横浜吟行記 二〇〇九年九月十六日(水) 一二三壯治記

山手〈三渓園〉に遊ぶ 

 横浜開港百五十周年だという。〈みなとみらい〉エリアでは記念イベントも行われているが、俳
句には不向きと考えてプランから外した。そうでなくても横浜市は日本第二の大都市、一日で
歩き尽せるものではない。予め散策コースを狭め、山手エリアの〈三渓園〉で句材を拾うことに
した。
 三渓園は、明治期に生糸貿易で財を成した実業家・原富太郎(三渓)の元邸宅である。面積
は、東京ドームが四つ収まるほど。北東隅の正門を入ると、すぐに大池と蓮池に挟まれた径が
続く。大池は園内の五分の一ほどを占め、池に面する西と南には新築、移築された多様な和
建築の遺産が集まる。西側を内苑、南側を外苑と呼ぶらしい。

   萩散つて池の面は動かざる      ひでを

 新築(当時)の代表は三渓の隠居所だった数寄屋風建築の「白雲邸」、同じく茶室の「金毛窟」
など。移築は数が多く、聖武天皇ゆかりの「旧燈明寺三重塔」「同本堂」、豊臣秀吉が実母の
ために建てた「旧天瑞寺寿塔覆堂」、岐阜県白川郷の庄屋の家だった「旧矢箆原家住宅」な
ど。
 それらの建物や池の周りにはさまざまな植物が配され、あちこちで庭師たちが働いていた。

  秋日和三渓耳庵の茶会かな      建一郎

  秋の蚊を遣りて精出す庭師たち    凡天

 園内は、すでに初秋の気に支配されている。千草が台風一過の陽光を浴びて目映い。

  やはらかな光の筋の水引草       かおる

  雲流る流るる果てに秋の色       風天子

 ここに至るまで参加者の集合時刻に時間差ができ、ひでを宗匠、風天子さん、建一郎さん、
かおるさんは先に入園している。最近、JR各線で事故が頻発し、この日も二人が影響を受け
た。その「遅れ」を詠み込んだ夢さんの句が秀逸である。

  蓮の実の飛ぶにも遅速ありにけり    夢

「遅速」と言えば、すぐに蕪村の〈二もとの梅に遅速を愛す哉〉を思い出す。移ろう季節の中で
「遅速」はあらゆる景物の上に生じる。〈もののあはれ〉に敏感な俳人は、少なからず心を動か
されるところかもしれない。

  結界は我が裡に在り曼珠沙華      道子

 さらに遅れて到着したのは道子さん。「結界」とは、浮世のさまざまなしがらみのことだろう
か。
 これも移築した数寄屋造りの別荘建築に「臨春閣」がある。狩野派の絵襖や障子は開け放
たれ、風が流れている。その軒や障子には水陽炎が映り、時のたゆたいを感じた。

  すすきの穂みづかげろうと揺れながら  壯治

 その後も、メンバーは先発隊と後発隊が「遅速」の関係を保ったまま、二組に分かれて園を
出た。

開港百五十年の遺跡

 後発隊は三渓園前からバスに乗り、本牧回りで山下町に向かう。バス停までの道すがら、
家々の庭から百日紅が湧き出ているのを見た。

  この街にいよよのびやか百日紅    凡天

 百日も咲く百日紅に「遅速」は無縁のようだ。秋の蝶が「遅」を楽しむように飛んでいる。

  たまさかの陽に出て遊ぶ秋の蝶    夢

 先発隊は、そのころすでに〈港の見える丘公園〉に達していた。周辺を開発したのは、明治期
に来日した欧米人である。フランス山、イギリス館などにその名残があり、欧米近代文明の遺
跡や顕彰碑も数多く残る。
 思うに歴史上、明治の日本人ほど文明的な「遅速」を意識した日本人はなかったのではない
だろうか。

  秋の午後十番館の紅茶の香       建一郎

 山手十番館は、そろそろイギリス人がアフタヌーンティーを楽しむ時刻。スコーンを添えた「紅
茶」が馥郁と香っていることだろう。横浜の地で「紅茶」と言えば、かつてはインドも植民地支配
した大英帝国の歴史まで思わずにいられない。当時、文明的な「速」の急先鋒がイギリスだっ
た。
 それから百五十年、日本は文明的な「遅速」をよく調和させながら近代国家になった。

  異人館窓に映りし鱗雲          道子

 外人墓地に行く。墓石は諸方(一説によると母港の方)を向き、白い彼岸花が墓守のように寄
り添っている。

 異人墓地クルスに添ひて彼岸花     かおる

山下公園の方へ下る。見慣れた氷川丸、対岸は倉庫や工場群。左手のみなとみらい側には
観覧車。犬を連れた家族よりも恋人たちが似合う。かおるさんが笑顔で「若いころ、旦那とデー
トしたのよ」と漏らした。つられて、筆者も甘酸っぱい思い出をしゃべってしまった。

  秋麗のデートを問はず語りかな      壯治

 後発隊は、その後〈グランドホテル〉のラウンジでビールを一杯飲む。そこもまた、それぞれ
に思い出深い場所のようだった。

中華街を歩けば

 宗匠を含めた先発の三氏とは、中華街の〈楽園〉で待ち合わせることにした。「中華大通りの
赤門(善隣門)そば」と伝えていたが、それが混乱の因になった。どうやら中華街には「赤門」が
いくつかあるらしい。三氏は南側の朱雀門を目指して歩いてしまい、大きく逸れることになっ
た。

  中華街迷ひて歩くも秋夕焼      ひでを

 俳句では、ハプニングも格好の材料になる。朱雀門近くには〈媽(マー)祖(ソ)廟〉があり、商売
繁盛の神様として中国らしい赤黄緑を多用した満艦飾の廟に祀られている。もの慣れた三氏
は「これも奇縁」と、参拝されたようである。

  つるべ落し商売神へお賽銭       建一郎

 結局「遅速」の関係は逆転し、三氏は後発隊に遅れること十分ほどで〈楽園〉に到着。すぐに
紹興酒の「カンペイ」で歓待を受けた。

  今日暮れてよき日よき友秋日和     風天子

〈楽園〉は、横浜市内に事務所を構える同人の亀井よろこぶさん(ご本人は欠席)からご紹介い
ただいた。最上のコース料理を人数より少なめに頼み、全員で回し食べる。次々に運ばれる
大皿料理がぺろりぺろりと平らげられていく。
 会食句会から参加されたのは、同じく横浜市内にある鶴見大学で教鞭を取る吉村桂さん。
「遅速」の「遅」もここに極まった。

  秋の蝉ゆく前に腹陽に温め        桂

 八宝菜、包子数種、えびチリソース、豚肉甘酢あんかけ、チャーハンなど、なじみ深い中華料
理を味わうのに気を取られて、とても句廻しどころではない。会計(各約五千円)を済ませ、大通
りを挟んで対面(トイメン)の〈聘珍茶寮〉で茶菓を味わいながらゆったりと句廻しを始める。

  青栗や新規首相の生れし日        桂

 民主党鳩山由紀夫内閣が成立したニュースを遠くに聞いて、横浜の夜を満喫した。





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