この歴史的な日にマンハッタンに居ることになったのだった。
これはなかなか感動的な夜であった。しかし、このような事件≠ヘ俳句には詠みにくい。
それは、あきらめて、もう一杯のビールにありつくべくわたしは歩き出した。
オバマ勝つ・・・・・
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東京駅から電車で一時間ばかりの、ある街に行き、ふらりと居酒屋に入ったことがあった。カウンターだけのごくありふれた店だった。一人で適当に飲んでいると、「こんちは―」と威勢のいい声の後から、五十歳くらいの男が入ってきた。銭湯帰りそのままで、頭の上に濡れタオルをのせている。
「冷酒(ひや)を一杯コップに注(つ)いでくれ」と男は言い、席をすすめる女将をさえぎって「いや、一杯で帰るから立ったままでいい」と続けた。
男は、酒が来るとすぐにごくごくと飲み始めた。
〈一気呑みか、無理するなよ〉といった気持ちで横目で見ていると、あとちょっとで空になるところで、男は「フーッ」と息をついた。〈やはり一気は無理でしょう。格好つけすぎですよ〉と、心中ひそかに笑った瞬間、男は残った酒を三和土(たたき)にすっと捨ててしまい、
「これに水をくんな。いやいやコップはこのままでいい」と言うと、今度はそれを一気に呑み干し、
「ご馳走さん、はいお金」
と、カウンターの端に硬貨を置きそのまま出て行ってしまった。
客の男の側だけを測れば、この間一分とはかかっていまい。なんとも格好いい呑みっぷりだった。
わたしは感心し、いつか真似してやろうと思ったが、まだ念願かなわずにいる。一つには少しとはいえ酒がもったいないし、最近は家の近くに銭湯はないし、などとぐすぐず考えている。それに、人真似は落語の『時そば』みたいになってしまうかもしれない、という心配もないではない。
一盞の冷酒に命あつきかな 角川源義
[歳時記では、冷し酒と冷酒(ひやざけ)は同じ扱いのようだが、わたしなどは冷やし酒は、ビールのように冷やした酒で、冷酒(ひやざけ)というと燗をしていない酒のように思う。燗をしていない酒を、今は常温というようだ。そういえば間違いはないのだが、ちょっと味けない気もする。冷酒(ひやざけ)にも、人肌なんていうような言葉はないでしょうか。]
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久しぶりに東京・田町駅で降りた。街に出るとすぐに、やきとり屋の看板が目に入った。懐かしさに駆られて店をのぞいてみると、昔ながらの立ち呑みで、仕事を終えたばかりの人たちで混み合っていた。
ビールを頼んだ。
あれは、息子が小学校二、三年の時だから、もう二十数年前になる。ピンポンを始めたばかりの息子と二人で体育館に行った帰り、この店に入った。わたしはビール、息子にはジュースを注文した。すると、
「ここにはジュースは無いよ。坊や、前の自動販売機で買ってきな」
と、おやじさんが言った。
息子は言われるままにジュースを買って戻ってきた。まだ背が低いので、カウンターの下の荷物置きの所で飲もうとすると、カウンターから身を乗り出したおやじさんが、
「坊や、ちょっと待ちな」
と言うと、ひょいとジュースを取り上げてしまった。両手を上げて唖然とする息子。どうするのか見ていると、おやじさんは把手の付いたビール・ジョッキに氷を沢山入れ、そこへジュースを注ぐ。そして言った。
「これでお父さんと同んなじだ」
大喜びの息子。この間、おやじさんはにこりともしない。すぐに他の客の方へ行ってしまった。
あのときは、実にうまいビールだった。そして、こんな人が切り盛りしている呑み屋は、きっと長く繁昌するだろうと思った。
そんなことを思い出しつつ「開店してから何年になりますか」と聞いてみると、やきとりの煙の中から「三十五年」という声が返ってきた。
遠近の灯りそめたるビールかな 万太郎
をちこち
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