藤沢・江ノ島吟行記
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二〇〇九年一月二十一日(水) 一二三壯治記
藤沢遊行寺のゆかり
江戸時代、日本橋から東海道を七つ(午前四時頃)に発つ人は、「戸塚泊まりはまだ日が高
い。駒を早めて藤沢へ」と一日の行程を決めた。現在は、JR湘南新宿ラインで副都心から藤 沢まで約一時間。実に速い。
神奈川県藤沢市には、ぜひ訪ねたい場所があった。遊行寺である。古くは「藤沢寺」とも呼ば
れ、浄土系の時宗開祖一遍(一二三九〜一二八九=鎌倉時代中期)から四代目の呑海が創 始。正式には「藤(とう)沢山(たくさん)無量光院 (むりょうこういん)清浄光寺(しょうじょうこうじ)」 と長たらしい。
「遊行」とは僧が修行や勧進のために諸国を歩くことで、一遍上人は寺を持たず遊行に徹し
た。開祖の教えに反して寺を建てたのは、旅の僧を泊める所が必要だったからと察する。それ が証拠に旧東海道が近い。今は国道一号、正月の箱根大学駅伝のコースとしても知られる。
なつかしき遊行寺坂や十五の春 ひでを
駅伝の過ぎて鎮もる冬の寺 映子
映子さんの知り合いである藤沢在住の白石征(せい)氏が、遊行寺の案内を買って出てくださ
った。ご自身、遊行寺で戯曲『小栗判官と照手姫 ― 愛の奇蹟』の作・演出・公演をされてい る。
三方の扉を開け放ち、広々した本堂で話を伺った。氏によると「遊行の伝統は、踊り念仏か
ら説教節、能、歌舞伎などの遊芸、放浪芸に受け継がれた」とのこと。
一遍の舞ひ厳冬の寺に見る 風天子
遊芸の草分け知りぬ寒の寺 壯治
白石氏の演劇は「遊行かぶき」と銘打つ。この遊行寺で公演されることには、地祇(地縁の
神々)を鎮魂する〈祭り〉の意味がある。
寺の境内へ出た。本堂の裏手に照手姫が尼になって過ごした長生院がある。早梅の淡い香
に包まれていた。
探梅や照手の姫の墓のありゆきこ
紅梅のいまだ気配といふほどに よろこぶ
「遊行かぶき」では、幽界をさまよう判官の霊魂が照手姫の抱擁によって再生する。そこが劇
のクライマックスであり、生者と死者の魂の交流という日本的カタルシスが生まれる。
長生院の裏に小栗判官の墓があった。百日紅だろうか、裸木が墓石を囲んでいる。立ち様
が、毒殺されたという小栗伝説にふさわしく凄まじい。
裸木を随へ小栗判官墓 壯治
遊行寺の本堂を舞台にするという白石氏の演出には興味がある。今年の夏も公演されるな
ら、ぜひ鑑賞したい。
遊行の足を江の島へ
話が後先になったが、長生院へ上るゆるやかな坂の手前に一遍上人像があった。
大寒の前屈みなる一遍像 ひでを
今にも踊り出しそうだ。『一遍聖絵』の中に、上人のこんな歌がある。
世にふればやがてきへゆくあはゆきの
身にしられたる春のそらかな
湘南藤沢は、思ったとおり都内より暖かい。一遍上人ならぬセミの面々も、「春のそら」に誘
われて駅まで十五分ほど「遊行」することにした。
白石氏とは、駅でお別れとなった。筆者にとっては、遊行寺訪問という積年の願いが思い出深
い形で実現したことを、誌面を借りて御礼申し上げます。
藤沢駅から江ノ電で江ノ島に出る。まだ藤沢市の域内である。
ひでを宗匠は、隠れ家の秋谷山荘からも近い江ノ島には何度も訪れている。ただ「モースの
碑は見たことがない」「以前は、弁天小僧菊之助の大きな像があったはずだが…」と言われ た。
春隣江の島無宿菊之助 ひでを
モースの碑の辺りが、江ノ島観光の起点となる。すぐに洞窟風呂で有名な岩本楼の前を通
る。なだらかな上り坂が続く。江島神社には「寄らで過ぐる」。
〈エスカー〉という有料のエスカレーターがあり、四名は乗る。筆者とゆきこさんは、遠慮した。
急な石段もあったが、終点の展望灯台には徒歩組の方が先に着いて出迎えた。
江の島や若きふたりの暮早し 映子
近くの茶店でコーヒーや甘酒を飲み、先の計画を話し合う。「どっちみち下るんだから…」と、
島を一周することにした。
海を望める場所は、御岩屋道通りの途中にある〈山二つ〉という谷間と西端の稚児ヶ淵。あい
にくの曇天で視界はよくない。波は穏やかである。
師の背の小さく見ゆる冬の海 映子
冬の海里恋しさは一遍と よろこぶ
富士山はおろか、茅ヶ崎、鎌倉も見えない。かろうじて江の島マリンランドが見えた。
船の帆に色多くして冬の海 ゆきこ
おぼろなる水平線に春を見る 風天子
稚児ヶ淵の近くに芭蕉翁の句碑があった。達筆なのと、碑石の風化とで読みにくい。
疑ふな潮の花も浦の春 芭蕉
また小休止をして、あとはだらだら坂を一気に下った。藪の中で鵯がしきりに鳴いている。
息白し坂の下りの鵯の声 よろこぶ
そのよろこぶさんが、再び江ノ電の駅に向かう弁天橋で大きな声を上げた。
「おお、今日は家からここまで一万五千歩も歩いたぞ」
江ノ島や万歩超えたる寒遊行 壯治
句会は鎌倉へ出て、昨年の初吟行と同じ居食屋〈灯り〉で。カキフライ、コロッケ、たこのから
揚げなどの揚げ物や煮物、サラダで酒も大いに進んだ。
江の島に半日遊ぶ冬ぬくし 風天子
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