滝山城址公園・多摩川原吟行記 2007年5月16日(水) 一二三壯治記


城址初夏

 八王子の滝山城址公園では、この三、四年花見の宴を催している。「違う季節にも訪れた
い」と言い出したのは、誰であったか。察するに、桜花の美しさから、濃い青葉の茂りを想像し
てのことだったのだろう。ひでを宗匠をはじめ、何人もの会員がそれに賛同して今回の吟行と
なった。

  葉ずれの音まずはきき入る城址かな  ゆきこ

 ゆきこさんは滝山城址によく足を運び、夏の山百合、秋の紅葉も堪能している。「四季折々に
楽しめるのよ」と言うのを何度か聞かされたことがある。発案者はこの人かもしれない。

  葉の数をかぞへて白つめ草に座す  木の葉

 木の葉さんは、ある年の花見の宴で馬頭琴を奏し、興趣に彩りを添えた。ここを訪れる度に
「あの宴は…」と懐かしく思い出され、いまだに美しい記憶を運んでくれる。

  城跡へ若葉がくれの小径かな   夢

 夢さんも、ほぼ毎年この地を訪れている。「同じ径を歩いているのに、なんだか違った印象を
受けるものね」と、感じ入った様子。そんな女性陣の意見が一致してこそ事は実現する。男性
陣は、愉しみの雰囲気の中におずおずと交わるに過ぎない。 

   夏草の風にのりくる人の声   ひでを

  木立より見て古戦場夏めけり   建一郎

  見るかぎり音の波立つ若葉かな  壯治

呑めば浄土
 缶ビールを開けて、草上の昼食は始まる。場所はいつもの台状の土手。見下ろせば、荒々と
した夏草と青葉若葉の世界が広がっている。 

  時折は風の尾に触れ姫女苑   夢

 木々の間から、さわやかな風に乗って鳥のさえずりが聴こえる。「今は愛鳥週間だってね」と
言われたのは建一郎さんである。

  愛鳥日老鶯の鳴くお山かな   建一郎

  大瑠璃の聲すき透る若葉風   ゆきこ

 酒が入れば、話は俳句と無縁のゴシップに転じ、さまざまに盛り上がる。人をからかうことほ
ど、旨い酒の肴はないのかもしれない。私自身が「まな板の鯉」なので、ここに状況を詳しく述
べるのは差し控え、代わりに一句を掲げてあとは想像に任せたい。

  愛鳥日愛妻の夫嗤(わら)はるる   壯治 
 
 花見酒というのはあるが、観緑酒は聞かない。が、酔眼に映ればみな浄土の美しさになり、
句に結ばれないものはないように思う。

  木もれ日の色のさやかさこあじさい  木の葉

ほのかに酔った足で、本丸跡へ移動する。少しずつ酔いも覚めていく。

  城址や泰山木の崩ゆる見ゆ   ひでを

足の向くまま
 滝山城址のある公園は、正式には都立滝山自然公園という。地図を見ると、北東に鳥が翼
を広げた形をしていて、その両翼の幅が千二百メートルほどある。鳥の尾に当たる南端の滝
山街道沿い入口までは、いつもJR八王寺駅前からタクシーに乗るので、北側がどうなっている
のかわからない。城の守りとして、多摩川を自然の壕としているのだけは見て取れる。ひでを
宗匠の提案で、この日は本丸跡から北側の出口を下ることにした。しばらく道の左右に竹林が
続く。遅い山吹や山つつじなども見られた。
 小さな集落が開けてきた。五、六軒の農家が、肩を寄せ合うように暮らしている。就学前と見
える女童が三人遊んでいた。こちらを見て、無表情に「こんにちは」と言った。弾みでこちらも返
した。

  あいさつのよき童(こ)らに逢ふ竹の秋  壯治

 親の言いつけに従って覚えたような挨拶が、なんとなく頼りなげだった。挨拶は、人と人との
出会いや付き合いに欠かせない。俳句にも挨拶句がある。挨拶の上手さが、人の世をスムー
スに往来するパスポートなのだろう。

  平仮名のやうな付き合ひ橡の花   夢

 女童たちは、もう〈平仮名〉を知っているだろうか。どうも「こんにちは」の意味は知らない印象
を受けた。
 さらに歩を進めると、代掻きを待つ田やビニールハウスなどの点在する平地に出た。用水路
は乾いたままである。場違いなくらい車が入ってくるのは、どうやら二つの幹線道をつなぐ抜け
道らしい。むしろ畦道の方が安全なくらいで、足は自然と車が入れない方へ向かう。
 一反ほどの小さな麦畑があった。若草の野道で、そこだけが黄金色に輝いていた。 

  麦の秋アングル低き小津映画  建一郎

 『麦秋』という小津作品を踏まえている。正座で暮らす日本の伝統に根ざした〈アングル低き〉
技法だったのだろう。俳句も、小津映画のように、また童のように低いアングルから物を見、触
れるべきものかもしれない。

  麦秋のその一粒を噛みてみる   ひでを

 晩春とも初夏とも言える季節の中にあって、竹と麦だけは秋である。

多摩川原にて
 「多摩川 海から48キロ」の立札を目当てに川原へ向かう。径の入口で、夫婦らしき男女に
コースを確かめて分け入った。葦の葉が足元を覆い隠す。かすかに葦切(行々子)の声が聞こ
える。
 道が大きく曲る角に、ニセアカシアの木があった。白い花を垂らし、ほのかに香る。

  アカシアはラテン語白き花の房  木の葉

 「アカシアはラテン語だ。明治時代に輸入されたニセアカシアのことを、当時アカシアと言って
いたことから、現在でも混同されることが多いんだ」と、説明されたのはひでを宗匠である。和
名「針槐(はりえんじゅ)」より、「アカシア」の名が通用しているのは案外、西田佐知子の歌の影
響かもしれない。

  行き行きて河原にかほる野茨かな  ゆきこ

 川原は荒れ地と耕地が混在する。耕作をしながらキャンプするホームレスもいた。道端に大
藪春彦の文庫本が捨ててあり、宗匠が取り上げて興味深げに眺める。ホームレス氏が読んだ
ものか。ハードボイルドというより、探偵小説のシーンのようだ。
 ようやく川岸に着く。大きな柳の木の葉が水面に接していた。ここでも宗匠は、冒険心を発揮
して木の股に足を掛けて登ろうと試みる。女性たちは頻りに制止したが聞かない。巨体はつい
に、七、八十センチの高さに座を占めてしまった。

  箱柳登りていまもハック・フィン   木の葉

 〈ハック・フィン〉は「ハックルベリーフィン」のことで、トム・ソーヤと共にアメリカの作家マーク・
トウェインが創り出した冒険少年である。真似をするには、少々齢の開きが大きい。
 ところで、〈箱柳〉は違うかもしれない。筆者が当てずっぽうを言い、それに夢さんが「違ってて
もいいわよ。ハコヤナギという響きがステキだから…」と賛同してくれた。なんとも大らかな会で
ある。

  はこやなぎ水漬くあたりの行々子 夢

 日は西に傾きかけている。川原から広い道路に出て、高月町という地名を確認する。帰り
は、バス停を探してバスを待つかタクシーを呼ぶか。

  バス待てば軍鶏の声けたたまし  ひでを

 結局バスは諦め、「高月病院前」というバス停の前までタクシーを呼んで八王子駅まで戻っ
た。句会は、三度目になる〈あじこや 離れ〉で。宗匠の講評は、場所を替えて八王子駅ビル内
のカフェで拝聴した。


★今回の吟行・利用交通機関データ 
 東京よりのアクセス情報
  JR中央線快速・高尾行  新宿駅ー八王子駅  片道経費 ¥460 所要時間 50分
 八王子駅より タクシー利用



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