鎌倉寒中吟行記 二〇〇八年一月十六日(水)    一二三壯治記 


古寺巡詠

 初めの計画では、鎌倉からひでを宗匠の山荘がある秋谷に移動し、海辺の〈バーDОN〉で
句会を行うはずだった。それが、折り悪しくバーの改装工事とぶつかり、鎌倉だけの吟行となっ
た。
関八州めぐりと言いながら、鎌倉を吟行するのは初めてである。
「いざ鎌倉」という言葉は、謡曲『鉢(はち)木(のき)』に由来する。ふだんは平穏に暮らしていて
も、御家の大事には一番に馳せ参じる鎌倉武士の心意気が描かれている。手塩にかけた鉢
の木を次々に燃やして主をもてなす常世の姿がいい。
かつてはそんな忠義一徹の坂東武者に支えられていた古都も、五山と呼ばれる禅寺などの古
刹に往時の面影を偲ぶほかない。JR横須賀線北鎌倉駅から、古寺の多いコースをたどる。

  鎌倉の古刹めぐりや小正月  よろこぶ

 初めに拝観したのは東慶寺。駆け込み寺としてつとに名高い。執権北条時宗の夫人・覚山
尼が開創した尼寺である。
山(松ヶ岡)の斜面に沿って建ち、山門をくぐると乾びた梅の枝と蕾が寒気に堪えている。ひとき
わ目映いのは蝋梅。そのふもとを万両の朱色が照らす。手入れの行き届いた庭が、禅精神と
尼さんたちの心映えを感じさせる。
 尼寺なので、ここは敬意を表して女性三人の連詠を奉納したい。

  万両の紅の実哀し東慶寺   かおる

  蝋梅の香をくぐりゆき寺に入る   ゆきこ

  身の内(なか)にらふばいの香の満ちてをり  木の葉

「尼寺へ行け」というのは、ハムレットがオフェーリアに投げつける悪罵だったか。こう静かで心
が落ち着くなら、ハムレットこそウジウジ悩んでないで女装してでも「尼寺へ行け」だ。どうみて
も、男として常世とは対極にある。
 昔はいっさい男子禁制だったらしいが、今では寺男がおり早梅の枝を手入れしていた。大男
ながら、ごく自然な態度でゆきこさんに小枝をくれた。台詞もハムレットよりいい。
「箸置きにでもどうぞ…明日になれば、花が開きますよ」

  寒梅の小枝を呉れし寺男   壯治

 仏教諸宗のうちでも、禅宗は鎌倉時代に開花した。同時期に隆盛した念仏を唱えれば極楽
往生できるという浄土系の易行道(簡単な念仏行を主とする)に対して難行道といい、あくまでス
トイックな座禅による悟りをめざす。それが武士の精神修養や鍛錬にもなったらしい。
 禅の精神は、むしろ宗教の形式を離れて芸能・芸術に昇華された。俳句もまたその精華の
一つで、こうして禅寺を歩いているだけでも俳句のインスピレーションが得られる。
 次に、五山第四位〈金宝山浄智寺〉を訪ねる。楼門や仏殿が新しく、東慶寺同様、後に丘を
背負っている。ほとんど墓地だ。竹や杉が多く、その隙間に咲く寒椿が鮮やかである。

  古寺に風少しあり寒椿   建一郎

 浄智寺の脇道を行くと、そのまま山越えになる。三、四十分も息弾ませて上り、下ることにな
るのだが、その行程は後で語ることにし、古刹めぐりだけで一章まとめよう。
最後は、山越えしてたどり着いた海蔵寺。その名のとおり、水にゆかりがある。大きな池には
満々と水をたたえ、庭のそこかしこにちょろちょろと流れる水の気配がある。
裏には〈十六の井〉という名水跡が残る。崖下にぽっかりと大きな洞が空いているだけだった。
本堂脇の祠の上からも水がたつたつと滴り落ちる。命潤す普遍的な力を感じた。

  寒の水ゆたかにありて海蔵寺  ひでを

山坂越えて、谷(やつ)過ぎて

 鎌倉は谷が多い。昔から「やつ」と呼ばれる。丹沢山地から流れて来た川が、扇状地の「谷
戸(やと)」をいくつも形成したのだろう。「扇谷(おうぎがやつ)」がその代表である。
 源氏山を越えて、扇谷付近から鎌倉駅へ出ることにした。上りの切通しは、いかにも杣道と
いった風情で、細く曲がりくねっている。その路傍にも寒椿が咲き、鮮やかな赤い花が眼から
脳髄を刺激する。

  源氏山寒の椿のこれにあり   ゆきこ

 源氏山という地名は新しい印象を受ける。昔は、山上の原野地が「葛原」と呼ばれた。そこか
ら東側の扇谷に下る坂が「化粧坂(けわいざか)」である。立て札には「仮粧坂」と書かれてい
る。

  仮粧坂ブーツで降りる寒の内   かおる

『太平記』では、鎌倉幕府への謀反人の一人とされた藤原俊基が処刑される場所として知られ
る。その家来、後藤左衛門尉助光が忠誠心を見せる場面は聞き所の一つだ。
そういういわく因縁の多い場所を訪ねると、決まって語り部が近寄ってくる。この日も、六十格
好の男が源氏山の碑の解説から始まり、セミの会のメンバーが着くたびに様々な知恵を授け
てくれる。きっと地霊でも取り憑いているのだろう。
 この男、ゆったりと歩くひでを宗匠をどうも親玉らしいとにらみ、「ご案内しましょうか」と申し出
る。そのとき宗匠少しも慌てず、「いや、ご迷惑ですから」と丁重に断わった。
「ああいうのは、名所旧跡に行くとよくいるんだ」と、いたずらっぽい口ぶりが面白かった。

  鎌倉や寒椿咲く谷いくつ    ひでを

「いくつ」などと言うと、その声を聞きつけて、また知ったかぶりの魔物が二枚の舌を見せなが
ら近づいてくる。

  鎌倉や谷(やつ)ここのつの冬館  壯治

冬日に染まる由比ヶ浜

 仮粧坂、扇谷から鎌倉駅までは、横須賀線沿いに細くうねった道が続く。夕日には少し早い
が、江ノ電に乗って「由比ガ浜」に出ることにした。
 由比ヶ浜という名前がいい。地名辞典によると、昔の組合組織「結(ゆい)」に由来するという。
浜風に「ゆり上げられる」とする説も。二枚舌の語り部なら、「昔は浜木綿が群生していたので、
木綿ヶ浜から由比ヶ浜に…」としゃれた説を出したいところ。
 そこへ、浜風に靡くように東野礼子さんが到着。一人でもよく訪れる大好きな鎌倉なので、遅
れてもやってきたのだとおっしゃる。

  鳶鳴くといへど一羽や冬の浜  礼子

 しばらく全員で浜をそぞろ歩く。波は穏やかで、磯目を捕る漁師がいる。稲村ケ崎のほうに日
は傾いてきた。

  前山は眠つてゐるらし由比ヶ浜   よろこぶ

 思えばまだ寒の内である。浜辺に面したカフェで温かいものを飲みながら、冬夕日を眺める
ことにした。

  由比ヶ浜カフェに毛布の帽子売る   木の葉

 カフェに他の客はない。窓際に陣取って夕日を待つ者、ストーブの近くで雑談にふける者、苦
吟する者と、メンバー思い思いの夕暮れ時。しかし、秋谷の〈バーDON〉からの落暉には遠く
及ばない。少し残念な気持ちを抱きつつ、薄暮の空の下ぞろぞろ句会場に移動する。

  冬夕焼鎌倉街道三絃商   建一郎

 句会場は、鎌倉駅近くの居食屋〈灯り〉を宗匠が予約してくださった。潮風を嗅いできた後の
海の幸は格別である。居酒屋でなく、食にこだわる「居食屋」の面目躍如。

  ハワイアン聴きつペンとる初句会   礼子





 
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