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わたしたちの句友の田中ひまわりさん(寺山映子さん)が二〇一四年四月三十日、
お亡くなりになりました。ご葬儀は五月五日、千日谷会堂にて行われました。セミの
会からは木下ひでを代表、関建一郎さんがご参列してくださいました。
ひまわりさん 木下ひでを
映子さんの葬儀の模様は関君の一文に譲るとして、 わたしの印象に残ったことの一つ
は祭壇の遺影をかこむ花々が白ばかりではなく色とりどりであったことだ。 いかにもあで
やかな映子さんにふさわしいなと思いつつ眺めていた。
セミの会に誘ったのはわたしだが、 どこでどんな風にだったかは記憶にない。 おそらく
寺山修司さんに関するイベントか、パーティでのことであろう。
それで一度呑もうということになった。 その時「二人だとフォーカスされたら大変」と本気
ともウソとも解らぬドキリとさせられることを笑顔でおっしゃった。
三人か四人で食事をしたのだが、わたしがそこで入会を「口説く」必要などはなかった。
映子さんはすでに決めていたらしく、句会のやり方を熱心に尋ねられただけだった。
別れ際に「寺山(修司)さんは俳句の世界でも超ビッグネームだから、 貴女が俳句を始
められることは当分世間には黙っていたらどうですか」と老婆心から余計なことをいって
しまった。すると「そうそう、そうしましょう」と映子さんはいったのだけれど、 二、三回句会
に来たあと、「わたし、もうしゃべっちゃった」といって舌をぺろりと出されたのだった。相手
は編集者のようであった。
映子さんは、いろいろな名前を持っている。仲間たちによる思い出の記では各自ばらば
らに使っている。あえて統一しなかったのは、各自の思いが、どの名前を使うかにあらわ
れているかもしれないと慮ってのことである。
句会では初めのうちは田中ひまわりだったが後には田中映子の名前で出ておられた。
しかし、仲間内の会話では今でもひまわりさんである。 大型で、はなやかで、陽気で、わ
たしたちの座を楽しくさせてくれた映子さんには、まことにふさわしい俳号だと感じている
からだ。
この何年かは句会に出られていない。 今年いただいた年賀状には「馬年に万券(万馬
券)取り気分良く『セミの会』に出席したいものです」とあった。
四十九日が過ぎてしばらくしてからテラヤマワールド取締役の笹目浩之さんに伺ったと
ころによると、 亡くなる四日前の四月二十六日の夜かそのあとに俳句を作っており、 辞
世の句ではないかという。それは競馬会のホームページから二十六日の夜にプリントア
ウトされた出馬表の裏にメモされてあったからだ。
さっそくファックスしてもらうと、レースは二十七日のサンケイスポーツ賞フローラステー
クス。鉛筆で○や△が書き込まれている。配当金額もある。その裏のメモには、
病■ふせ窓■■■らせ春■■■ (■は訂正されていてはっきりしない)
とあり、次のは、
窓外の見下す川の春めきて
と読めた。
わたしは、この句をしばらく眺めていてはっとした。今までひまわりさんに窓外の眺めを
句にしたものが多いのは、 佃の高層からの眺めが素晴らしいからだろうと思っていたの
だが、病のせいでもあることに、迂闊にも思い至らなかったのだ。
それほどに、わたしたちの前に現れる映子さんは快活だった。 最後に姿を見たのは昨
年の大隈講堂でだったが、重い病を感じさせるものは声はもちろん何もなかった。
映子さんは、「寺山(修司)の辞書には、一刻たりとも退屈という言葉はなかったのである」
と「回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで」に記しているが、 それは映子さんにも全
く同じことだったのであろう。
この世での祝祭の日々≠ヘ終り、旅立たれた。ご冥福を!
幸せな旅立ち 関 建一郎
九条今日子(本名・寺山映子)さんの訃報は五月二日の新聞で知った。
「体調が良ければ、今年はぜひ句会に出てみたい」。年頭に、映子さんがそうおっしゃって
いるやに聞いていたから、 記事を読んで、まず驚くほうが先だった。 翌三日の朝、木下ひ
でを宗匠から電話を頂戴するが、用件は聞かずとも分かっていた。 間もなくセミの会事務
局長・一二三壯治さんの代理として、木の葉さんからもメールでお知らせがあった。 どうや
ら彼は所用のため東京を離れていたらしい。五月の大型連休が始まる日である。 他の会
員にもなかなか連絡がつきにくいという。
五月五日の午前十時から千日谷会堂で行われた映子さんの告別式には、宗匠とふたり
で出席した(木の葉さんは、事故で鎖骨を骨折したため欠席せざるをえなかった)。
会場には朝日新聞をはじめ各マスメディアや、 三沢市の市長さん、山田太一さん、篠田
正浩さんたちから献花が寄せられ、多くの参列者が列をなした。 弔辞はイラストレーターの
宇野亜喜良さん、 エッセイストの萩原朔美さん、「天井桟敷」時代の主演女優・新高けい子
さんなど寺山修司・九条今日子に連なる方々が次々に登壇、さながら寺山演劇を彷彿させ
るような葬儀となった。
※ ※
句会で接する映子さんは、 さらりとした江戸前の雰囲気を持っておられた。あたかもゆっ
たりと老後ライフを楽しんでいるように見えたけれど、実はどうも、 多忙な毎日を過ごしてい
たことを後で知る。
昨年の三月、世田谷文学館で開催された『帰ってきた寺山修司』と、 五月に早稲田・大隈
大講堂で行われた『映画上映(「田園に死す」)とトークイベント』には小生も木下宗匠に同行
したが、いずれの企画にも、 映子さんが重病と戦いながら深くかかわっていたという。とりわ
け山田太一、萩原朔美、安藤宏俊、九条今日子の「トーク・ショウ」では、女優・演出家として
の映子さんの存在感にまぶしい思いをさせられた。
ところで、ある句会の折、映子さんに「寺山修司と木下秀男」の間柄について聞いたことが
ある。『アサヒグラフ』『週刊朝日』の編集者時代を通して、木下宗匠と寺山修司が親しく付き
合っていたことをかねがね聞いていたからだ。「当時、木下さんが着ていらしたコートがよくお
似合いでね。実は寺山がそれをうらやましがって、そっくりのコートを買って得意がっていたも のよ」と語った彼女の笑顔がよみがえる。
一度は別れたものの、最後は妹(寺山映子)となって、寺山修司のもとに飛んで行かれたの
だろう。映子さんの辞世の言葉にも「寺山の待つ世界に行きます」とある。享年七十八。誠に 幸せな旅立ちともいえよう。合掌とともに、グッドラック!と声を掛けてあげたい思いもする。
遠き日のだましだまされ四月馬鹿 ひまわり
二〇〇五年四月に開かれた定例句会に、まだ入会前の映子さんが「田中ひまわり」の名前
で投句されたのが右の句。 はからずも小生が特選句に挙げたのだが、いま改めて浮かんで
くるのは、寺山修司の風貌である……。
雲のきれはし 萩原かおる
「あなたによく似た人を、知っているのだけれど」
「田中ひまわりさん」と宗匠が皆に紹介した人は、私にそう声をかけてくれた。
一つ違いの姉のことだとすぐ分かった。
その姉、翻訳家・劇評家の松岡和子とは仕事場や会合、パーティなどで同席する機会が多
かったらしい。
姿形もそうだけれど「仕草や声がそっくり」と、ひまわりさんは言った。
私の方は失礼ながらきれいな人≠ニは思ったが、すぐには《あの》映子さんとは気づかな
かった。
以来、吟行などでご一緒したときは、少しおしゃべりをするようになった。
ひまわりさんが例会に、紺地にベージュとグレーの鋭角的なパッチワークを施した服でいらし
たことがある。
すっかり同じではないのだが、同じシリーズのその服を、私は前々日に入手していた。ヨーガ
ンレールのデザインを、彼女も私も(私の姉も)、ずっと前から気に入りとわかった。「地味なの に華やかよね!」などとひまわりさんと話した。
新宿の小田急ハルク・テニス用品売り場で、ぱったりひまわりさんに出会った。セール品のウ
ェアなどを探っていた私の肩を、彼女はちょんとつついてくれた。テニスがお好きと例会で伺っ ていたが、病を得られた後も、熱心にプレーされると知った。俳句、服の趣味、テニスと、好き なことがかなり重なる彼女と、大分長く立ち話もしたのだが、何を話したかは覚えていない。
女優、プロデューサー、寺山修司を支え続けた人――日本の映画や演劇界でまことに貴重
な存在だったひまわりさんの姿を映す巨大なジグソーパズルがあるとすれば、私の手もとのピ ースは、ごくごく小さく少ない。彼女の豊かで華やかなポートレートの後ろに広がる大空に浮か んだ白い雲、そのきれはしにもならないだろう。けれどお会い出来たときはいつだって、童女め いたすてきな笑顔だった「ひまわりさん」のピースを、これからも大切にしたい。
絵日記のやうな林檎の園に居る 映子
ただ一度の出会い 吉松 舞九
昨年の古川アヤさんの訃報に続いてセミの会は、寺山映子さんというかけがえのない句友を
喪いました。お二人のことを思い出して共通するのは、それぞれ一度しかお目にかかることが できなかったことです。もし私が当日欠席をしていたら、お目にかかる機会はおそらくなかった であろうと思えば、一期一会のご縁を感じないではいられません。
映子さんとのただ一度の出会いは、二〇〇九年十月早稲田「太郎月」での句会でした。入り
口近くの席に座った映子さんは終始口数少なく物静かな第一印象で、「天井桟敷」や、その後 の寺山修司の芸術活動を陰で支えた女傑という私の思い込みとはかけ離れているのに驚い たことを覚えております。
当日の映子さんの投句「敬老日朝の窓辺の夫婦鳩 ひまわり」では何を思い描
いていたのでしょうか。(合掌)
ウオッカとミスターシービー 亀井よろこぶ
映子さんが突然亡くなった事を朝日新聞で知った時は驚いた。
映子さんとは、句会でのたばこ仲間だった。同じ馬好きというか、競馬ファンでもあり、私も好
きだった二〇〇七年のダービー馬〈ウオッカ〉のことをよく話した。牝馬でダービーに勝ち、G1 レースを六回取った名馬なので、知る人ぞ知る。
「ウオッカが現役のうちに競馬場へ応援に行きましょう」と話していたが、実現できなかった。
寺山さんも競馬ファンだったので、「どの馬が好きでしたか」と聞いた事がある。映子さんはし
ばらく考えていたが、
「ミスター・シービー」と答えた。
「ジョッキーの吉永正人のファンでした」とも言われた。
ミスター・シービーは、三冠馬ですごく破天荒なレースを見せる馬だった。吉永は、孤独な陰
を背負う名人だった。
競馬を愛した大詩人寺山修司さんは五月四日に亡くなり、映子さんの告別式は五月五日だ
った。もうすぐダービーだ。今年はどの馬が勝つのか楽しみだ。
十八歳年下の男 一二三壯治
「一二三さんは何年生まれ?」と、単刀直入なのが気持ちよかった。
「昭和○○年です」と、こちらも負けずに直球を返した。すると、「十八違いか。私の息子にして
は大きいわね」と、なんだか中高年の身にはこそばゆいけど、ちょっと嬉しい言葉だった。あん な素敵な女性が母親だったら…と、空想の翼を羽ばたかせてみたくなった。
新宿駅で待ち合わせ、木下宗匠ほか会員五人で、故寺山修司氏が眠る高尾へ墓参りに行く
車中でのことだった。道中は長く、映子さんは問わず語りにいろいろと話してくれた。
「実は一度、寺山の子を妊娠したんだけど死産だったの。その後、私は子供が産めない体に
なって…」
悲しい出来事なはずなのに、あの鈴を転がすような明るい声で言われたので、十八歳下の
青二才としては「そうでしたか」と、間の抜けた返答をするしかなかった。それから二人とも窓の 外を眺め、おのずと緑の増えつつある武蔵野の景色を遠い眼で見遣った。
吟行の折には、よく隣り合わせになった。そして、いつも屈託のない言葉の交換。京王井の
頭線の永福町駅に差し掛かったときのことだった。
「…永福町、懐かしいわね。ねえ、聴いて…。私たちね、この町で新婚生活を始めたのよ」
「へえ、そうなんですか」と私は、また寝ぼけたような答え。それでいいのだ。映子さんは私の反
応など気にしていなかった。今度も遠くを見遣るように、愛の巣があったらしい辺りを、きらきら した眼で探し続けていた。
「プカプカ」 田中丸 木の葉
とても、おしゃれな女性(かた)でした。可愛くて、キュートで、そしてミステリアスな女性でした。
最初にお目にかかった時から、いつも笑顔で、とてもやさしい言葉をかけていただきました。
あれは、映子さんの御紹介でお邪魔した、江東区高橋のどじょうの店「伊せ喜」での句会が
はねたあとのことでした。店の表に出た時に、きれいな満月が店の上に出ていました。店の表 のたたずまいと、見事に絵になる風景でした。月をながめていたわたしに、故塚田凡天さんが 声をかけてきました。
「ねぇ、ひまわりさんって、寺山さんの奥さんでしょ?」「はい、そう、伺ってます」と、答えました。
すると、凡天さんは、にへ、にへとした笑いをうかべて、とてもうれしそうなお顔で、おっしゃいま した。「あのね、彼女は、ほんとうに素敵な女優さんだったんだよ!僕らが若かりし頃、映画 で、わくわくして観てたんだよ!」あの夜の、凡天さんのうれしそうな表情「見ぃつけた!」と、い うようなお顔を懐かしく思い出します。
わたしはひまわりさんが女優さんであったことも知りませんでした。けれど、凡天さんのうれし
そうな様子から、さて、どんな映画にご出演だったのかな?と思いましたが、詮索することもな く、過ごしていました。
その後、妙なご縁で、わたしの娘がひまわりさんと出会いました。娘が仕事上、映画関係の
教授の先生の大学の授業のサポートで、ひまわりさん、つまり、九条映子さん、寺山映子さん、 に出会うことになったのです。
母と娘というのは、暇さえあれば余計なおしゃべりをするようで、日々の雑多なことを話しま
す。その折に、句会のことや、ひまわりさんのことも話しておりました。
今年、その先生の退職のお祝いのパーティでひまわりさんが抱えきれないほどの大きな真っ
赤な薔薇の花束を抱えて登場。先生は、他の花束はともかく、これだけは持ち帰らなくちゃと、 おっしゃっておられたそうです。そのパーティの夜も、相変わらず、ひまわりさんはプカプカと煙 草を吸っておいでになったと、娘が申しておりました。
わたしは、その話を聞いて、「プカプカ・・・俺のあの(あん)娘(こ)は煙草が好きで、いつもプカ
プカ、プカ〜♪ 体に悪いからやめなって言っても、いつもプカプカプカ〜♪」と、ひまわりさんの ために歌いました。
(ぷかぷか=作詞:西岡恭蔵)
ひまはりの季節を待たで逝きにけり ひでを
赤き花も遺影飾りぬ五月の葬 ひでを
みちのくは梨の花咲く寺山忌 久仁
太郎月もひまわりさんも朧かな 舞九
たとふれば陸奥の野面の別れ霜 舞九
のもせ
ひまわりのひと時代駆けぬけ逝きぬ あつこ
今日子逝く五月の鷹の待つ空へ 建一郎
五月の鷹待つ天空へ駆けゆけり よろこぶ
嫋やかなラインいく重に夏つばめ 壯治
風変へてわれに五月を奥の人 壯治
鉛筆で書かれていた。
ひまわりさんの句 木下ひでを選
いま、ひまわりさんがセミの会で作られた句のなかから、故人の人となりや吟行の楽しさを
呼び戻すような句を十〜二十ほど選ぼうとしていたのだが、さてそれが困ったことになってしま った。一句それぞれに様々な思い出が絡まりついてふくらんでいくからだ。
例えば 相模湖周辺に吟行した時詠まれた 夕立に打たれ空蝉落ちにけり の句。 夕立に出会
ったのは幸いなことに俳句寺にいた時。寺の軒を借りて雨宿りをした。あちこちに水溜りがで き、そこを泳いで渡る蟻がいた。それがあんがい上手なので皆が感心して眺めていた。それを その夜の句会で句にした奴がいたなあ。などなど、思い出していくので、選句は進まず、かくも 沢山になったのであります。 ひでを
2005年2月定例句会
パソコンの賀状の鶏の友に見ゆ
2005年4月定例句会
遠き日のだましだまされ四月馬鹿
若駒の光る目遠くを見てゐたり
窓外の鳩と目が合ふ四月馬鹿
わた雲の駿馬の形して春深し
2005年6月定例句会
ダービーの天馬が駆けて梅雨近し
梅雨しきりシェリー酒開けて友を呼ぶ
2005年8月定例句会
終戦忌朝に真白の米を研ぐ
秋めくやテニスボールの黄が映えて
2005年10月定例句会
時を越え「李香蘭」を観る秋の雨
2005年忘年句会
プラチナの身体横たへ荒巻や
2006年1月大相撲初場所観戦句会{寺山さんの住むマンションのパーティルームにて}
横綱の手形に合せ初笑ひ
初場所や小さき髷の勝相撲
打ち出しに送られ佃へ冬の暮れ
2006年2月定例句会
ひとり寝を覗きたること春の月
光る朝高層の窓に風船や
波光る人肌がよし春の酒
2006年3月深川吟行・高橋のどじょうの店『伊せ喜』
彼岸会のごとどぜう鍋囲みをり
梅が香や深川巡りの壱萬歩
水鳥も我も昼寝の時間なり
今も尚芭蕉の像の小さくあり
2006年4月滝山城址花見吟行
中々といふ焼酎を飲み花万朶
2006年5月野川吟行
この森もいつかきたよな走り梅雨
武蔵野や競馬と墓参の五月くる
2006年6月定例句会
花葵テーブルクロスの母の帯
2006年8月・花火の夜の恵比寿『東天紅』
輪に入りて力士の背中見て踊る
ロンシャンに旅立つディープの夜の秋
基地の街盆踊りの輪にジャズが鳴り
天空の機嫌伺ひ花火かな
花柄の浴衣の裾のスニーカー
夏衣相合橋の船寄場
2006年11月秋川芋煮吟行
芋煮会遠出の朝の空が笑む
柚子取りの農夫に聞きぬ寺の道
2006年忘年句会
手の平の林檎の先の入日かな
忘年会岸田今日子の逝くを聞く
亡き人に賀状書きたし鴎飛ぶ
2007年2月句会
天ぷらのコースに加ふ蕗のたう
芝居跳ね下北沢に春浅く
2007年3月井の頭公園・玉川上水吟行
吉祥寺誓ひし春の甦り
井の頭象の花子と初桜
2007年4月句会
葉桜の中山帰へり安酒場
2007年6月句会・早稲田大学校友会集会室
夕餉どき卯の花和へて客を待つ
短夜に酒場のウオッカ飲みつくし
夕焼けの海に遥けし汽笛かな
2007年8月句会 高尾霊園吟行
告別の椅子に忘れし夏帽子
夫の墓宗師と友の敗戦忌
2007年10月句会
来客はグラスの中の後の月
日めくりの速度を増して後の月
亡き夫の学帽誇らし秋うらら
ゆらゆらと三四郎池に十三夜
2007年忘年句会
店先の鰤鎌しばし去りがたく
行く年や「螢」とふ名の店仕舞
2008年2月句会
遠き日に鰊の骨焼く母の背や
ひなあられとりどりのいろとりあひて
ひもすがら水鳥の群を眺めをり
2008年6月句会
梅雨晴や避難袋に傘を足す
父の日や墓前の香は葉巻なり
2008年7月相模湖周辺吟行
夕立や句碑の文字(もんじ)浮かびけり
小原宿荒れ庭に来る揚羽蝶
夕立に打たれ空蝉落ちにけり
2008年8月句会
夕暮れの太鼓の急かす生姜飯
水浴びて女神輿の蹴出しかな
姿よき夏雲落し隅田川
年毎に贈る男(ひと)ゐて夏帽子
2008年9月水元公園吟行
白鷺の一尾の孤独微風得し
うたたねに寅さんのマドンナになり
風任せあけびがひとつ吹かれをり
2008年忘年句会
冬菊や後見人を決めし帰路
冬菊に埋もれて友の別れ紅
子規館を包みし紅葉市街劇
2009年1月藤沢・江の島吟行
大寒の寺に裸の大銀杏
駅伝の過ぎて鎮もる冬の寺
師の背の小さく見ゆる冬の海
江の島や若きふたりの暮早し
照手姫の墓に寄り添ふ姫椿
熱燗や参詣途中の古き店
2009年4月句会
遠き日や庭ののびるを母と摘む
2009年10月句会・太郎月
絵日記のやうな林檎の園に居る
敬老日朝の窓辺の夫婦鳩
吸盤の口中で踊る烏賊造り
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