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平成二十五年六月十九日(水) 一二三壯治記
ままならぬ梅雨時の吟行とて、なるべくは屋内に難を逃れるべく練った企画だったが、折から
の青嵐甚だしく、かつまた後刻沿岸部で荒れるとの天気予報にいとど心うち砕かれ、ひでを宗 匠と相談の上、早々と金沢八景行きを諦めた。さりながら折角の参加者六名の心意気を惜しく も思い、試みに都内での昼食会を提案したところ、おしなべて快諾の由。所を宗匠宅に近い恵 比寿ガーデンプレイスと定め、午後一時に三々五々集合と相成った。
改めて語るも蛇足ながら、恵比寿ガーデンプレイスは旧日本ビール、下っては「ヱビスビー
ル」発祥の地にて、かつてはビール製造から全国津々浦々への発送を業とした工場跡地にし て貨物発着駅。今日その姿は、多機能ビルという範疇で括られ、居住空間、ショッピング街、レ ストラン街、ビジネススペースなどが一体となり、快適で贅沢なアーバンライフとやらを提案か つ提供する。但し我らがひでを宗匠に於かれては、まさに「ガーデン=庭」のように自由な散策 の小径としておられる。
さて六名の落着いた先は、ヱビスビールの親会社サッポロビールが経営する「ビアステーシ
ョン恵比寿」。ランチタイムのピークを過ぎた二階の店内は、古びた板張のフロアに空席もちら ほら見え始め、斜めに奥へ奥へどんどん進むとどん詰まりながら階下と吹き抜け空間が広々 と視野に入るテーブルに案内された。放歌高吟はせずとも、微醺を帯びれば自ずと声高になり がちなセミの面々には、いささか隔離の体とも見える席が、騒音を周りに撒き散らさぬために も却って幸いなるかな。
人間たるもの口がある。飲み食いの用のほかに、楽しくも厄介なのがしゃべる機能を持つ
点。まして当会はおしゃべり好きが多く、一たび酒が入ればなおさら、セミのセミたる面目躍如 の談論風発に及ぶ。
まずプロローグとして、弁舌刺激剤たるビールの蘊蓄話から始めたい。
ビールは俳人にとって夏の季語だが、言うまでもなく年中あり、世界各国ではむしろ常温で飲
むのが一般的らしい。色で分類するなら、ヴァイツェンが白の筆頭。たいていは大麦が主原料 のビールの中で、小麦を五〇%使用する。苦味が少なく、小麦たんぱくの甘さがストレートに楽 しめる。これは木の葉さんと筆者が一杯目に注文した。
ヴァイツェンと対極にあるのが黒のスタウト。ビール原料の麦芽を焦がして用い、コーヒーに
似た苦味をもたらす。世界的には『ギネスブック』で有名なギネスビールが名品だ。ひでを宗匠 を始め、ほとんどのメンバーがこれ(但し、サッポロ黒生)を選んだ。その他、日本の多くのビー ルメーカーが得意とし、大きなシェアを誇っているのがピルスナータイプ。ホップを利かせた鮮 やかな黄金色が特徴だ。
ピルスナーはクラフトビール(直訳すれば、工芸品のようなビール)に分類され、近ごろ流行
の地ビールもそれに該当する。発酵法の違いで、エールタイプ(上面発酵)とラガータイプ(下 面発酵)に分かれる。
ビールに合うつまみは数多ある。人それぞれに、と言っても言い過ぎでない。筆者は枝豆を
第一としたいが、「焙ったイカでいい」と言う声も厭わない。やや脂肪分の多い肴なら、ビールで 舌を洗う感覚がたまらない。このビアホールはドイツ風につき、敬意を表してソーセージの盛り 合わせを選択。トマトの冷製、シーザーサラダを副菜に追加した。時間を置いて次に頼んだの は、スペアリブのソテーとオムライス。いずれも二人分を六人でシェアしたので、一人当たりの 分量は決して多いと言えない。
それでも口は徐々に弁舌熱を帯びていく。ひでを宗匠が、ラスベガスへの旅を語り始めて、
舞台なら第一幕が上がった気配。「ギャンブルですか?ショーですか?」と問えば、「小型機で 遊覧飛行をしたんだ。いやあ、アメリカという国のデカさがよーくわかったよ」と声を弾ませた。 宗匠の巨大な眼底には、砂漠に突如現れるオアシスとして克明に記憶されているのだろう。テ レビや映画でしか知らぬ者には、ネオン煌めく猥雑な楼閣群しか想像できない。
次いで風天子さんが、北イタリアの旅を語る。ミラノ、フィレンツェなど、いわゆるトスカーナ地
方を含む一帯で、食と芸術、建築、ファッションの宝庫だ。「どこでも食い物が旨かったよ」と、 健啖家ぶりは衰えを知らない。「イタリアンは飽きないですね」と、誰もが同調する。それにして も、今まさに飲み食いしながら、なおかつグルメ話に傾く貪欲ぶりは如何なる前世の報いに や。いやいや、さにあらず。耳からの刺激も加わって五感が一斉に花開くようで、あながち不健 全とは思えない。口福が至福に変わる気分だ。
俳句仲間(結社とは言わない)の良さは、時間の経過とともに然るべき話題に高まっていくと
ころか。つまり食の話題に止まらず、それを契機にちとハイブラウな話に進む。風天子さんの 「今日は桜桃忌だそうで、天声人語に『文豪・太宰治』なんて出ていたけど、太宰は文豪か ね?」の問い掛けが、あたかも第二幕の序。これには、みな一様に首をひねった。現天声人語 子は五十代後半だというが、日本で文豪と言えば漱石、?外を挙げるのが妥当と思える。そこ から「文豪と呼べるのは誰か」で、ひとしきり盛り上がった。「太宰を言うなら、谷崎潤一郎の方 が上だろう」「言葉として文豪を知った最初は、ロシアの文豪ドストエフスキーでした。やっぱり、 あれぐらいの格でしょう」「現代ならノーベル文学賞を取れば文豪と言っていいんじゃないです か」「じゃあ、もうすぐ村上春樹も入るわね」「春樹の今度の小説は難しいな、『ノルウェーの森』 あたりはいいと思う」「しかし、生きてるうちに文豪とは呼べないのでは?」「紫式部はどうです か」「文豪と言うと男のイメージだね、剣豪、酒豪もあるし」などと清談は尽きない。酒や料理を 運ぶウェイター&ウェイトレスには、まさにセミの声のように聞こえたかもしれない。
やがて夢さんが「この会はいいわね。ほかの結社では主宰が話すばっかりで、こんなに自由
にしゃべれないもの…」とぽつり。それでまた「自由に乾杯」といった心持ちで、各々二杯目三 杯目のジョッキ、グラスを傾けた。
初めは昼食だけのつもりで誘ったのだが、「句廻しをやろう」と宗匠が号令を掛ければ、誰も
否とは言わず、初めは処女の如く、終りは脱兎の如し。食後のコーヒーを味わいながら詠み重 ねた名句の数々は、この後、エピローグとしてお楽しみを。
《恵比寿ガーデンプレイス句会》 恵比寿ガーデンプレイス〈ビアステーション恵比寿〉
青嵐梯梧の花を散らしけり ひでを
心臓のやうなトマトを食べてゐる 夢
昼下がり子連れも集ふビアホール かおる
梅雨の中八景島の夢おぼろ 風天子
梅雨さなか午から逢ひて大はしやぎ 壯治
ゆうるりと時の流るる桜桃忌 木の葉
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