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■七年目の花見
今年も花見は、八王子の滝山城址公園に行く。二〇〇四年から継続していて、もう七回目に
なる。七年目の浮気ではないが、「そろそろ場所を替えましょうか」と、ひでを宗匠に提案したと ころ「いや、あの場所で定点観測するのがいいんだよ」との答えだった。
ジャーナリストの血と言うべきか。「定点観測」によって、年々歳々の花や自然環境、風景など
の変化をつぶさに観察しようというのである。
今年の桜は、春暖の影響で開花が早かった。その後、寒の戻りがあって滞る。いつになく天
候不順に悩まされた。都心より開花・満開共に約一週間遅れる滝山城址なので、四月第一水 曜日は満開が大いに期待された。
待ちかねし花の滝山水曜日 建一郎
建一郎さんの一句について、宗匠は「俳句で水曜日が詠まれることは少ない。その水曜日を
詠んだところに妙味がある」と評された。後刻、句会での話になるが、ご参考までに。
その水曜日の天気予報は「曇のち雨」と芳しくない。八王子駅をタクシーで出るころから、ぽ
つぽつと降り始めた。「水入りの水曜日」なんてシャレにもならない。いつもの公園東からの径 はぬかるむだろうと判断し、距離の短い南側の道を選んだ。
さくらさくら曇り日なれど白ぞよき 風天子
南の坂道は初め急勾配ながら、ほんの五分ほどがんばれば、後はなだらかな径が続く。麓
には農家の集落があって小さな畑や庭に春の息吹が感じられる。
山ざくら畑は猫のひたひほど 舞九
いつもは帰りに下る坂道が、上り坂に変わっただけでも新しい発見がある。ビニールハウスの
ような鶏小屋に居たのは、小ぶりで茶色の毛を持つ鶏である。「これ、烏(う)骨(こつ)鶏(けい)じ ゃない」と声を上げたのは木の葉さんだった。
烏骨鶏春の卵を孕みをり 木の葉
烏骨鶏の卵は中華料理で珍重されているらしい。最初の年だったか、藤田夢さんが作ってき
てくださった中華風煮卵(普通の鶏卵)の味を思い出した。どうも、昼飯時を過ぎているので食 欲が先に立つ。
滝山の緩む地固め匂ひ鳥 理恵子
鶯の声も聞こえる。思えば「匂ひ鳥」に限らず、日本人は古来、香だけでなく音にも色にも「匂
ひ」を感じ取った。もっとも香道などでは「香を聴く」と表現するが。こういった感受性と表現の話 は興味が尽きない。
登りきて一声だけの初音かな ひでを
■定点観測のついでに
いつもの千畳敷を見下ろす土手には十五分ほどで到着。すぐにビニールなどを敷いて各自
の定点を決める。花は予想したとおり満開に近く、淡いピンクが雨に煙っていた。
雨の日は桜の花の恋ひしくて 風天子
振り返れば、全七回の定点観測(滝山城址花見)で雨は二度目。この時期の不安定な空を考
えれば、五勝二敗はそう悪い数字ではない。
開花の度は今までで最高ではないだろうか。天上人のような気分で、花の雲海を見下ろす。
落花は時おり思い出したように一ひら、二ひらこぼれる程度。いつぞやのように、時ならぬ風に 花吹雪となって視界を覆い隠すこともない。
馬手(めて)に傘弓手(ゆんで)に酒の花見かな 舞九
酒盛りが始まれば小雨もなんのその。花見の興はしだいに高まっていく。千畳敷も一年目は
藪などなく、別の花見客が犬を野に放って走らす光景も目にした。犬も主人に応えるように縦 横無尽に駆け回っていた。桜の木々だけは藪の中から枝を張り出し、土手の桜に負けじと今 年も律儀に咲いてくれた。
また、これまでに二度、木の葉さんがここで馬頭琴を披露された。今年は「湿気は馬頭琴の
弦によくないのよ」と、期待に添えなかったのを詫びる。定点観測は、古く美しい記憶を甦らせ ては、つい物足りなさを募らせもする。
花を愛でながらの飲食もひと通りすみ、辺りを散策してみることに。宗匠が「枝ぶりの見事な
木があったな。あれを見に行こう」と提案された。十方に逞しい枝を張っている灰色がかった滑 らかな樹皮で、東側の径を通るときは、千畳敷が近いことを知らせる道標のような大樹であ る。図鑑に照らしてみないと名前はわからない。
しばらく歩いたが、目当ての木は見つけられなかった。あるいは、もっと入口寄りにあったの
かもしれない。逆に、今まではなかった馬場の柵が設けられていた。馬の姿は見えない。
遠桜厩はあれど馬見せず ひでを
馬場(調教場)は山の斜面を利用し、それこそ馬の背のような形である。杭と針金で作った簡
素な柵は、ひしゃげたように傾いている。小暗い囲いのそこここに菫の花が咲く。
山道にすみれの花の細き茎 木の葉
天守跡には寄らず、そのままバス乗り場まで下ることにした。途中、滝山城址の花見に初参
加の理恵子さんが「沢庵漬みたいな匂いの木がありますね。どれですか」と問う。「沢庵」と言 われてみれば、そう感じないでもない。「ヒサカキ」の木だろう。その枝下まで導いて「これでし ょ」と教えると、「あ、そうです、そうです」とうれしそうに納得した。
俳人には、「目の俳人」や「耳の俳人」と評される詠み手がいる。たとえば、中村草田男が「目
の俳人」「色の俳人」の代表格に挙げられる。〈夜半の灯に日の色現じ石鹸玉〉や〈萬緑の中や 吾子の歯生え初むる〉などの句がそれを裏づける。理恵子さんはさしずめ「鼻の俳人」として有 望だ。芥川龍之介の『鼻』の主人公みたいでなんとなく聞こえが悪いので、「匂ひの俳人」「香の 俳人」と言い直しておこう。
突然、空に轟音が響いた。木々の枝越しに見上げると、低空を大きな機影がよぎった。横田
基地へ向かうアメリカの軍用機のようだった。「耳の俳人」建一郎さんは、かく詠む。
花に雨しじまを破り軍用機 建一郎
■都内唯一の「道の駅」まで
城址公園からバス停まで同じ道をたどる。往きには気づかなかった竹林の荒々しさが目を奪
う。竹の秋が深まっている。
竹林の雨を受けとり黄水仙 理恵子
城址下の停留所からバスに一〇分ほど揺られ、〈道の駅入口〉バス停で降りた。歩いて二、三
分で「道の駅 八王子滝山」に着く。中央高速道の八王子インターが近い。圏央道なら、あきる 野インターから滝山街道を一直線に一五分〜二〇分の距離である。
ここは都内唯一の道の駅としてテレビニュースにもよく取り上げられ、地元の農産物や自家
製アイスクリームの販売が評判になっている。駐車スペースには六十台もの車が収まる。正面 入口に向かう農産物直売所「ファーム滝山」と地域交流ホールの前には、たくさんの苗木が並 べられ、若い緑に迎えられた。
苗木市生国の土一二升 壯治
館内では野菜や土産品を眺める。「ファーム滝山」の販売コーナーは、早い者勝ちに並べる
のだと聞いた。生産者の表示を見ると、地元八王子だけでなく隣県の千葉や埼玉からも運ば れている。それでも売れ行き好調なようで、多くの野菜が払底しかけていた。
カフェショップで各自飲み物や食べ物を注文する。評判のアイス・ジェラートは誰も頼まない。
舞九さんが頼んだカフェラテが面白く、ラテの泡にNHKの大河ドラマ『龍馬伝』にあやかって龍 馬の顔が描かれていた。
カフェラテに龍馬の似顔春暖炉 舞九
広い窓から外を眺めると、少し雨脚が激しくなったようだ。四時半過ぎの八王子駅行バスに
乗ることにして、しばらく休憩や雑談、買い物を楽しむ。
春雨やみちくさ長き道の駅 壯治
句会場はJR立川駅ビルの「グランデュオ立川」中華街と決めた。一昨年になるか、相模湖吟
行の折にも使った。店も同じ〈菜香〉。包子(ポウズ)が種類も豊富で旨い。
理恵子さんは立川駅で降りずにそのまま帰ったが、残り六名は以前の記憶をたどって店を
探す。あの時と同じように木の葉さんが、「確かこっちよ」とずんずん歩を進めて見つけた。同じ ものを同じように食べるのがありがたい熟年世代である。五、六品の惣菜をビール、紹興酒で 味わう。この日は「シメのメシ」に春雨炒めを選んだのが、「春雨」に祟られた吟行のせめても の記念ということか。
花の世に変らぬものは「セミの会」 ひでを
句廻しの講評も一段落ついてから、宗匠の加えられた一句が、楽しい半日を本当の意味で
締めるものとなった。
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