滝山城址公園花見吟行記

滝山城址公園花見吟行記二〇一一年四月十三日(水)  一二三壯治記


■大震災のあとで
 今年の花見吟行は、いくつもの理由で忘れられないものになるだろう。
 三月十一日、東日本の太平洋側を襲った巨大地震と津波で、関東在住の私たちもしばらく
生活の自由と精神のゆとりを奪われた。花見どころか、三社祭、神田祭などの大きなイベント
も早々と中止が決まり、世は自粛ムードに包まれる。
 木下ひでを宗匠との相談でも「中止」の二字がちらついたが、「四月になれば…」という思い
から、参加不参加は会員諸氏の判断に委ねて決行することにした。ただし、滝山城址の満開
日を予想して第二週に日程を動かす。大震災から約一か月後になるし、世の状況も少しは変
わるだろうと考えたのだった。
 花見吟行の当日、八王子の空は晴れわたり風もない。大気はやや湿り気を帯びて生暖か
い。滝山城址千畳敷址の桜の木々は、これまで七度見た桜のどれよりも大きく咲きほころび、
碧空を埋め尽くしていた。
 この日一日は、この満開の桜に寄り添って時を過ごしたい。いつもセミの会の〈指定席〉にし
ている八畳間ほどの土手は先客が座を占めていた。しかたなく、擂り鉢状の千畳敷の底の草
原まで下り、八方が見渡せるど真ん中にビニールを敷き、でんと腰を下ろす。見上げると、土
手は意外に急峻である。

  いささかの難所もありて花の山    建一郎

「はあっ」と、深い溜息が出た。三十分近く山道を歩いたからか、花の美しさに打たれたから
か、それとも一か月間の重々しい空気から一時的に解放されたからか。なにもかもが入り交じ
ったような安らかな溜息である。

  地震(ない)よそに桜開くや今年また   風天子

  地震のあと桜花びら落としけり     木の葉

 時おり、微風がひとひらふたひらと花びらを運ぶ。「平成の大震災後」という新たな時代に突
入したような世間とは、全く異質の時が流れている。

  若人の聲のひろごり花の下     ゆきこ

 近くの創価大学あたりの学生だろうか。男女ほぼ等しい数の若者たちが七、八人、ボール遊
びやおしゃべりに興じている。とにかくよく笑う。「笑う」という字は、遠い昔「咲(わら)う」と書いた
ということを思い出す。きっと若い全身で咲き競う桜に感応しているのだろう。
 松尾芭蕉は〈さまざまの事おもひ出す櫻かな〉と詠んでいる。今年ばかりは、僭越ながら俳聖
の名句と〈句兄弟〉の杯を交わしたい気分である。

  さまざまの憂さ忘れさす桜かな    壯治

 すでにビールや東北産の酒で酒盛りが始まっている。


■生きるものたちの戦い
 各自が持ち寄った惣菜を交換しながらの「草上の昼食」を終える。言い古されたことだが、野
外で食べる食事は一味違う。すこぶる元気になって周辺の探索が始まった。
 千畳敷址の南側には、どこから流れて来るのか、簡単に跨げるくらいの小川がある。流れは
そのまま行く手を阻まれて、じゅくじゅくした湿地を形成する。よく見ると、そこここに薄く緑がか
ったクリーム色地に黒斑点を散らした大きな蟇蛙がいた。しかも、みな馬乗りに重なっている。
何をしているのかは、言わずもがなである。

   花の下蛙合戦見物す   ひでを

「蛙合戦というやつだな」と、ひでを宗匠が微笑む。「合戦」とは穏やかでないが、それにふさわ
しい場面に遭遇した。すでにカップルを作り法悦境に入っているかに見えたある雄蛙が、その
仲に割って入ろうとやって来た恋敵を、三つ重ねになろうとしたその瞬間、目にも止まらぬ足撃
で蹴り飛ばしてしまったのだ。
 恋の勝者のしなやかに逞しく伸び切った右後ろ足は、五秒ほど静止し、大見得を切るように
ゆっくりと戻っていく。あたかも刀を鞘に収める剣豪のようではないか。他方の敗者はと見れ
ば、四、五十センチも飛ばされて、仰向けのまま何か肉体的な衝撃よりも精神的な痛手から立
ち上がれないかのようだった。自然界の優勝劣敗の構図を、これほど鮮烈に見せつけられよ
うとは…。
 そうして、湿地に再び泰平が戻った。

  蛙らはひねもすのたり乗つてをり   木の葉

 後日、木の葉さんが調べてくれたところによると種はニホンヒキガエルのようだ。いずれにし
ても、よく肥えて精力絶倫そうではある。
「あぶれた蛙が哀れね。身につまされるわ」と、ゆきこさんがつぶやく。
「雌はあぶれないんですよ、ふつう」と、筆者が慰めにもならない言葉をかけた。
「あら、そうなの」と、やや弾んだ調子で応じてくれたので救われた。
 なんとなく、事を複雑に考える人間の方が不自然なのではないかと思わせられた。

  重なりてカーマスートラ春の蟇     壯治

「カーマスートラ」とは、古代インドの性典である。宗教的な法悦を性の営みの中に求めようとい
うもので、一種の邪教として遠ざけられている。あまりそちらの方面にばかり心が向くのも、か
えって自然に背くことになりかねないからだろう。

  野韮ひくその手の覚えなつかしき    ゆきこ

 蛙合戦見物の後、「野蒜」を見つけて摘みはじめたゆきこさんこそ自然をよく知っている。「根
に味噌を付けて食べるとお酒のアテにちょうどいいのよ」と目を輝かす。ゆきこさんの手に束ね
られた野蒜の茎は整然としていて、ぴんと伸びをするように見えた。
 日が斜めになりかけてきたので、土手を上って本丸址から町並みを眺めることにする。

  落武者の逃れし道を花吹雪      建一郎

「落武者」は、人間の合戦における敗者である。あらためて城址が合戦時代の遺構だという事
実を思った。櫓の土台跡周辺には、大ぶりの桜木が幾つも枝を広げていた。
 遠望すると、多摩川の流れを挟む町並みがぼうっと霞み、そのまま風に運ばれてしまうよう
にも見える。願わくは、大震災後という現実を風と共に消し去ってもらいたい。

  花びらにほほずりしたし春うらら    風天子
 

■山あり川あり人あり
 滝山を北側の多摩川方向に下って行く。坂道は小さく幾重にもうねり、農家の庭や畑がなだ
らかに続く。山裾がそのまま多摩川に落ちるという傾斜地である。

  豚小屋の臭ひて来たり山微笑む    ひでを

 春には、ものみな匂い立つ。今は福島県の農家のことを思うと、鼻を突くような豚小屋の臭い
にも安寧と幸福を感じずにはいられない。

  山笑ふ畑には赤い耕運機       木の葉

 滝山は標高160メートルほどの小さな山だが、少し離れてみると稜線が馬の背のようで美し
い。ふもとの家並や木々、畦道、放置された耕運機などは、絵画の点景めいて意味深げに浮
き立ってくる。
 前に一度、多摩川べりに出た記憶を辿って道なき道を進む。土手周辺の土地利用や囲いな
どに多少の変化が見られるくらいで、相変わらず川に近づくほど荒れ放題といった風情だ。ホ
ームレスの青いテントは残っている。主は代替わりしただろうか。
ひでを宗匠が、かつてハックルベリー・フィンばりに登った大木にはたどり着けなかった。川
は、ものも言わず流れている。

  水源は問はねど海へ春の川      健一郎

 きびすを返すと、野茨の藪の中でしきりに鶯が鳴いていた。

  うぐひすのレッスン原野広げては    壯治

 返り見すれば、日はさらに傾く。

  里山の入日正しき虚子忌なり      ゆきこ

 遅日である。滝山の上で西日が臼づいている。日のある間、ずっと野歩きしていたい気分だ
が、立川駅まで出て句会を催す計画なので、れんげ草を掘り起こした田一枚に心引かれつつ
立ち去る。
 タクシーを呼んで拝島駅まで行き、JRで立川に出る。駅ビル〈グランデュオ立川〉の中華街を
模したフロアで、また飲茶(やむちゃ)式の中華料理店に入るつもりだった。ところが、改装中と
やらで計画がここでも狂ってしまった。
 駅南口に出て手当たりしだいに当たると、あるテナントビルの地下一階に居酒屋〈四恩〉とい
う店が見つかった。アジアの多国籍料理が売り物のようである。案内された掘りごたつ風の個
室は六人がゆったりと座れる。まだ客も少なく、店員の応対には親切があふれていた。ビール
やワインに豚の角煮、たこフライ、韓国風チヂミなどをテーブル一杯に並べて句会が始まっ
た。
しばらくは、大震災や原発事故の話題から離れられない。

  地震ありてやさしき人に出あひけり    風天子

「なんだか、電車の中でもみんな優しくなったような気がする」と、風天子さんがしみじみ言っ
た。日本人一人ひとりが、それぞれの大震災後を生きているのである。











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