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一二三壯治記
■初めて見る柿田川湧水
「柿田川湧水を見に行こうか」と、木下ひでを宗匠から一枚のタブロイド新聞を渡されたのは、
昨年10月の句会のことである。新聞は俳人協会が発行する『俳句文学館』(2009年8月5日 号)。その第一面に大きく「柿田川再生の奇跡」が紹介されていた。
柿田川については、朝日新聞の『21世紀に残したい日本の自然百選』(1983)や『名水百
選』(1985)に選ばれた事実を知っているくらいで、まだ訪ねたことがない。「では来年の5、6 月ころにでも…」と答え、半年後を期した。
柿田川湧水群は、静岡県三島市の南部、沼津市に近い国道一号線沿いから発し、約一・二
キロ流れて狩野川に注ぐ。東海道新幹線三島駅からタクシーに乗り、約10分で着いた。地名 は、駿東郡清水町と変わる。湧水公園の第一、第二展望台の上に立つと、足下2メートルほど の至近距離で湧水群を眺めることができる。
火の山の如く砂噴く泉かな 舞九
ひでを宗匠が句会で第一席とも賞賛した舞九さんの句は、柿田川湧水の印象を鮮やかに捉
えている。全体で1日に約108万トンもの湧水量は、一秒間に二回ほどの噴出が何十か所か で起こって達成される数字だ。
どむどむと湧く音ばかりいととんぼ 木の葉
水が豊かなら、生き物も豊かである。オオアオイトトンボや静岡県では柿田川でしか見られな
いアオハダトンボ、ジャコウアゲハなどの昆虫のほか、この季節はカワセミが幾羽も飛来して いる。
かはせみを見た人見ぬ人柿田川 ひでを
第一展望台では、カワセミの飛来を狙ってカメラを構えるバード・ウォッチャーが居並び、親
切な人は「ほら、ファインダーを覗いてごらん」と気軽に声を掛けてくれる。こちらも言葉に甘え る。美しい自然の前では、「みんな同胞(はらから)だ」という気分が高まるように感じられた。
海芋咲きものみな光る柿田川 かおる
水の惑星と言われる地球。その中でも日本は、特に水資源が豊かで清らかな国であった。
「であった」と過去形を用いたのは、柿田川の例にも見られるような環境汚染と自然破壊の歴 史を思うからである(巻末に柿田川自然保護活動の略史を転載)。
政変の日や泉あくまで水清く 風天子
「政変」とは、鳩山由紀夫総理のあっけない辞任を指している。就任当初、「CO2、25%削減」
を世界へ向けて声高にアピールした総理だったが、あまりに現実離れした理想論を多く語りす ぎたせいか、自縄自縛的に政権を追われることになった。永田町と清水町とでは、全く異なる 時間が流れているようだ。
かはせみや堰かれて河水青滾る 夢
第二展望台から眺める湧水の色は、さらに青い。藍色と言ってもいいほどである。水底に円
形の井戸跡が見え、まるで地球が作るインクのように噴き出してくる。かつて紡績工場があっ たのだという。
女工捨てし噴井にブルー生れけり 壯治
見た目に美しい「ブルー」は、水に含まれる何らかの成分の影響だろうか。水の専門家では
ないが、水は無色透明、無味無臭でこそおいしい。
柿田川の環境保護活動は、(財)柿田川みどりのトラストが主体となって進めてきた。基金と募
金が活動を支えている。昨年一昨年で1200uの借上げ、買上げをしたのは、尋常な努力で はない。
緑陰に川守る会の募金箱 舞九
■狩野川に合流するまで
狩野川との合流点まで、柿田川沿いを下ることにした。
親水公園から舟付場、クレソン畑と続く。親水広場は、真夏には子どもたちの水遊びの場にな
るのだろう。無数の飛び石が置かれ、水深は子どもの膝くらい。ボランティアの監視人が3人 居て、飛び石ごとに「そこは40代コース」「60代はこちら」などと来訪者に冗談めかして言って いるのが面白かった。
舟付場辺りは川幅が広くなっていて、そこでも水量の豊かさが実感できた。
縄文の雪やうやくに夏川へ ひでを
今ここに流れている水は、富士の根雪が伏流水となって約10年後に湧き出たものらしい。こ
れには諸説あり、数十年から百年という説も。「縄文」は大げさかもしれないが、公園内で縄文 時代の遺跡が発見された事実を踏まえつつ、それくらい遠大なスケールで詠むのは〈大自然 への崇敬〉として共感できる。
むくむくと吾(あ)をはげますや夏の川 風天子
クレソン畑は寄らで過ぎる。代わりに川に隣接する清水小学校の教材園に入れてもらう。錠
のかかった教材園の門前で、「誰が職員室に鍵を借りに行くか」という話になった。宗匠が御自 ら「俺が行ってくる」と言うと、「コワくなさそうな人も一緒に行った方が……」ということでかおる さんも同行した。
結局、かおるさんが鍵を借り、小学校の先生のような笑顔で戻ってきた。
薫風やそろひの帽子園児たち かおる
教材園には、蜘蛛の巣だらけの小道を下っていく。柿田川の水を一部引き入れて、水生植
物園が作られている。水辺に木橋が廻らされ、イグサやアシのほか、海芋、菖蒲なども咲く。 本流の川には白鷺の姿も見えた。
海芋咲く水辺をもてる小学校 ひでを
木橋で半円に囲んだ深さ40〜50pの浅瀬には、真昼の光が射し、水底にさまざまな影を写
している。
水底の影は足持つあめんぼう 舞九
清水小学校の子どもたちは、同じようにして自然観察から好奇心と想像力を深めていくのだ
ろう。大人になってから、この恵まれた教育環境がきっと心の財産になるはずである。
梅花藻やひかりを総身にうけてをり 木の葉
ミシマバイカモの白い花も、レンズ効果で強められた陽光を浴びて美しい。
オフィーリア水漬くほとりや根無し草 壯治
水辺の美しさには、かえって悲劇を配したくなる。そこが、ひねこびた大人の悲劇か。
教材園を出ると、しばらく川から離れた道が続く。小さな畑を営む民家や人目をはばかるよう
な墓地、自家野菜の販売所を縫って、車の往来が激しい道路に出た。柿田橋が近い。
柿田橋の下を清水が流れる。もう成熟した青年の流れに変わった。万葉風に言えば「見れど
飽かぬ」勢いがあり、声がある。
川沿いの家々の細い私道を通らせてもらい、狩野川との合流点まで進む。草の生い茂った
沿道の反対側から散歩帰りと見える土地の人が来た。七十格好だが、いかにもこの地を愛 し、この地に生きて死ぬという思いが柔和な表情に出ている。挨拶を交わすと、「どちらまで …、この先は何もありませんよ」と穏やかに言われた。「いや、合流点を見たいと思いまして…」 と答えると、安心したように去っていった。
合流は水の三叉路夏の河 夢
■♪うまい魚でノーエ♪
柿田橋近くの清水町役場前からバスに乗り、再び三島駅に戻る。句会は東海道線で小田原
に出て、心当たりの居酒屋〈天金〉で行う。
〈天金〉は小田原駅南口から近く、生簀の鮮魚がうまい店である。二階座敷を貸切のように使
い、鰯のつみれ、鯵のたたき、鯵フライ、ねぎ竹輪などの料理を次々に頼んだ。酒はビールに 始まり、果ては地酒の杯を重ねる。
そのうち、富士の湧き水を唄った「農兵(のーえ)節」が話題になった。ひでを宗匠によると、そ
うとう長く続くものらしい。ここに一部を掲載しておこう。
♪
富士の白雪ゃのーえ 富士の白雪ゃのーえ
ええ富士のさいさい 白雪ゃ朝日に溶ける
溶けて流れてのーえ 溶けて流れてのーえ
ええ溶けてさいさい 流れりゃ三島に注ぐ
三島女郎衆はのーえ 三島女郎衆はのーえ
ええ三島さいさい 女郎衆は御化粧が長い
…(以下略)
富士山によってもたらされる豊かな水と自然環境は、「農兵節」を歌い継ぐように大切に守っ
ていくべきものである。俳句を詠む人も詠まない人も、等しく。
のーえ節歌つて終る夏の句座 夢
《付記/柿田川自然保護のあゆみ》
1975年 柿田川自然保護の会発足
1976年 自然保護シンポジウム参加
1979年 富士サファリパーク開園反対運動
1984年 朝日森林文化賞受賞
1985年 環境庁「名水百選」に指定される
1988年 柿田川みどりのトラスト委員会発足
※以後、現在まで寄付・基金による土地の買収・借上げを継続
1991年 財団法人柿田川みどりのトラスト認可
☆財団法人柿田川みどりのトラスト(055―975―5454)
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