2014年6月金沢文庫吟行報

金沢八景吟行記 平成二六年六月十一日(水)
                              一二三壯治記

六浦、七堂伽藍、八景…

 金沢文庫・金沢八景への吟行は、二度企画して二度とも台風で流れた。そうなると三度目の
正直を信じて、意地でも行ってみたくなる。そもそも関八州めぐりから、鎌倉幕府の経済・流通
の要衝六浦(むつうら)(金沢文庫の旧名)を外すわけにはいかない。雲の厚い梅雨空ながら、
傘持参で決行した。
 京浜急行金沢文庫駅から、まず徒歩で称名寺に向かう。三浦半島特有の丘陵地形で、なだ
らかな坂道が続く。10分ほどで、金沢山(市民の森)を背景にした七堂伽藍の遺構を拝するこ
とができる。初めは、鎌倉三代執権北条泰時の実弟、実泰の荘園だったのを実泰の息子実時
が浄土宗の寺とした(一二五八)。以後、金沢北条氏の菩提寺となった。
 境内は大池(阿字ケ池)が大半を占め、惣門(赤門)から赤い太鼓橋、中ノ島、平橋を渡って
金堂(本堂)に向かう配置の浄土式庭園様式になっている。

   茅葺きの御堂も池も梅雨の中     かおる

 浄土式庭園は、平安時代に流行した浄土思想を反映している。この世に浄土を出現させよう
というのだ。京都宇治の平等院や岩手県平泉の毛越寺などが同じ様式だ。赤い太鼓橋は、鎌
倉政権の御本尊である鶴岡八幡宮を真似たらしい。
 池の面は、ぽつぽつと降る雨滴の波紋で太鼓橋の下半円を映さない。それはそれで、古へ
と誘う装置のように幻想的だ。


   黄しょうぶや渡りて赤きたいこ橋    木の葉

 
 七堂伽藍のうち残ったのは、ほかに鐘楼、釈迦堂のみ。本堂の背後に実時の墓所がある。
鎌倉の世を偲ぶよすがは、それらを守るようにひたすら生い茂る草花のみ。菖蒲、紫陽花など
が雨に濡れていた。中に…   

   称名寺いつから咲きし定家かづら   ゆきこ

「定家かずら」は、指で品を作るような真白い花が咲く。能『定家』にも出てくる。旅の僧が京へ
上り着くと、時雨亭で土地の女に出会う。その会話である。
僧「ずいぶん古い墓がございますね」
女「はい、式子内親王という方のお墓にて…。そして、ここに這う草が定家葛でございます」
 その上で、女は定家と内親王の悲恋の物語を話す。下級貴族の定家とやんごとなき際
の内親王ゆえ、成らぬ恋に終わる。あるいは鎌倉武者の中の風流人が、その悲話を慕って植
えたのだろうか。
 源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時代、猛々しい武力一辺倒に見られがちな坂東武者も、都風
の文化に憧れた。その憧憬の思いさえも、草花から嗅ぎ取ることができる。梅雨空にもかかわ
らず市民の姿が途絶えないのは、古の息吹を感じ、古人の憧憬を共有したいどうしようもな
い心≠フせいかもしれない。

■兼好と俳句を友≠ニして

 称名寺の敷地内に〈神奈川県立金沢文庫〉が併設されている。金沢文庫は、地名であると同
時に、鎌倉執権北条氏の幕僚とも言うべき北条実時が収集した文(ふみ)(書物)の庫(くら)(公
文書館)の名残である。
 昨年、この吟行を企画した折には、ここで運慶作の「大威徳明王像(国重文)」が展示されて
いたのだが、今回は特別展「徒然草と兼好法師」に替わっていた。入館料は400円(一般。6
5歳以上は割引)。江戸時代に何度かブームになった『徒然草絵巻』の展示が中心だ。
 次の移動が気になるあまり、じっくり見るもかなわず、上面(うわつら)撫でるが如く眼を走らせ
進めば、「見ぬ世の人を友として」の一文に眼が止まった。ああ、これぞ兼好の常なる心な
んめり≠ニ思えて…

 
   梅雨一日見ぬ世の人を友として    壯治

 兼好法師は、よく友について書いた。『徒然草』百十七段に「友とするに悪き者」で始まる有名
な記がある。悪き友は七人。四番目に「酒を好む人」とあるので、セミの会員はほとんど不合
格である。逆に「よき友」は三人。物くるゝ(くれる)人、医師(くすし)、知恵ある友と並ぶ。法師、
なかなか友≠ノ厳しい。
 それでも、筆者などは『徒然草』の諸説、物語に引かれる。いわく「すべて、男をば、女に笑は
れぬやうにおほしたつ(訳=養育する)べしとぞ(百七段)」。いわく「心なし(訳=無風流)と見ゆ
る者も、よき一言はいふものなり(百四十二段)」など、寸鉄人を刺すような一節一文は枚挙に
暇がない。
「見ぬ世の…」が何段にあったか、今は知り得ない。ただ友≠ニ言えば、兼好は「見ぬ世の
人」を通じて「もののあはれ」を友としたように思う。
 慌ただしくも館内からタクシーを呼び、称名寺南側の仁王門に寄せてもらう。また皆、そぞろ
に歩く。門近くに忠魂碑があった。  

   昭和何年梅雨にけむる忠魂碑    風天子

 碑には、日清戦争以来太平洋戦争までに戦死した横浜市金沢区出身の兵士名が刻まれて
いる。題字の揮毫は本庄繁大佐(以後、陸軍大将、侍従武官長などを歴任)とあった。
「本庄繁か、久しぶりに見る名前だな」と、風天子さんが言われた。不明な私には、やはり「見
ぬ世の人」である。
 風天子さんは、戦時中の十代の頃、特攻隊に志願されたそうだ。もし、戦争が続いていた
ら、忠魂碑に名を刻まれたかもしれない。平和ボケの戦後世代には、「見ぬ世のこと」に触れ
る一言一句がありがたい。来年は、昭和九十年。


   梅雨暮れて草木とても成仏す    ひでを

「草木国土悉皆(しっかい)成仏」は「山川草木悉皆有仏性」とも言い、仏教の言葉である。「成
仏」とは死ぬことではなく、文字通り「仏(のような魂)に成る」こと。『徒然草』の末尾・二百三十
四段に、八歳の兼好法師が「成仏」について父を問い詰め、困らせた話が出ている。父親にも
手厳しかった。
 ちなみにひでを宗匠は、この春めでたく祖父になられた。

   去りがてにほととぎす鳴く寺の雨    三酉

 時鳥の声は「てっぺんかけたか」とか「特許許可局」などと早口言葉風にも例えられる。三酉
さんの耳には「名句、詠めたか」と聞こえたかもしれない。 


■雨中水中#ェ景島シーパラダイス

 名所の「八景」を選ぶアイデアは、中国の瀟湘(しようしよう)八景に始まる。文人画の画題とし
て宋代に流行した。それが日本に伝わって、室町時代の後期に近江八景が生まれた。金沢八
景は、ぐっと新しく江戸時代初期の所産。秋月、夕照、青嵐、帰帆、晩鐘、夜雨、落雁、暮雪の
八つを盛り込むのがルールらしい。
先に訪れた称名寺も「称名晩鐘」で入る。
 さて、お立ち会い。それをこれから訪れる〈八景島シーパラダイス〉に当てはめて、各人の詠
句とともに紹介しよう。うまく出来たら、ご喝采。
 八景島は人工島と思しい。シーパラは、そこに多種多様な娯楽・遊戯施設を集めたテーマパ
ークである。子供連れなら、一日で遊び尽くせないほどの規模だ。我ら俳人は、長いマリンゲー
トを抜けて水族館の〈アクアミュージアム〉に直行した。入場料(アクアリゾートパス)は大人30
00円(65歳以上2450円)。
 
 一景〈白昼の夜雨〉水族館に着くとにわかに雨脚激しくなり、海の沖合は見分けがたい。梅雨
の闇が迫り、雨宿りの有様にて切符買う。

   
   深梅雨の水族館に来てみたる      ひでを

 二景〈水中の青嵐〉イルカのショーを水槽下より見る。水泡あたかも風神の袋より出るジェット
気流のよう。他にも、大はジンベエザメ、小はアジ、タイの仲間など様々な魚類がただ泳ぎに泳
ぐ。

   泳ぐほか生(しよう)なき類の憐れなり    壯治

 三景〈孤高の晩鐘〉小魚は群れ、大魚は単独を愛す。中に真白き巨大な北極熊、魚も泳が
ぬ狭く寒いプールに、水音を大鐘の如く轟かせて飛び込み、幾度も往復。さらに憐れ。

   梅雨寒や孤独のありて水族館     ゆきこ

 四景〈常滑(とこなめ)の暮雪〉東(北?)の横綱が北極熊なら、西の横綱はセイウチ。こちらは
滑稽味を帯びて隠者の如し。その肌は解け始めた雪の匂い。 

   せいうちの住む世静けくなめらけく    三酉

 五景〈蠱惑(こわく)の夕照〉回廊のような水槽を見つつエスカレーターで3階に上ると、趣がガ
ラリと変わる。宝石のように妖しく美しいクラゲの世界だ。優雅で蠱惑的な舞いは、羽衣の天女
のよう。

   胸を射る赤きくらげの光かな      風天子

 六景〈海界(うなさか)の秋月〉夜天に月あれば、海界に海月(くらげ)あり。いや、海宙の星々
か。天が創り給うたか、みずから億万年のうちに装飾を極めたかは知り得ず。化粧(けはい)、
容(かたち)づくりを愛する人もうっとり。月が女神ならば、海月また女神か。

   水槽の海月光を身にまとふ    かおる

 七景〈放下の落雁〉生きとし生けるものの性(さが)、異なるもあり、等しきもある。水を出て、
地に空に世を求め進化した類もあった。鳥は魚の裔(すえ)と聞く。身をどの界に拠るべきか。
水に縁あれば、水に生きるのみ。これもまた悉皆成仏。

   なるやうになるしかないさ海月浮く   木の葉

 参加者七名につき七景となるので、ひでを宗匠の御句をまた。
 八景〈充足の帰帆〉同日に古きものと新しきもの、死せるものと生けるものを併せ見た。あと
は句会に果を成すのみ。各々の帰宅を考慮して、京浜急行で品川に戻ることにした。品川沖
はかつて大小の舟であふれていた。その中には…

    江戸めざし六浦出て行く鰹舟     ひでを   









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