高麗(埼玉県日高市)周辺吟行記
二〇〇八年十一月十九日(水) 一二三壯治記
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特急列車で高麗の里へ
今回の吟行は、橋本有史さんのご尽力で大いに盛り上がった。不案内な土地を下見してくだ
さり、スケジューリングから句会場の情報収集まで痒いところに手の届くようなサポートをいた だいた。
池袋から飯能まで、西武池袋線の特急列車(八六〇円)に乗ることを提案されたのも有史さん
である。それで参加者がたちまち増えた。車中では四人掛けの席を横二列独占し、八名が弁 当を食べ食べ喋る時間を楽しめた。約四十分で飯能に出れば、目的の高麗駅までは十分余り だ。
当の有史さんとは飯能で、さらに舞九さんとは高麗駅で合流。計十名、まず曼珠沙華の群生
地として名高い巾着田に向かう。もう花期はとうに過ぎ、茎も取れ、葉だけが寂しく残る。
シャリシャリと枯葉けちらし巾着田 木の葉
巾着田の名は、高麗川がちょうど巾着袋のように大きく膨らんで流れている地形から付いた
らしい。「田」と言いながら実際に耕作をしている面積は狭く、農道のガードレールを稲架代わり にしているのが味気ない。曼珠沙華は休耕田に植えられている。
高麗川の水を入れて動かす水車小屋がある。水車は外され、晩秋の日に干されていた。
水車の輪外して干すも高麗の里 ひでを
この巾着田、どうも人工的に流れを変えた気配がある。七世紀後半、国滅びて日本に逃れ
た高句麗の人々は、すでに風水学の知識を持っており、時の(七一六年)朝廷から拝領したこ の土地を風水に基づいて小さなナラ(朝鮮語で都の意)にしようとしたのではないか。巾着田 は、農民の集落跡のように見える。
小さき瀬小さき姿の冬の芹 かおる
末枯に小さき日溜りありにけり ゆきこ
今は〈巾着田曼珠沙華公園〉となり、細流に潤う草花や樹木にとってのナラとなっている。珍
しい植物も見かけた。久々にご参加のゆきこさんが、一つ一つ教えてくれた。
帚木や紫式部や千年紀 壯治
季語で言えば帚木は夏、紫式部は秋だが、『源氏物語』千年紀に免じて許していただこう。千
年前の平安時代になれば、高句麗人もよほどこの地に慣れたことだろう。
黄葉のひかりこぼるる高麗郡(ごおり) 久仁
世を照らす光は、もはや渡来人の信仰する神ではなく、仏に変わってしまった。祖先の霊を
守って、隠れるように暮らしていたのかもしれない。
鳥渡る時空の果てに高麗の郷 建一郎
中国起源の思想では、鳥は「自由」と「死」のシンボルとされる。
巾着田の外れに小さな牧場があり、馬を放牧していた。「驢馬(ろば)だ」「騾馬(らば)じゃない
か」「いや、義経が乗ってたような日本馬だろう」などと、みな口々に勝手な意見を言う。牧童の 姿が見えたが、特に説明してくれる様子もない。いずれ農耕馬の子孫だろうと、想像して立ち 去る。
秋の里脚の短き馬のをり かおる
タクシーで高麗神社へ
時計は午後三時に近い。日のある間に高麗神社へ移動しようと、タクシーを三台呼んだ。ほ
んの七、八分で着く。
冬紅葉まづ高麗王に詣でけり 久仁
高麗神社の祭神は、高麗王若光(じゃっこう)。日本に検非違使(けびいし)の制、すなわち司
法制度を伝えた人と言われる。それにあやかってか、司法の長にとどまらず政治家、実業家、 芸術家などの記念植樹が無数に並ぶ。皇室、韓王室からの献木もあった。
李王妃の献木高し暮るる秋 有史
若光の子孫が、代々神社の宮司を務める。現在は六十代に当たる。朝鮮との交流史を知る
史跡として、今も韓国からの参拝客が多いと聞く。
ハングルの絵馬を見てゐる小春かな 舞九
ヨン様ことペ・ヨンジュンが主演した『太王四神記』 (NHKで放映)は、高句麗最盛期の英雄を
描いた歴史ファンタジーだった。神社と裏にある高麗家住宅を拝しながら、高句麗の盛衰に思 いを馳せた。
高麗人(こまびと)の王家代々蔦紅葉 壯治
神社の西側にある聖天院は、若光の三子で仏僧となった聖雲が七五一年に創建した。こち
らも法灯五十世と長く、山門の傍らには若光の供養塔がある。社寺共に桜、つつじ、楓などの 紅葉や冬木に覆われていた。
小高い山の麓とあって日暮れが早い。再びタクシーを呼び、高麗駅に戻る。その間、冬夕焼
が空の色を変えていく。駅前に立つ巨大な「将軍標」二体も、いよいよ恐ろしげである。
渡来人名残の像(ポール)秋の高麗 有史
冬夕焼外国(とつくに)しのぶシルエット 風天子
落日に、見てきたばかりの高麗王家の衰亡史が重なる。「外国(とつくに)」の歴史と言いなが
ら、栄枯盛衰は世の習い。詩には「詠史」というカテゴリーもある。
冬帽子長身のひと丘に立つ 建一郎
「長身のひと」とは、どこの王だろう。われらがセミの王か。
柚子たわわ高麗王といふ地酒買ふ 舞九
送迎バスで句会場へ
飯能駅には五時過ぎに着く。高麗駅から予約を入れた〈清河園〉の送迎バスが駅まで迎えに
来た。五分ほどで名栗川畔の料亭に運ばれる。
建物の外観は瀟洒とモダンを融合させた印象、通された座敷は木調を生かした和の雰囲気が
色濃い。奥の窓は障子が開かれ、ライトアップした桜の冬木を堪能できる。名栗川の流れは闇 に隠れている。
句会はいつもの句廻し。
草踏みし女(ひと)にままこのしりぬぐひ 木の葉
帰路、高麗駅付近で野の花を摘むゆきこさんを詠んだ。「ままこのしりぬぐひ」という珍しい野
草が、席をめぐって披露された。
芋がらの干されてゐるや里の道 ゆきこ
そのゆきこさんは、「芋がら」に何か料理を思い浮かべたのかもしれない。ご本人のために宣
伝しておくが、器と料理の本・第二弾を近々出すらしい。
清河園の料理は、蜻蛉膳(四千円)を選んだ。八寸やお作りに、金沢の名物料理「治部煮」が
付いた。他に「ほやの和え物」などを追加で頼んだ。料理が旨ければ、酒もまた。
飯能の夜や酒うまき秋深む 風天子
晩秋・初冬の午後の日に追われた吟行も、かくして終わる。留め句は、ひでを宗匠に。
裸木のライトアップや名栗川 ひでを
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