井の頭公園・玉川上水吟行記 二〇〇七年三月二十一日(水) 一二三壯治記
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春や春
春分の日である。休日の吟行は珍しい。あえて実行したのには、理由がある。
ひでを代表の句集出版記念パーティをこの日の夜に計画したところ……、「そのためだけに
集まっていただくのは申し訳ない。どうせなら、吟行をやった足で会場に向かってはどうだろう」 と、代表から逆に提案された。否やはない。「では、どこに」と伺うと「吉祥寺の井の頭動物園に 『花子』という六十歳の象が居て、もうすぐ引退(?)するらしい。いい機会だから、見に行こう か」と、とんとん拍子にまとまった。
春らしい穏やかな快晴になった。明日あたり東京にも開花宣言が出る。井の頭公園の木々
や花々にも春の気がみなぎっていた。総勢十二名のメンバーは、頬を輝かせて闊歩する。
春分や二十五歳の女と会ふ ひでを
「二十五歳の女」とは何やらいわくありげだが、木の葉さんが連れてきたモンゴルからの留学
生〈ズカ〉ちゃんのことである。そのズカちゃんは、かく詠む。
お彼岸や井の頭公園四年ぶり ズカ
しみじみと青春を感じさせてくれる。樹木の新芽や花の蕾と響き合うようだ。ズカちゃんの生
まれて初めての句。セミのベテランも負けてはいられない。
吉祥寺誓ひし春の甦り 映子
高々と雲と遊べる柳の芽 礼子
「それぞれの春」と言ったら、表現が平板に過ぎるだろうか。しかし春は、ほのぼのとした記
憶に浸りたくなる。
ものの芽のいざ出陣や井の頭 凡天
笑み集ふ枝垂れ桜の傘の下 木の葉
ざっと園内の地図を描いていただきたい。井の頭の名の由来になった「井の頭池」に突き出
た半島状の分園には、鶴、鴨、オシドリなどの檻や池がある。半島の付け根には水生物館。
そこから三百メートルほど歩いて本園に行く。
象の眼は哀し
本園は八二万平方メートルを超える。休日とあって、さすがに親子連れが多い。ヤマアラシ
やアライグマ、アムールヤマネコなど珍種もいるが、やはり人気は象の「花子」に集まってい る。花子を詠んだ句は多い。
つつがなし六十路の彼岸象とわれ 有史
還暦の象の花子の日永かな 夢
春分や蟄居の永き老いし象 建一郎
象の眼の老いをみてゐる彼岸かな ゆきこ
花子は老いのせいで人を恐れているのか、それとも単に体が重いだけなのか、檻の隅から
容易に動かない。脚を上げては下ろすを繰り返し、歩くのさえ億劫そうだ。
退きもせず進みもせずに春の象 かおる
象は木の子孫とぞ思ふ春の昼 壯治
頭や胴には脱毛の痕が見え、いとど哀れをそそる。むしろ不機嫌をあらわに猛々しく振舞っ
てくれた方が、人間の勝手な願望ながらありがたい。
食むがよし象よたあんと春キャベツ 木の葉
歯の無くて六十歳や象花子 ひでを
何もしなくても、象の存在感に勝る動物は居そうもない。
園内スケッチ
諸氏の句を借りて、分園・本園をスケッチしてみよう。
分園の水生物館に戻るが、藻の茂る水槽には日本固有の生物が見られた。春の池をその
まま移したようである。
囲はれてどぜう動くもいやな日よ 礼子
園内には魚類・鳥類・哺乳類と全部そろっている。みな何かしら人の情感をそそる。哺乳類
は特に。人間に最も近い猿はどうだろうか。
猿山に統制のとれ春ひと日 映子
猿山のボス天辺にかぎろへる 壯治
猿山も平穏。まして他の動物たちには、一切争いごとが無いように見えた。
長閑さや動物たちの昼下り ゆきこ
動物よりも、人の方がさまざまな煩いを抱えている。
迷ひ子の手引く老人光る風 かおる
煩いがあるからこそ、花にも涙を流し、鳥の声にも心を驚かす。また、情ゆえに恋が生まれ、
詩が詠まれる。
こぶし咲くほのかに明し昼提灯 凡天
水仙の種類多しよ彼のよう ズカ
詩はまた、志であり、史である。景に刺激された情が、古い記憶を甦らせてくれることもある。
遺跡なきスパルタの野やはないちげ ひでを
集合を午後三時、本園正門前と決め、会員諸氏はそぞろに歩き回った。それぞれ「桜がちら
ほら咲いていた」「椿がきれいだった」などと感想を伝え合う。西側の日本庭園、彫刻館、アトリ エ館には立ち寄れなかった。
川は流れる
帰路は玉川上水の沿道を行く。
春の川墨東へ旅立ちにけり 建一郎
すぐに明星学園高校の正門前を通る。凡天さんとかおるさんの令嬢の母校で、とりわけ凡天
さんは目を細めて懐かしんだ。
初桜やはり水辺にひらきけり 凡天
小学生のころ、凡天さんは太宰治の入水自殺を間近で見たという。「この辺りに上がった」
と、声をひそめた。
太宰らの流れし上水山吹咲く 有史
太宰は時代の寵児だった。『富岳百景』では「富士には月見草が似合う」と書いた。今、玉川
上水の土手は、山吹とだいこんの花で埋もれている。
道草の土手のむらさき諸葛菜 夢
三十分ほど歩いただろうか。京王井の頭線の「三鷹台」駅に出、駅前のパン屋で句廻しをし
た。句集出版記念パーティ会場のある小田急線「代々木上原」には、午後六時前に着いた。
パーティは、こぢんまりした仏料理のレストランを借り切り、会員と二、三人の知人だけだが
十七名集まって開催された。司会は塚田凡天さん。初めに句集の編集長として挨拶に立った 関建一郎さんが、祝賀の意を句に託して詠まれた。
あたたかやてのひらにのる句集かな 建一郎
それを皮切りに参加者一人ひとりが祝意を述べられ、料理とワインと俳句談義の夜はたけ
た。
★今回の吟行・利用交通機関データ
東京よりのアクセス情報
JR中央線快速・高尾行 新宿駅ー吉祥寺駅 片道経費 ¥210 所要時間 14分
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