森林公園吟行記 二〇〇九年十一月月十八日(水)   一二三壯治記

ンボルツリーのこと
 塚田凡天さんのお薦めがあり、埼玉県滑川町の森林公園を吟行する。お子さんが小さいこ
ろにピクニックを楽しまれたとのこと。池袋から東上線の特急に乗れば、一時間余りと近い。
 駅前から森林公園南口行きバスに乗る。ロータリーの周りは、二十メートルを超えようかとい
う針葉樹が亭々と初冬の空を切っている。「落羽(らくう)松(しょう)」である。どうやらシンボルツ
リーということらしい。

     紅葉みちひとつそびえる落羽松   凡天

 落羽松は、別名「沼杉」という。その名にふさわしく、沼地や川辺などに生育する。スギ科の
植物だそうで、落羽松と名付けられたのは針状の葉が二列に、あたかも羽のように生じるから
だ。葉を付けた枝は秋、鳥の羽根のように落ちる。
 命名の妙を感じる。だれか、詩の素養がある植物学者でも付けたのだろうか。

  落羽松異国のいろの黄葉かな    ゆきこ

 その種子は、枝先の雌花が二つの胚珠にのってできる。秋には、二センチほどの球状の実
となる。

  沼杉の実を手にとれば割れにけり   舞九

 松のようで、杉のようで不思議な木だ。
 後日、しばらく会から遠ざかっている塩沢珠花さんに、最近流行りのシンボルツリーについて
尋ねてみた。塩沢邸では、門口にシンボルツリーとして「花梨(かりん)」を植えておられたのを
思い出したからだ。
 珠花さんは私見と断わった上で、「神社の御神木が起源では」と言われた。戦前の家では、
よく榊を植えていたと聞く。他に、松や槙なども日本家屋には広く用いられている。
西洋では、クリスマスの樅の木や柊などがシンボルツリーの一種だろう。洋の東西を問わず、
信仰と深く結びついているようだ。常盤木(常緑樹)に生命の繁栄や安泰を祈ったものと考えら
れる。
 公園南口には七分ほどで着いた。外から眺めても、こんもりとあふれる木々がそれぞれの色
葉に染まっている。もみづる落葉樹もまた、鑽仰(さんぎょう)に値する。

       言葉なくただ紅葉をめでるのみ   風天子


森へ行こうよ、遊ぼうよ
 木を見て、森を見ないわけにはいかない。正式名「国営武蔵丘陵森林公園」の地勢と地理を
ざっとご説明しよう。
 総面積三〇四ヘクタール、東西約一キロ・南北約四キロと広大だ。自然の丘陵を活用したな
だらか地形で、標高は約四〇〜九〇メートルある。南北をメインストリートのように貫通するの
がサイクリングロード。その側道として遊歩道がいくつも枝分かれしている。
 道沿いの街区に当たるのが、それぞれテーマを持って造られた庭園と広場である。「日本庭
園」「梅園」「都市緑化植物園」や「運動広場」「展望広場」「わんぱく広場」など。大小数多くの沼
も景色に彩りを添える。公園全体は、それぞれ庭園・広場を中心にした町の集合体と考えれば
わかりやすい。

   紅葉狩木の橋渡る音のよき    ひでを

 沼に架かる橋そのものとそこからの眺めは、共に〈小さな奥の細道〉への期待を高めてくれ
る。南口からの距離で言えば、ほぼ三分の二になる西口までのコースを辿ることにした。
 すぐに目についた山田城跡の案内に引かれ、筆者とかおるさんはやや急な坂を登ってみ
た。

      城跡にむらさきしきぶただ一重   壯治

 野球場の内野部分ほどの城跡は、落葉に埋もれた台地にすぎない。淡い好奇心は遣り場を
失い、そのまま本隊(仮にそう呼ぶ)とは別の小道を彷徨うことに。

      寒椿紅の柱となりて咲く   かおる

 鬱蒼とした森の中で、ちらほら見かける寒椿が街路灯のように明るく感じられた。
 本隊とは常にケータイで位置を確認しあう。ケータイのおかげで個々の行動に自由度が増
し、歩く速さや半径にも差異が出て吟行をますます面白くさせている。

       葉脈のひとつひとつに燃ゆる秋   風天子
 
   散る落葉ささやいてまたつぶやいて   凡天

 本隊は「展望広場」に向かって歩を進めているという。地図を見ると、南北に長い西田沼を抜
けて、ゆるやかな上り坂が続く。沼のほとりには、榎、水木、山桜、椚(くぬぎ)などが一見でたら
めに植えてある。だが、木々は相互に共生し合えるように配置されている。
森の保全にはある程度、人が介入しなければならないという話を思い出す。その「程度」が難し
い。

           芒原抜け来し人の狸顔   舞九

 展望広場の周囲は「芒」が生い茂っている。おそらく標高では、公園の中で最も高い地点に
位置すると思われる。そんな自然の濃さが、人を「狸」と見誤らせるのか。
平日ながら、他にも紅葉狩の客が多い。詩吟を朗詠するグループや中学生の一団にも出会っ
た。

        黙々と眉目の枯葉ひろふ女   有史

 この「女」は、当会のゆきこさんである。「枯葉」は、ご自身が営む〈うつわや〉のディスプレイに
使うらしい。

     山百合の末枯れてもなほ傾きて   ゆきこ

 ゆきこさんは、別の吟行の折に「山百合が好き」と言っていた。展望広場で、二人のはぐれ者
を大きく手を振って呼んでくれたのも彼女だった。


落日は駆け足で
 展望広場から公園中央の〈中央レストラン〉に向かう。林道に入ると、古鎌倉街道と交差した
り、並行したりしている。いにしえの坂東武者が「いざ鎌倉」に際して、馬や徒で通ったのだろ
う。
  
      末枯や鎌倉古道ゆくほどに   壯治

 中央レストランに着いた。それぞれ休憩や軽い食事をとる。

       陽だまりに枯葉を敷きてにぎりめし   有史

 レストランの外には椅子とテーブルが置かれ、草地も広い。暖かな冬日が当たる。

   日向ぼこ肘に茜の来りけり   ひでを

 プラスチック製の小さな椅子にどっかりと腰を下ろしたひでを宗匠は、まるで冬日のたゆたい
を止めてしまうほど駘蕩としている。それでもなお、三〇分ほどすると風が冷たくなってきた。
 山田大沼という公園最大の沼を眺めつつ西口に向かう。そこから帰りのバスに乗るつもり
だ。途中、わんぱく広場で凡天さん、かおるさん、ゆきこさんの三人が、ゆらゆら揺れるロープ
の遊具で無邪気に遊んだ。この公園そのものが、童心を誘うように感じられた。

  色のなき繁みに灯る戻り花   かおる

 西口から森林公園駅行きのバスに乗った。駅までは、車道と並行して約三キロの遊歩道が
ある。脚に自信のある方は、武蔵・比企の里山を楽しみながら歩いてみていただきたい。

             祠一つ無き里山や神の旅   舞九

 句会は五時過ぎから、森林公園駅南口の〈居酒屋 友酔〉にて。店名が、いかにもセミの会
向きではないか。四十格好の店長がいい人で、一間の座敷に通してくれ、わがままな会員たち
の注文に次々と応えてくれた。煮物や揚げ物などの一品料理で呑んだ後、この季節ならでは
の「チゲ鍋」とごはんを頼んだ。
すると、店長が顔を出し「ちょっと作ってみたんですが、味を見てください」と言って〈いかのコロ
=腸の醤油漬け〉を見せた。うれしい悲鳴を上げずにいられない。腹のプランには入っていな
いので、一口だけ箸をつけて宗匠の前に。チゲ鍋で「シメのメシ」とした。
店を出た後の宗匠の幸せなクレームを紹介して、ペンを置くことにしよう。
「あんな旨いいかのコロを出されたんで、チゲ鍋は食えずじまいだったよ。それでも、みんな俺
によこすもんだから食べ切れなかった。惜しいことをしたな」
 あれだけ呑んで食べて、一人三千幾ばくかの会計だった。




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