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隅田川浅草吟行記
二〇一〇年一月月二〇日(水) 初山 風天子記
《竜馬号に乗船》
「平成二十二年睦月二十日、『セミの会』の同人八人、JR浜松町駅南口に集結、大寒の入り
とはいえ暖かき日ざしのなか、おもむろに日の出桟橋へと歩を進めり。」(タンカ、タン、タン!)
《扇で台をたたく音》
まぁ、講釈師ならこんな名調子で話が始まるのだろう。
一同、日の出桟橋から隅田川遊覧船「竜馬号」に乗り、一路、浅草「吾妻橋」をめざして新春
の大川をさかのぼる。
この日東京地方の気温十七・三度。極寒の季節にしてはまことにおだやかな日和。
でも、平日の午後とあっては、定員五六〇人のところ、われわれを含めて一二人の乗客。ま
さに船一隻貸しきり、状態だった。
同人一同一階の船室に陣取り、流れゆく両岸の風景を眺めながら、ビールにつまみと、早くも
ささやかな宴会がはじまる。
勝鬨橋、佃大橋、中央大橋、永代橋、隅田川大橋、清洲橋、新大橋、両国橋、蔵前橋、厩橋、
駒形橋、吾妻橋などなど、隅田川にかかる橋はまことに多彩だ。橋をくぐりつつ、下から眺める のもまたオツなもの。赤色、黄色、青色など、おそらく錆び止めのペンキの色だろう。橋梁を下 から守るかげの立役者の素顔を見る思いだった。
すれ違う貨物船の航跡が陽に映えて、また一段と美しい。
冬麗や船金色の水尾曳いて 夢
鉄橋の腹みてくぐる寒さかな 建一郎
「竜馬号」といふ船で行く初句会 かおる
冬うらら橋いくつ越ゆ隅田川 ゆきこ
三寒に四温をのせて水の旅 建一郎
久しぶりにお目にかかるゆりかもめが、船の右に左に舞っていた。
都鳥群れ冬麗の隅田川 夢
言問わばそっぽ向いてる都鳥 桂
暖かや都鳥は風まかせ ゆきこ
大川の鴨と馴染まず都鳥 桂
一筋の雲に空色春めけり ゆきこ
約四〇分の船旅≠フあと、船は吾妻橋ぎわの桟橋に着いた。下船をはじめると、なんと下り
「日の出桟橋行き」を行列をして待つ人一〇〇人あまり。団体客だろうか、これには驚いた。
《待乳山聖天》
浅草はやはり庶民の町だ。個人商店というか、自前の店が軒を連ねる。靴屋、雑貨屋、いっ
ぱいのみ屋、菓子屋などなど。なかに一軒、「ブラシ屋」があった。豚の毛、馬の毛などを細工 した、大小各種各様のブラシ、化粧筆を売る店。都心ではいまどき珍しい。
ゆきこさんが、三〇センチほどの柄の先にたわしのような毛がついた道具を手にいう。
「これ、フライパンを掃除するにの良いんじゃない――」。さすが料理の達人だ。
私は豚の毛のついたハブラシを二本、六四〇円で買った。
街角のおきゃんな娘春隣 建一郎
冬晴れや花川戸なる街を行く 風天子
一五分ほどのそぞろ歩き、小高い山の上に聖天さまが鎮座まします待乳山に着いた。
ここは「待乳山本龍院」と称し、十一面観音菩薩を本尊とする千四百年の歴史を持つ霊場で
ある。
各所に大根が捧げられている不思議な霊場でもある。大根は人間の深い迷いの心を表すと
いわれ、大根を供えることにより聖天さまにこの迷いを洗い清めていただくという由来によるら しい。
桂さん、一同を代表して、うず高く積まれた大根のなかから一本(二〇〇円)をいただき恭しく
本殿に捧げた。
折から、笛、太鼓による「神楽」が境内を流れる。この日、一月二十日は「百味講」といって、
沢山のお供えもので聖天さまをご供養する縁日に当るかららしい。
ピーヒョロローと、ひときわ高い笛の音のきこえるなか、わが「セミの会」の笛の名手がひとこ
と。
「わたしの方がうまいわ」
冬霞筑波は見えず待乳山 建一郎
待乳聖天大根を供へ拝みけり ひでを
難病の犬参りをり待乳山 桂
大根の山を拝む夫婦かな 舞九
大根に祈りを託す待乳山 かおる
冬ぬくし女神楽の立て烏帽子 桂
《長命寺》
隅田川沿いに歩を進める。この川沿いの道は、春ならば桜の名所、歌に踊りに足の踏み場
もないほど随所に宴会≠ェ開かれ、喧騒をきわめる場所だ。
今はまったく静か。イヌを散歩させる人、遊びたわむれる子どもたち、黙ってベンチに座る老
夫婦、家内整理≠ノいそしむホームレスなど、「平和」はつくづくいいもんだと思う。
土手を行く笑顔の多く春隣 かおる
一月の大川端に犬はずむ 風天子
冬ぬくし釣師の見えぬ隅田川 ひでを
公園の遊具に伸びる冬入日 かおる
桜橋を渡り、茶店でさくら餅をいただき長命寺に着く。
長命寺は隅田川七福神のひとつ弁財天をまつる。三代将軍家光が鷹狩りの途中、腹痛を起
こしたところ、この寺の井戸水で薬を服用快癒したとのいいつたえから、この名が出たという。
境内に芭蕉の句碑あり。「いざさらば雪見にころぶ所まで」
さくらもち長命願ふにあらねども ひでを
句碑の字をなぞれば寒き指の先 舞九
包む葉の香りや冬のさくら餅 夢
長命寺芭蕉の句碑や梅香る ゆきこ
七福に一人余りて冬ぬくし 桂
骨接ぎも黒塀越しや向島 桂
《三囲(みめぐり)神社》
さらに歩を伸ばして三囲神社に着く。無風、暖かく、絶好の「吟行日和」になった。それでも冬
の日が傾きはじめる。
三井寺の僧、源慶が荒れた祠を再建したとき、出土した神像のまわりを白狐が三回まわって
消え去ったとのいいつたえから「みめぐり」の名が起こったとされている。
境内には、こまいぬ、きつね、ライオンの各種石像が並立している。説明書をみると、ライオ
ン像は昨年閉店した三越池袋店の店頭にあったものを移築したとのこと。「三越」の前身は三 井高利の創設した「越後屋」。
三井家の家祖、高利が江戸に進出してきたとき、この神社を三井家の守護神としたことから
関係が深いのだそうだ。
犬笑ふ像に笑へり梅三分 ひでを
かしこまる冬日のなかのライオン像 建一郎
一月の社に獅子と狛犬と かおる
浅草へもどる途中、吾妻橋を渡る。
左手に、夕日に輝く建築中の東京スカイツリーが見える。竣工予定は二〇一二年春。完成す
れば六三四メートル、世界一の高さを誇るテレビ塔になるはずだ。目下、三〇〇メートルほど までできたところだろうか。
水仙やすつくと立ちてテレビ塔 舞九
日々かわるツリータワーの冬日かな 風天子
《金龍山浅草寺》
浅草の観音さま。元旦、仲見世からこの境内にかけては身動きができぬほどの人の波だっ
た。いまはウソみたいに静か。それでも、線香の煙りを頭、身体になでつける人、店をひやかし 半分にのぞきこむ人、雷門の大提灯を見上げる外国人。いつもながらの風景だ。
推古天皇三六年(六二八年)、いまの隅田川で漁師が投網をしていたときに、網にひっかか
った一寸八分の仏像が、一四〇〇年のときを経て、平安、鎌倉、江戸と各時代の名僧、名将、 将軍たちの手厚い庇護はあったとはいえ、いまだに庶民の信仰をあつめているとは、「信心」と はげに偉大なるものと感嘆せざるを得ない。
ただし六区は淋しくなった。冬の夕方ともなれば人通りは絶え、シャッターをおろす店もあちこ
ちに。あまたのコメディアンを輩出した劇場もすっかり姿を変え、往年の勢いはまったく見られ なかった。
六区寒し渥美清の影よぎる 建一郎
寒月にひとり煙草を喫ふ女 ひでを
浅草でとうがらし買う冬日かな 風天子
仲見世の正月気分は異国人 ゆきこ
大寒やお化け屋敷の消えてをり ひでを
《アリゾナ》
午後五時、仲見世のすぐ裏手にある、レストラン「アリゾナ」で初句会がはじまる。永井荷風
が足繁く通った店として有名だ。店内の壁に大きな荷風の写真が掲げてあった。
舞九さんは、かって浅草で荷風を見かけたことがあるという。「つゆのあとさき」「腕くらべ」「墨
東綺譚」など耽美派作家として、その反骨精神は近来とみに人気が高い。席上、ひとしきり話 題になった。
キャベツ巻、ベーコン、チーズその他、それにビールとワインとくれば同人一同ご満悦。初句
会という晴れがましさ、浅草でという下町のくだけた雰囲気などがあいまって、なごやかな、しか も熱っぽい時間が流れていった。
冬の夕俳句ライブの団居(まどい)かな 建一郎
句座といふまどいはぬくしワイン酌む 夢
宗匠のおでこ眼鏡や冬ぬくし 夢
大寒の荷風遺影の薄れをり 舞九
初句会荷風の像と同席し かおる
ただ、「あまりに楽しい吟行」について、かってきいたひでを宗匠の言葉を思い出す。「吟行が
楽しいことはよいことなのだが、題材にのめりこんでしまい、良い句が少ない。平凡のなかにあ る落ち穂ひろいのような句がいいんだが」
俳句はなかなか難しいなぁ。果たして今回の首尾はいかがだっただろうか。
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