水元公園吟行記 二〇〇八年九月十七日(水)    一二三壯治記


花、あふれる
 水元公園は、総面積八六ヘクタールを超える広大な都立公園である。東西に、タツノオトシゴ
が尾を後ろに丸めたような形をし、背中に当たる北側を江戸川が流れている。尾の辺りの出
入口がJRと京成の金町駅に近く、初夏には花菖蒲が咲いて大いににぎわう。
 初秋の今は、タツノオトシゴの口に当たる〈かわせみの里〉側から入るのがよい。藤袴、薄、
曼珠沙華などが咲く。秋雨と台風の報が気になるなか、残暑の半日を過ごす。

  吟行の日ばかり晴れて木の実落つ  ひでを

 〈かわせみの里〉には係員が待機しており、時間によって周辺の説明に同行してくれる。
「藤袴がきれいに咲いてます。葉っぱは桜の葉に似た匂いがします」と、係の青年は言う。茎
がぴんと伸びて、それだけで植物にとってはよい環境らしいと感じる。

  藤袴花の盛りと云はれても    舞九

 舞九さんは以前にも水元公園を訪れたことがあったが、こちら側は未踏だと言われた。事前
に、公園の情報をたくさん提供してくださった。

  曼珠沙華茎の青々してをりぬ     かつら

 桂さんは約一時間遅れて合流した。携帯電話で位置を伝えながらさまよう間、紅白の曼珠沙
華を無数見つけたと喜んでいた。

  秋暑しだあれも居ないキャンプ場   夢

 夢さんは、かつて愛犬を連れて車で何度も公園を訪れたとのこと。一昨年、愛犬を失い、寂
しさを感じながら思い出に浸るところもあるのだろう。「キャンプ場」と呼んだのは、きっと犬を走
らせもしたと思われる、タツノオトシゴの頭に当たる十ヘクタールの〈中央広場〉のことである。

  漂泊の旅を気どりて花野ゆく      建一郎

 建一郎さんの詠むように園内は変化に富んでいて、一ヵ所で「漂泊の旅」を感じることができ
る。

鳥、たわむれる
「俳句は花鳥諷詠」と説いたのは、写生俳句の主唱者・高浜虚子である。吟行は、その実践の
場とも言える。
ひでを宗匠は、この日「吟行を詠むのではなく、吟行で詠むのが理想」と言われた。さて、どこ
まで水元公園〈で〉詠むことができるだろうか。
 
  葛飾のむかしを思ふ水の秋       ひでを

「葛飾」は、かつて下総の国府だった。万葉集には、「勝鹿」の文字で伝わる。歌枕にあるの
は、かつて吟行で訪れたことのある市川市「真間」である。
 この辺りは利根川の治水事業によって、幾度も地形と風景を変えてきたらしい。江戸川も元
は新利根川と呼ばれ、利根川の水が引かれた。ちなみに現在の利根川、江戸川、隅田川は、
すべて昔の大利根川を源流に持つ。

  穴ハチス花より枯れる人の常      かつら

  蓮池や風立ち騒ぐひとところ       夢

 公園内には、江戸川の水を引いた池や堀がいくつもある。蓮池の蓮は、盛りを過ぎていた。
 一方、俄然にぎやかになったのは水鳥たちである。鴨や鵜、鶺鴒などが遊んでいる。

  秋高し鳥観察のひとりをり          映子

 合流の瀬音慕ひて鳥渡る           壯治

 〈バードサンクチュアリ〉には、木の壁に窓の開いた観察舎が設けられている。奇妙な声を上
げる川鵜が、私たちの人気者になった。

  うがひする如き笑ひや秋川鵜        木の葉

 和歌では、花も鳥も「もののあはれ」を誘う対象だった。俳諧でも「おもしろうてやがて悲しい」
ものと言えるかもしれない。

風、さそう
 「風流」という言葉の語源はなんだろうか。「風流を解する」のは、そのかみ人として讃仰に値
することだった。まさか季節ごとの風の流れ・方向・強弱などを感受できる心だけではなかろ
う。
芭蕉翁はみずからを「風狂の徒」とも「風羅坊」とも称した。風に身を任せるのが「風流」の始め
だったようだ。はかない身を悟り、「もののあはれ」に目覚めるということか。

  風任せあけびがひとつ吹かれをり        映子

 風に身(実)を任せるのは、人間ばかりではないらしい。
 タツノオトシゴ(水元公園の形)の頬と首の辺りは、高さ二十メートルものポプラ並木が続く。公
園のシンボルでもあるらしい。上風(うわかぜ)は並木に吸収されるようだ。

  秋風をなだめて並木どこまでも         壯治

 後頭部の辺りには、メタセコイアの森もある。「生きている化石」の名で知られる。

  千古なるメタセコイアに秋陽さす        建一郎

 風も光も、メタセコイアの前では若々しい。人はもっと幼い。残暑に炒られて喉が渇き、「生ビ
ールだ」「かき氷がいい」と騒々しい声が上る。
 公園の背中に当たる〈涼亭〉に着いた。ちょうど凹形の底に位置し、両サイドが奥深い水景と
なる。

  水澄むや風のぬけゆく茶屋にをり      木の葉

「風流」の時間は終わり、飲み食いと世間話に座を譲ることとなった。
 その後、オトシゴの手に当たる釣堀を左に見て、水元公園バス停から京成金町駅に出る。句
会場は上野で探す計画である。二両ほどの京成電車には、柴又ゆかりの「フーテンの寅さん」
の写真がプリントされている。

  寅さんも乗りし電車や月見草          舞九

寅さんもまた、風任せの人生だった。
 上野に着く。不忍池を眺めながら、かつて句会を催した「パークサイドホテル」の裏に入る。ひ
でを宗匠が来たことがあるという〈上野市場・宴(えん)〉に入る。
 梁や柱に古民家の面影を残す二階席に通された。あらためて生ビールや酎ハイ、熱燗と思
い思いの酒を酌み交わす。肴では、秋刀魚の刺身が美味しかった。句廻しと宗匠のご講評も、
談論風発の感があって楽しかった。
 思い出していただきたい。「吟行を詠むのではなく、吟行で詠むのだ」という言葉を。ひでを宗
匠の次の一句は、さて何に触発されたのだろうか。

  ドラキュラの歯形の残るりんごかな       ひでを








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