2013・11・20 多摩丘陵地(八王子城跡)吟行記 

多摩丘陵地(八王子城跡)吟行記
    平成二十五年十一月二十日(水) 一二三壯治記

■多摩森林科学園の日だまりに

 台風に二度妨害された吟行を、錦秋の名残濃き初冬にようやく実施できた。天候は四か月
分の恨みを晴らしてなお余りある、みごとな小春日和だった。

  ※宇津田姫の授けてくれし日和かな            ひでを

 その正午、JR高尾駅北口に集まる。駅舎に併設された店舗〈一言(いちげん)堂〉で、珍しい
広島菜などのにぎり飯を三つ買った。
「このお店、ずっと気になってたの。一度買ってみたかったんだ」と、木の葉さんが言う。馬頭琴
の先生がこの地域に住んでいるとのことで、駅を利用したらしい。赤銅色に光る燻製たまごも
旨そうなので、参加者の数だけ買った。後日ネットを検索したら、天然酵母パンも好評だとか。
 少し遅れるかおるさんを一人待つことにし、宗匠ほか四名は「ゆっくり行くから」と、最初の目
的地〈多摩森林科学園〉に向かった。かおるさんは2、3分後に到着、速歩で後を追う。すぐに
国道20号、すなわち甲州街道が横切る。その街路樹は亭々として延々と、また煌々と蒼天に
突き立つ金色の銀杏だった。

  みささぎへ銀杏色づく八王子              舞九

 みささぎとは武蔵御陵のことで、大正、昭和両天皇皇后の御陵が並ぶ。森林科学園と道(高
尾街道)を挟んだ向かい側に位置する。なだらかな坂を上るにつれ、視界は樹木に満たされて
いく。
 五、六分で森林科学園(入園料大人300円、四月は400円)に着いた。中は広大な森だ。
独立行政法人だが、元は旧農林省の桜対策事業の一環で設置された。サクラ保存林が名高
く、ゆきこさんによると「花見の季節は行列ができるのよ」とのこと。ほとんどの栽培品種を網羅
しているので、盛りには淡紅色の織物のようになるのだろう。今はそれらの桜も葉を紅く染め、
あるいは散らして厳冬を待つ。

  手弱女(たおやめ)の稀に見えたり桜もみぢ           壯治 

「手弱女」はサトザクラという品種の名。樹木と草花には、みな名札と一部には丁寧な解説文
が添えてある。弁当を開くのに適した日だまりを探して歩く。と、湿った暗がりに「冬苺」の札が
あった。「へえ、珍しい」「初めて聞いたわね」と女性陣が言い合う。木の葉さんが、さっと実を摘
んで試食する。

  冬苺甘くも渋くもなかりけり              木の葉

 第2樹木園というエリアが尽きると、急に明るくなった。南向きの斜面で、ベンチが並ぶ。にぎ
り飯、巻き寿司、いなり寿司などを交換し合い、例の燻製たまごも分けて食べた。吟行では、
些細なことでも同じ体験をできるだけ共有すれば、それぞれの受け止めや感覚の違いが句に
表れる。

  刈草の秋日に混じるかほりかな        ゆきこ

  秋日と呼ぶか、冬日と呼ぶかも思い思い。斜面の薄や薊(あざみ)、赤まんまなどの草を刈る
人々の動きは、残る虫のように緩慢だった。こちらも日向ぼっこを兼ねて、30分程かつ食べか
つ休む。時間が許せば、昼寝も加えたいところだ。
 また歩く。日陰に入れば肌寒い。みな脱いでいたダウンやゴアテックスなど、流行りの暖衣に
再び身を包んだ。ルートには、街区のように番号を記した標識柱と案内板が付いている。標識
柱は99番、案内板は11まである。標識の読み方は、99番なら90番通りの9番目の角という
こと。われらのゴールは、ただ見晴らしのよい所とだけ定めた。
 やや急な坂になった。路傍には朴落葉が堆く、灰白色の葉裏はうたた荒涼。

  白骨を踏むごと朴葉道行かん        壯治

 ひでを宗匠は案内所で借りた細い杖をついている。小さな鈴が鳴る。
「こんな細いのでも、楽になるもんだなあ。ほら、体重を支えているわけでもなく、ただ前に出し
ているだけなんだよ」と、上機嫌に言われる。
「それはアインシュタインのE=mc2ですね」と、ふざけて返す。何がしか宇宙(地球)の法則が
働いているとすれば、あながち出鱈目とも言えない。 
 とかくして、賑やかに上ると小高い場所に出た。標識は73で、70番通り詰めのサクラ保存
林が眼下に望める。きっと花見の際のS席に違いない。ここがゴールでよかろう。

  稜線をやはらかくして冬紅葉          かおる

  ひと叢の緑を遺す紅葉愛づ          ひでを

 紅葉して落葉するのと、しない常緑の広葉樹とが稜線を作っている。その一部は丘の上まで
桜木に埋もれる。小春日が丘陵を隈なく照らし、葉を散らした枝垂桜は一枝一枝まで見える。
しばし三方を眺めては、いくつもの嘆息を置き土産にした。 
 帰路は下り坂が多く、足取りも軽い。ちょっと道草を食って東側斜面の50番道に入る。72と
71番の間に58番の階段道が切れている。高さ20センチほどの、木組で土留した階段が続
く。上るとステップに散り敷かれた無数の団栗に足を取られた。

  団栗の道にすべるも佳き日和      ゆきこ

 どうやらスダジイの実のようだ。小粒なのが憎い。57番のヘアピンカーブに飯桐(いいぎり)が
赤い実を付けていた。56番まで行って、また日射をたっぷり浴びた。下の斜面に枯尾花、千
本槍(ムラサキタンポポ)の穂が揺れる。
 56番から、さらに90番通りの第3樹木園に入れる。今回は、これ以上の散策を諦め、いつ
かまた訪れる日の楽しみに取っておきたい。

    ひとひらの紅葉かんざし老婆行く      木の葉

 百代の過客たる人は、月日と共に、行けば帰るのくりかえし。紅葉も一時、髪に、眼に、心に
とどめようか。
 ※宇津田(うつた)姫は冬の女神。春は佐保(さほ)姫、夏は筒(つつ)姫、秋は龍田(たつた)姫と
揃って四季を調えるとされる。


■八王子城址の風の中で

 午後2時頃、タクシーを呼んで八王子城跡に向かう。日の短さを考え、森林科学園と2か所を
2時間ずつ過ごす計画である。高尾街道を西に折れて、ほんの5、6分で着く。
 八角形のガイダンス施設があり、八王子城と城主北条家代々の事蹟が映像や地図模型など
で解説される。われらセミの会にとっても縁が深いところは、毎春に花見吟行を行う滝山城址
(同じ八王子市内)から移転されたこと。それは、北条家の敵が甲斐(現山梨県)の武田家から
豊臣家に変わった表れである。

    ゐのこづちに攻め立てられて古城跡    舞九

 ゐのこづちは、実を抱く苞(ほう)に刺(とげ)があって衣服に着く。いつのまにかズボンの裾を
侵している。この城は、結局豊臣家配下の前田・上杉連合軍によって未完のうちに攻め落とさ
れた(天正十八年=1590)。北浅川と城山川に挟まれた天然の要害である深沢山を活かし
た築城だったが、武運つたなく終わった。
 標高460メートルという本丸跡までは、初めから行くのを諦めた。片道約40分の行程は、俳
人ではなくシルバー登山家に任せればよい。われらは復元が進む御主殿跡をめざす。城山川
沿いを上り、途中には曳橋、御主殿の滝など見どころがある。

     蜘蛛の囲にとどまる枯葉一列に     ゆきこ

 八王子市は城跡を観光資源として活用する狙いらしく、復元整備に力を注ぐ。城が無いにも
拘らず、なぜかもう「日本百名城」の仲間入りをしていた。大手門跡のすぐ側は有力家臣の屋
敷跡で「アシダ曲輪(くるわ)」と呼ばれる。この辺りが、きっと土産物の売店や食堂の並ぶスペ
ースになるのだろう。

  我が方へつぶてのごとく枯葉降る     かおる

 行政にいちいち物申すような姿勢は、せっかくの吟行をつまらなくする。泥中に咲く蓮華を見
いだすのが俳人の務めと心得て、移ろいやすい属目吟に徹しよう。
 曳橋に出た。20メートル程の立派な木橋だが、台風で足場が悪くなり通行止めになってい
た。橋下に水はない。微かな水音に導かれて行くと、岩陰に御主殿の滝が見つかった。一条
のかぼそい垂水である。それでも永劫に流れるかのようだ。

    滝の水落葉の底に消えにけり       ひでを

 曳橋を渡り、曲輪内に入ったところが御主殿跡で、石積みの虎口から入る。石垣は遺構と新
規に復元した部分と、明らかに異なる。虎口の石垣は機械で切断したような整然さが妨げにな
って、古い石垣の持つ温もりが感じられない。御主殿の再建場所にも、新しい石組みの土台が
据えられていた。
 
  荒城や風一陣のいてふ降る       壯治

 奥まったところに、御主殿のシンボルであったか大きな銀杏の木があった。銀杏は根や幹に
水分をたっぷり保存して燃えにくく、現代でも防災には有用だと聞く。休憩コーナーで、宗匠が
しきりにカメラを操作しておられる。珍しいことだ。以前から「吟行にカメラは要らない。句で景
色を切り取るものだ」と、戒められた。理由を聞くと「遠くが見づらくなってな。これは望遠が利く
ので、デジタルで拡大して見ているんだよ」と、ワイド画面を示された。
 ひでを宗匠は熱烈なラグビーファンでもあり、一冬、大学や社会人の試合をよく観戦する。
「この間、これが思わぬ威力を発揮したよ。競技場の上空を飛ぶヘリが映っていて、拡大して
みたら珍しい二軸のプロペラ機だった」と相好を崩す。そう言う間もカメラを動かし、何か興味
深げに身を屈める舞九さんを捉えた。

  城跡の枯葉に埋もれ牛馬の碑     舞九

 牛馬の碑を見たのは、舞九さんだけだったかもしれない。これぞ属目の成果。
 もう一度、御主殿の外に出る。かおるさんが来て「柚子がたくさん生ってるんだけど、崖っぷ
ちで手が届かないのよ」と言う。代わって取ってやることにした。低い位置の実はすでに取られ
たらしく、高いところだけたわわに残る。そのままでは175センチの身長でも届かないが、枝を
少しずつ引き下げれば一つ二つともぎ取れる。棘に気をつけながら、女性三人の分だけを取
った。
  
  フェミニストの柚子泥棒を許されよ      ひでを

 柚子泥棒と言われて、盗んだという自責の念がにわかに湧く。国盗りに明け暮れた戦国武将
に比べれば、みみっちくも感じられる。狂言の花盗人は和歌を詠んで許されたので、反省の念
をこめて…

  香りよき柚子を女のため盗む              壯治

 城跡や古戦場は、栄枯盛衰の世を偲ぶよすがになる。また、詩の主題にも。
芭蕉翁は〈夏草や兵共がゆめの跡〉と、深い鎮魂の念をこめて詠んだ。歴史の上で、さらに幾
多の戦争を経験した後の世代の私たちは、鎮魂の上に恒久平和の祈念をこめて詠み継がな
ければならない。
 国を盗もうと望む野心より、柚子を盗む風流心に生きたいと、つくづく思う。

  城跡やりんどうのいろ末枯れをり     かおる

「いろ」もまた、栄枯盛衰の法則から逃れ得ない。時間という厳格な執行官に、運命を委ねるし
かないのである。
 日が傾き、風が冷たくなってきた。われらも帰る時間になった。再びタクシーを2台呼ぶ。待
つ間、宗匠が微笑しながら呟いた。
「おっ、4時ぴったりだ。ずいぶん時間に正確な幹事じゃないか…」

■晩秋の舌は躍る

 JR高尾駅から都心までは約1時間を要する。できるだけ都心に近い駅前で句会を催した
い。そこで浮上したのが阿佐ヶ谷である。かおるさんがお住まいで、心当たりの店も多い。「フ
レンチはどうかしら」との提案に、みんな「いいね」の声。梅の頃、世田谷線下高井戸駅前でイ
タリアンの洒落た店を見つけた経験が、「フレンチもOK」の気分を育んだのかもしれない。
 阿佐ヶ谷駅北口徒歩5、6分のレストラン〈※101(アンゼロアン)〉に着く。毎年忘年句会を開
く蕎麦の店〈一榮〉のほぼ斜向かいにある。残念ながら、舞九さんは所用があって国分寺で別
れた。舞九さんを始め、後日、食事してみたいという方々のために当日のメニューを紹介しよ
う。
 本来はアペリティフ(食前酒)の後に前菜となるのだが、まず「サーモンのカルパッチョ」がお
通しのように出た。すでに赤ワインで乾杯している。その解説は後にしてとにかく料理から。次
が前菜盛り合わせで生ハム、鳩麦とひじきのサラダなど五品ほどの皿。穀物もあるので、案外
腹にたまる。
 次がメインディッシュかと思いきや、もう一品「キッシュロレーヌ」が出る。
「うわっ、こんなに食べたらメインディッシュまで行けるかな」と、つい弱音も。なにしろカサゴの
ポワレ、鴨のコンフィー、和牛ステーキ、羊背肉ローストの四品のうち、最もヘビーそうな「和
牛」を選択していた。しかし、そんな弱音は杞憂も杞憂、みなさんがご注文の品も和牛と少しず
つトレードし、結局すべて味わい尽くしてしまった。ああ、意地汚なや、食いしん坊。ちなみに、
ひでを宗匠とゆきこさんが「カサゴ」、かおるさんは「羊背肉」、木の葉さんは「鴨」をチョイス。い
ずれも丁寧な下ごしらえと味付け、盛り合わせが過不足なく調和していて、若いご店主の職人
肌と気風(きつぷ)の良さを感じさせる。
 最後のデザートもご店主の好意で、チーズ三種盛りにしていただく。むろんコーヒー、紅茶が
付く。このディナーセットが3500円(和牛、羊背肉は+300円)とは良心的だ。
 さて、ワインである。実は、この明くる日がボージョレヌーボーの解禁日であった。まさかと思
いつつ「ありますか」と問うと、「去年のを取ってありますが、それでよければ…」という意外な答
え。珍しさにそそられて頼んだ。〈2012コスモ・ジュン〉、日本人女性醸造家の作だそうだ。
 旨い料理にワインも進む。お替わりは〈エルサ・ビアンチ・マルベリック〉。アルゼンチンワイン
である。好みはいろいろあるが、こちらの方がマイルドで口に合う。
 ナイフとフォークを時々ペンに持ち替えての句廻しは、忙しくも不思議な感覚である。木の葉
さんの極め付きの一句で、幸せな一日を締めていただこう。

 十一月のその日のイブに
  ヌーボーや時間泥棒になつてやる       木の葉

 こんな時間なら盗む価値がある。








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