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羽田から鶴見へ 初吟行記
2012年一月十八日 吉村かつら記
■穴森稲荷
1月の初吟行、近場の穴場ということでかねてより気になる羽田近辺、京急沿線。
京浜急行というのは不思議な電車である。いつ乗っても、大体座れる。発車するときに、ドー
レミファソラシドと、詰まった音階もどきの発車警笛が鳴る。蒲田駅では同じホーム同じ番線に 右に進む電車が来たり、左に進む電車が来たりする。
羽田の江戸前の味を探訪するということで、珍しく昼食前に集合。穴森稲荷なんてひなびた
名にたがわぬ駅前には、なんとキツネの石像が鎮座。キツネ目を隠すように笑い顔しているキ ツネは大きな白いマスクをしてインフルエンザ予防をよびかけるか。
マスクしてコンちゃんといふキツネ像 壯治
ゆかしい木造家屋の駅前うどん食堂を横目に、線路を渡りネットで検索した国道脇の店へ。
私たちだけの昼席である。小上がりにひざを詰めるようにしてあがりこみ、貼り紙にあるラン チあなご天丼900円也を頼む。意外や意外、ごはん少な目が多数を占める。いや、ぱりっとあ がった天ぷらにしっかりした濃いめのたれ、堪能いたしました。ほんの少し昼酒を頼み、自家 製のりの佃煮をつまむ。これが潮の香りの贅沢品で、一同感激。今日は幸先がよい。この店、 「ゆたか」という凝らない名前もおくゆかしい。ここで、宗匠のたまわく、簡単な名前の居酒屋は 大体うまい。そうやって人少なな街を昼日中行くと、確かにありげな名前の飲み屋が目につい て仕方がない。仕舞屋も多い町に風が吹き、コートがはためく。
北風に漢の貌を取り戻す よろこぶ
穴森稲荷に参拝。横手の参道から侵入したところ、廻り縁つきの立派な神楽殿、古いいなり
像が積み重なるように並ぶ小さな末社。そして本殿脇稲荷社には朱塗り鳥居がお決まりの通 り何本も据えられている。数メートルのラビリンス、数々の鳥居を抜けて溶岩でできた富士 山?大山?に詣でる。このあたりでは品川神社の大きな人工富士山が有名であるが、ここの ものは本殿の裏山然としていて、深山幽谷を逍遥した気分。化かされたとて、なんぼのもん や。
厄年と知りたる稲荷の皮衣 ひでを
本参道から帰ると、鳥居脇にはあぶらあげありますとの貼り紙が。しかし、豆腐屋ではなく、
稲荷グッズを売る昔からのお店。両脇に往時には土産物を売ったであろう家々、二階座敷の 料亭が続く。昭和の初めにスリップした気分である。
空港のとなり町なる古稲荷 かつら
■鶴見の大刹総持寺
満足して再度京急に。運よくきた逗子行に乗り込む。もはや居眠りモードである。鶴見駅で降
り、最近できたタワーマンションのビル風にあおられながら、総持寺を目指す。鶴見は港湾線 の始まる駅。駅の海側には沖縄や台湾料理店などがならび、知る人ぞ知るアジアンタウンでも ある。総持寺の山門に到着したが、そこからが長い。寒いのと距離があるので、寡黙になりが ちな一行に、カメラを構えて話しかける人あり。寒修行の托鉢僧の列がもうすぐ街に出かけて いく。それをねらったアマチュアカメラマンたち。映り込まないように気を付けながら、我々も僧 の列を待ち受けることとなった。若い修行僧たちが二,三2、30人列をなし、オウーとおらびな がら、鉢を抱えて街へ向かう。
冬旱托鉢僧の街を行く よろこぶ
着ぶくれて裸足の僧を迎へをる かおる
来訪者受付を経て、やがて我々を案内してくれる青年僧がやってくる。学校では、お互いの
呼び名は先生、ここでは、すべて和尚である。青年和尚まだ2年目の修行中。
コートも着たまま、スリッパも履いて、と言われてほっとする。堂宇参観を申込んだものの寒さ
におじけづき、一様にふくらすずめ状態で参集したのだ。踏み入れた長い廊下。百間廊下と聞 かされる。毎日修行僧が水拭きするおかげの温かい金属のような輝きとなめらかさにため息 がもれる。
総持寺の足袋なき僧の寒さかな ひでを
総持寺はもともと永平寺と並ぶ曹洞宗の本山であり、能登半島に大伽藍を持つ寺であった
が、明治の半ば全焼してしまった。そこでの再建を目指す声もある中、都市化が進む東の都で の計画が起こり、鶴見の地を寄進され現在の土地に再建された。そのとき、火事の教訓を活 かし、建物を左と右に遠く離して配置し、それをつなぐために長い長い廊下を作ったとのこと。 やがて、数人の修行僧が向こうからやってくる。脇によけるように言われて一段下がると、静か に見えた彼らが思いもよらぬ速度で通り過ぎた。無駄なく、急ぐことも修行のうちなのである。 今日は一行、感心してうなづくばかり。
冷たさや百間廊下の黒光り 壯治
禅寺は、声で知らせることはない。日々の日課の多くは鳴り物と呼ばれる木製の板や金物を
打ち鳴らすことによって知らせる。
入ることは許されなかったが、修行僧の座禅堂前で説明を受ける。床は石、天井は高く、い
かにも寒そうである。そこに単と呼ばれる一畳に満たぬ広さが与えられ、そこに寝て、起きて 布団を仕舞い、座禅し、朝5時過ぎから本堂において朝課と呼ばれるお勤めに出て、作務を済 ませ、朝の粥を食する。朝粥は漆塗りの器で、単のはじっこの木枠の部分を卓にして沈黙のう ちに食べる。粥と漬物と汁だけの食事であるが、たくわんを一切れ残し、器を清拭する。昼間 はそれぞれの職務について過ごす。ざっとこういう生活を20歳そこらの若者たちが数年間送 るのだそうだ。
寒の夜や起きて半畳寝て一畳 壯治
私たちの案内をすることも修行の一部である。最初は僧侶に対して丁寧に恭しく接していた
我々であるが、慣れてくるともう、好奇心がうずいてしかたがない。修行はいつ終わるの?と尋 ねると、青年和尚遠い目をして、
「師匠がいいと言うまでです」
百間廊下の先が遠く静まり返った。
堂宇めぐりの終盤は、貴賓室。狩野派の襖絵や賓客の上の間の立派さに驚く。僧たち、この
間を掃除するのはこわごわだそうだ。粗相したら取り返しがつかない。怒られるどころじゃない と実感込めての説明に、つい、「これ以上頭丸められないものね」と言ってしまいました。
襖絵の龍の輝き寒の寺 よろこぶ
冷たい堂をめぐる時間だったが、散歩と呼ぶにふさわしい移動距離のため、一時間の参観
の間、体は冷えることはなかった。日本で一番大きな木彫の大黒様を拝し、出発点に戻ったと ころで青年和尚ともお別れ、一期一会、よい出会いでありました。合掌。
さて、さきほど街に出て行った托鉢僧たちが戻る時間が近づいているらしい。本堂に残る僧
たちが作務衣姿で、湯を入れたバケツを準備する。足を洗う湯だろうか。修行僧のくるぶしか ら先は、神経が通って歩くことに集中しているのが見て取れる。托鉢を終えた戻りの僧は、あ る種の熱気を帯びていた。
寒行僧足指の朱ただ美し かつら
戻りの坂道では、往路に気付かなかったものが見える。空が広い。山門の高いこと。都会の
中にあってこの堂宇の広さに気付く。
堂塔の高きに群れる寒鴉 かおる
■鶴見豊岡商店街に〈慶和楼〉
石畳をゆるゆる下り、街中の会場に向かう。鶴見という街は、横浜市であるが、港湾地区、
工場地帯として、川崎とのつながりが感じられる下町である。JRの駅の前からは古い商店街 がそのまま国道へと続く主要道路となっている。
いくつか中華の店があり、名店ぞろいであることを幹事は事前調査しておいた。円卓を我々
が囲むとあとは席が5つ6つという店であるが、注文を聞いてくれる女性の笑顔も気持ちがよ い。なかなかの料理を出す。カキのいためもの、レモンをきかせた白身魚のあんかけ、小龍 包、餃子、黒酢の酢豚などなど。5人で分け合うのにちょうどよい量でもあり、昼といい夜とい い、江戸前、鶴見の旅は美食行ともあいなった。
5人での吟行はけっこうまとまりよくていい感じだったが、句廻しではすぐに順番が回ってく
る。ごちそうだけでいいじゃん、って気持ちになりながら紙が回ってくると思案するも楽しい。そ のうち、本日の吟行止めにふさわしい句が出ることとなった。
初海苔を少し貰うて昼の酒 ひでを
こののち、豊岡商店街イタリアンにて、ホットワインを中心に全員参加のもとに二次会も堪能
したのでありました。ごちそうさまでした。
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