2010・9世田谷・九品仏・等々力渓谷吟行記
世田谷・九品仏・等々力渓谷吟行記 
  二〇一〇年九月十五日(水)一二三壯治記

■セミの会創設の地へ
 世田谷区尾山台はセミの会創設の地である。木下ひでを宗匠、藤田夢さん、古川アヤさんが
幼少期を過ごし、その縁で会を旗揚げしたと聞く。緑豊かな住宅地として発展した世田谷区の
南端に位置し、等々力渓谷と多摩川が街に寄り添うように流れている。
 尾山台の隣駅奥沢には九品仏(浄真寺)がある。そこをスタート地点に、尾山台の住宅街を
通って等々力渓谷へと向かう。今もここに住む夢さんがガイド役を買って出てくださり、アヤさん
からは事前に周辺情報をたくさん頂いた。初めて訪れる身には、ありがたくも心強い。
 東急大井町線の九品仏駅から浄真寺へは、信号を一つ越えればすぐ。参道の両側は木立
になっているが、集会所や付属の幼稚園などもある。高齢者の絵画クラブだろうか、総門をス
ケッチする人たちがいた。
「僕らも小学生のころ、授業でスケッチに来たなあ」
 ひでを宗匠が懐かしげに言った。
 総門から楼門を通り、広々とした境内に入る。楼門の左右では仁王像がにらみを利かせ、門
を入るとすぐ右側に本堂、左側に鐘楼が見えてくる。どれもみな組木や彫刻の精緻を極めた
木造建築である。漆喰の白壁がまぶしい本堂の前を抜け、庭園の奥へ歩を進めると、三仏堂
が横一列に並んでいる。

    九品仏の頭は青し秋の風    ひでを

 九品仏の名は上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)の三仏堂にある各三体(上
生・中生・下生)の仏像に由来する。上品堂の窓から中を覗くと青い頭の仏像が鎮座していた。
上品上生の像らしい。

     ほの暗き御堂に映る薄紅葉   かおる

 御堂の中は密教寺院のように荘厳なイメージだが、浄真寺は徳川家の庇護を受けた浄土宗
の寺である。三仏堂の周囲には「南無阿弥陀仏」の名号を記した卒塔婆が立てられ、そのまま
右手奥の墓地へとつながっている。

     卒塔婆にセミの抜け殻浄真寺    木の葉

 中庭は夏の名残が色濃く、五十本もの桜古木の葉がまだ青々としている。わずかに薄紅葉
や百日紅のピンクがアクセントを添える。墓地では、植木職人が松の手入をしていた。

      暗き空楸邨とゐる墓地の秋    建一郎

「暗き空」ではあるが、まだ残暑の時期なので曇天がかえってうれしい。
俳人加藤楸邨の墓碑は「松葉」の文字が辛うじて読める。他は崩し字と磨り減ったのとで判読
できなかった。墓地の裏は深々とした崖になっていて、目黒通り方向に下っている。

     楸邨の墓碑に葉のこし松手入    壯治

 楸邨には、〈鰯雲人に告ぐべきことならず〉〈柘榴火のごとく割れゆく過ぎし日も〉などの骨太な
秋の句がある。
 浄真寺を出て、西側へ塀沿いに尾山台駅の方へしばらく歩く。閑静な住宅街が続く。道路が
測ったようにまっすぐで、区画整理がよく行き届いている。
途中で「この辺に小川があったはずなんだがなあ」と宗匠が言う。暗渠跡のような遊歩道があ
ったので「それでしょう」と伝えると、「そうか」と少し拍子抜けしたようすだった。
夢さんが「木下さんのお宅があった処へ行ってみましょう」と、尾山台駅前へと先導する。「確か
この辺だったはずだけど…」と辺りを見回す。宗匠のお父様は、かつて郵便局を営んでおられ
たらしい。するとOZEKIというスーパーの前で、「隣に鉄工所があるからここだ」とご自身で発
見された。住所表示は等々力5―5だった。


■首都には稀な等々力渓谷
 尾山台駅から大井町線に乗り、次の等々力駅で降りる。商店街の狭い道路を渡り、ゴルフ橋
の脇道から等々力渓谷に入った。短い階段を下ると、暗く湿った散策路が続いている。

     日常の中の渓谷秋来たる   ひでを

 渓谷は、多摩川の河岸段丘(国分寺崖線)が侵食されて生まれたと言われる。台地の至る所
から水が浸潤と湧き出ていて、ケヤキ、コナラ、ミズキなど鬱蒼とした広葉樹林を育んでいる。
渓谷の長さは、約一キロメートルである。

     爽涼の崖(はけ)より滲むる多摩の水    夢

 都内環状八号線道路(俗にカンパチ)が跨ぐ玉沢橋がほぼ中間で、そこを過ぎると横穴古墳、
稲荷堂、稚児大師堂、不動の滝などの見所が続き、等々力不動尊へと導かれる。

     爽やかや小さき御堂の稚児大師      夢

 稚児大師堂は渓谷の流れが細くなり、東から南へ大きく切れ込む西側に小ぢんまりと建つ。
御堂までも木々に覆われ、地面は苔をまとって湿っぽい。まるで秘境を探検するようだ。
堂内に祀る稚児大師像は、真言宗開祖弘法大師の幼形をかたどったもの。等々力不動尊を
開いた真言宗中興の祖と言われる「興教大師」とは別である。真言密教の修行を思い合わせ
れば、ここもかつてはよほど秘境だったのだろうと想像できる。

    とどろきの名をささやきに滝の音     壯治

 そもそも「等々力」の地名の由来となった「不動の滝」の音は、とても「轟く」どころではなく、お
となしやかなものに変わっていた。
 渓流がまた緩やかなカーブを描く右手(西側)に、稚児大師堂に隣接して新しい庭園がある。
その辺りの地主から区に寄贈されたものを、平成17年に公園内に組み入れる形で拡張したも
のらしい。渓谷道の暗さから一転、明るい空が開けてくる。短くも急な坂道が竹やみかん林の
中を通り、上りつめると平屋建ての書院がある。

     渓谷に書院の在りて秋扇       建一郎

 書院と言ってもそれほど古くはなく、昭和36年に建てられたものが保存された。中の畳の間
は、等々力渓谷の情報センターとして活用されている。
 書院の向こうには芝生の広場があり、住宅地側からも入れる。平日の昼間なのに、犬と戯れ
る男女がいた。「こんな昼間に若い夫婦が遊んでいるとは、どんな職業だろう?」と、宗匠がに
わかにシャーロック・ホームズめいてきた。

      水引草若き夫婦と犬二匹     ひでを

 広場の周りには、萩や紫式部など秋の花や実が色づいている。萩の葉にとまる秋の蝶がは
かなげである。

     影のごと姿をしるす秋の蝶     かおる

 広場は台地状になっていて、南端のフェンスからは低い住宅地が一望できた。帰りはまた径
を下る。小さな日本庭園が造られていて、目を飽きさせない。

       頼りなき下り坂道ヤブミョウガ    木の葉

 再び渓流の側道をたどり、宝珠閣、展望台、明王台、弁天堂まで行く。宝珠閣の茶店が今し
も閉店する頃合で、名物の甘味は味わえなかった。展望台は桜の季節になると、絶景に引か
れて花見客が大挙するという。今は紅葉にも早く、弁天堂近くの湿地に空いた「蝉の穴」がひた
すら寂しさを募らせる。

       夕明り御用の済みし蝉の穴    建一郎

 等々力不動尊から目黒通りに出るつもりで、不動尊への石段を上る。崖面を落ちる数条の
水流をたどると、黒々とした不動像が立っていた。

      滴りの数珠をたどれば不動尊    壯治

二子玉川の空に雁が…
 等々力駅から田園都市線に乗り、二子玉川駅に出る。久しぶりに来たが、駅前は総合開発
でもやっているかのような騒々しさと完成した駅ビルの賑わいが同居している。
 古川アヤさんにご紹介いただいた玉川高島屋南館9Fで句会場を探す。木の葉さんがある中
華料理店に人数を伝え、席をこしらえてもらうばかりだったが、別の店を覗いていた宗匠が「こ
っちは外が眺められるぞ」と、反対側のイタリアンレストランに手招きされた。結局、中華の店
は断わって、〈カフェ・ジュボープロヴァンス〉の屋上オープンテラスに6人が横一列に並んだ。
 ワインを味わい、ピッツァやサラダ、生ハムなどを食べながら句作するうちに夕闇が迫る。す
ると、西の方から多摩川を越えて雁の群れが飛んできた。これには、一同大きな歓声を上げ
た。まるで、私たちにその姿を見せようと飛んできたかのようだった。感激のうちに「雁」や夜景
の美しさを詠んだ句々を紹介して吟行記を終えよう。

     多摩川を光の列が渡る秋       かおる

    雁わたる第三京浜ながめつつ    木の葉

    雁の棹テラスに汲んでゐるワイン    夢

    Vの字のわづかに崩れ雁の来る    ひでを








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