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平成二十四年九月十九日(水) 一二三壯治記
■水上バスに客五人
俳句の会といえば、どこも女性が優勢と聞くが、我れらがセミの会は男性も多くがんばってい
る。今回はその証というべきか、男五人だけの吟行になった。
前日来の風雨が朝まで残った。午前10時過ぎ、小糠雨のなか水上バス両国発着場に集ま
ったのは四人。ひでを宗匠だけは、三つ目の浜離宮発着場から乗る。
秋雨や貸切り気分の川くだり 建一郎
乗客は私たちだけ。途中で乗り込む客もあるかと思ったが、終着まで増えなかった。140人
乗りに5人はいかにも寂しい。3名の乗務員と乗り場係の数(2、3名)、燃料代などを考えれ ば、他人事ながら経営が心配になる。東京都の公益財団法人が経営母体だから、ここにも 「親方日の丸」の弊がはびこるか。
「水嵩まさる大川の上げ潮南でざぶうりざぶり」と、落語『野ざらし』で描写される隅田川。現代
は水上バスや砂の浚渫(しゅんせつ)船などの航路として、堅固な護岸に覆われ風情に乏しい。 全体的にコンクリートのグレーが基調色だ。
船は、いったん浅草へ上る。完成したばかりの東京スカイツリーが太々しくそびえ立って見え
る。周辺は逆に、大勢の来客でごった返していることだろう。
野分去る橋をくぐればスカイツリー 有史
スカイツリーは、すでにいくつか絶景ポイントが知られている。吾妻橋上にもカメラを構える
人々の姿が見えた。今後、船上からの眺めも加えられるかもしれない。浅草発着場を離れる と、下流へ大きく舵が切られた。
秋水に舟出せ潮の香るまで 壯治
水上バスは波しぶきを立てながら、次々に橋をくぐって進む。「いざ言問はん」までもなく、ス
ピーカーから橋の名が流れる。清洲橋、永代橋、開閉式の勝鬨橋と続く。昔ながらの名がうれ しい(三橋とも国の重要文化財)。途中、柳橋の船着場が見える。「あそこで芸者遊びに上がっ たんだな」と某氏。「今も数は少ないが、芸者は居るらしいですよ」と別の某氏。話もおのずと男 臭くなる。
橋づくし秋大江戸の広さかな 風天子
築地市場から漂う魚臭さも一瞬、船は浜離宮に着く。発着場に、ひでを宗匠の姿は見えな
い。手続きか何かで手間取っているのかと思う間もなく、小走りに急ぐ巨体が現れた。宗匠が 一人乗り込んだだけで、客室は10人も増えたかと思えるほど賑やかになる。山手線の人身事 故で遅れ、タクシーを飛ばして来たと息を切らしながら言われた。
「船を少し待たせておいてもらおうと携帯に電話したけど、ちっとも出ない」と、ご不満の体であ
る。「船の音がすごいもので…」と言い訳しつつも、まずは無事乗船されたのでめでたい。雨も すっかり上がり、河口近くでは雲の切れ間から秋の陽射しが覗く。
レインボーブリッジの辺りはもはや海の領域だ。潮の香りが濃い。お台場にフジテレビのビル
や観覧車が見える。東雲、有明、天王洲など一帯はほとんど埋立地ながら、若者に人気の大 アミューズメント空間を形成している。こちらの経営は「ほくほく」という声が聞こえそうだ。
かつて江戸前と呼ばれた海上を悠々と遊覧する。昨年完成したばかりの臨海大橋(恐竜橋)
をくぐると、ゴールの葛西臨海公園は目と鼻の先である。
東京湾の恐竜橋とや秋の潮 ひでを
首の長い恐竜が両側から接するような対称形ゆえに、そう名付けたらしい。ほのかにアイロ
ニーを感じる。一方で首都直下型の大震災を怖れながら、他方で埋立空間の施設一つにまで 愛称を付ける。恐竜と同じ運命にならないことを祈りたい。
■葛西臨海公園にて
約2時間のクルーズは、他に客の居ない解放感もあって思う存分楽しめた。バルコニーに出
て航跡を眺め、また諸方を指差して「あれは…」「こっちは…」と確かめ合うも心躍る。
来し方を思ふひとときゆりかもめ 風天子
あいにく富士こそ見えね、居座る夏雲とさまざまに変化する秋雲とが、あたかも雲の展示会
のように空を彩って見飽きない。老紳士たちはみな少年の表情に変わる。葛西臨海公園に着 いた頃には、なんとなく宝島にでも上陸するような高揚感を覚えた。
秋の潮寄すすなはち国境線 壯治
世間では、尖閣諸島をめぐる中国との対立が尖鋭化している。そこにも石原慎太郎知事の
東京都が、魚釣島の購入をめぐって深く関与した。あちらの老紳士は、いまだに冒険少年の熱 が冷めないと見える。
秋暑し吟行途次の与太話 建一郎
「与太話」は謙遜すぎるが、ずっと世間話が絶えなかった。男というものは、記憶や情報分析や
持論の虫干しのような応酬が大好きなのだ。
都立♀巨シ臨海公園は、約80万uの敷地に鳥類園、水族園、大観覧車、宿泊施設、各種
広場などを併せ持つ。隣接する都立葛西海浜公園に至っては水域を含めると400万u以上 で、魚釣島の面積(約364万u)を上回る。
昼食を〈ホテルシーサイド江戸川〉のレストランで取り、腹ごなしに東端の鳥類園まで歩く。計
画していた水族園めぐりは、定休日で諦めざるを得ない。
「水曜日定休という施設は多いんだ。観覧車は大丈夫だろうな」と、宗匠から声がかかる。北
西の空を見やれば、観覧車がゆっくり動いていて、人影もちらほら。「動いているから大丈夫で しょう」と、アバウトで鳴る幹事は答えた。
鳥類園ではウォッチングセンターに上る。南に海を、他の三方に淡水池と汽水池を望む。建
物は円形で四囲が開け、望遠鏡で多種の水鳥を観察できる。
葛茂る水平線の果てまでも 有史
南側は、高く広く生い茂る葛の葉に視野を狭められている。有史さんには、「恨み葛の葉」と
いうところ。思えば地名も葛西(葛飾も近い)。昔は真葛原が多くあったのではないか。海辺に は鴎、鷺に交じって黒い海鵜が目に付く。一方、池の杭には鴫が止まり、西行法師の「鴫立つ 沢」の趣を生む。
心なき身にも哀(あはれ)はしられけり鴫たつ沢の秋の夕暮 西行
「秋の夕暮」前に、今日のメインイベントとなる大観覧車に向かう。各施設間は径で結ばれ、路
傍を秋草が覆う。
秋彼岸まであと三日曼珠沙華 ひでを
河岸や海の寒色に馴染んだ眼は、曼珠沙華の朱色にひとしお強く引かれた。
■観覧車から鳥瞰す
大観覧車(正式名称「ダイヤと花の大観覧車」)には、二人と三人に分かれて乗る。二人組は
宗匠と建一郎さん。ゆっくり動くゴンドラを係員が押さえているうちに体を入れる。内部は二畳 ほどの広さで高さ約2メートル、6人乗りだ。客が少ないので、後の三人は二台間をあけて乗り 込んだ。
一周約17分は長いか短いか。山手線なら、東京?巣鴨間(内回り)ほどの感覚だ。揺れはほ
とんどないが、視界が高く遠くに開けてくると、どうも尻の辺りがむず痒くなる。恥ずかしながら 筆者は高所恐怖症の気味があり、観覧車は初体験なのである。最高所は117メートルに達す るという。
観覧車それも高きに登るかな 壯治
ゴンドラでは、BGMと説明の放送が流れている。公園の広大な駐車場が小さくなると、天を
摩すビル群や塔がすっくと立体的に迫ってくる。スカイツリーはもとより、東京タワー、六本木ヒ ルズ、新宿新都心などはすぐにわかる。それらランドマークの隙間もびっしりとビルが埋め尽く す。東京は真に巨大だ。
先刻クルージングを楽しんだ隅田川から東京湾も視野に収まる。
観覧車両手で掬ふ秋の海 有史
それはまさに巨人か天女の視界である。チェスの駒のように、ビルや船が手につまみ上げら
れそう。
「埼玉の我が家は見えないな」と、狭山市在住の有史さんが笑う。
富士、筑波も霞んで見えず、西の山並みは丹沢山地か。いよいよ最高所に達すると、丁寧に
も「ただいま最高地点です」と放送が入った。
「みんな同じ放送かと思ったら、ゴンドラごとに違うんだ」と風天子さんが楽しげに言われた。
秋の雲天かきむしる観覧車 風天子
観覧車全体の直径が111メートルというから、円周は300メートル以上。約1分くらいは最高
点のまま、横にシフトしているように感じられた。言い訳じみるが、高所恐怖症のせいもあって 怏々として楽しめない。下るにつれて、安堵感が高まってきた。先行の二人組はどうだったろう か。
コスモスや鳥の眼をして観覧車 建一郎
水上バスでは「観覧車というと映画『第三の男』を思い出す」と話していた建一郎さんであった
が、それを詠んだのはひでを宗匠の方である。
観覧車のオーソン・ウエルズ鳥兜 ひでを
大学生のころから親友のお二人。筆者の目には『第三の男』の主演オーソン・ウエルズ(宗
匠)とジョセフ・コットン(建一郎氏)のように映った。映画の観覧車シーンでは、悪事(粗悪なペ ニシリンを横流しして暴利を貪る)に手を染めるウエルズ(役名ハリー・ライム)に三文作家なが ら正義感の強い親友コットン(同ホリー・マーチン)が自首を促すのだが、聞き入れられず逆に ゴンドラから突き落とされそうになる。最もスリリングな場面だ。
ウェルズは後半に登場し、圧倒的存在感で観客を魅了する。悪役ながら少年のように憎めな
いのだ。観覧車から地上の人々を見下ろし「あの点が一つ二つ消える度に大金が手に入るん だ、仲間に入らないか」とか「ボルジア家は血の闘争の果てにルネサンスを生んだが、スイス は何百年もの平和で生んだのが鳩時計一つだ」などの台詞が水際立っている。
ツィターのテーマソングもいい。サスペンス映画に似合わぬ軽快なメロディが音楽の都ウィー
ンの風景と調和し、少年のようなハリーを愛するアリダ・ヴァリ(役名アンナ・シュミット)と三者 三様の哀感をよりいっそう深める。
「ラストシーン(ファーストシーンも同じ)の墓地に行ってみたよ。ちょっとした名所になっていてな
あ」
「だけど、行ってみてがっかりする所は多いな。映画になると、どこもきれいな所だと錯覚してし
まう」
「観光PRみたいなもんですからね、昔の映画は。今のアメリカ映画なんて、コンピュータと兵器
の広告みたい。結局、映画は国策なんですよ」
以上は地上に降り、八丁堀駅近くの居酒屋〈楽食家 樹庵〉で酒杯を傾けながら話したこと。
今宵こそ秋暑の果ての予感かな ひでを
舟盛りの刺身をどんと注文したが、猛暑に縮んだ胃袋はまだ食欲を回復していないのか、ず
いぶん残してしまった。「与太話」の口だけはよく動いた。
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