大山阿夫利神社吟行記 二〇〇七年九月十九日(水) 一二三壯治記
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想に遊びながら
相州(現・神奈川県)大山の阿夫利神社には、一度詣でてみたいと思っていた。落語「大山詣
り」で知られる。
落語では、酒癖の悪い熊公が禁酒を誓わされて大山詣りの一行(講)に加えてもらったが、無
事参詣を終えて明日は江戸へ帰るという前夜、藤沢の宿でつい禁を破って大酒に及ぶ。例に よって大暴れのあげくに大いびき。さあ怒った講中、みんなで寄ってたかって約束どおり熊公 の頭を坊主に…。
…と、そんな話をしているうちに、われらセミの講中も小田急線伊勢原駅から、ローカルバスで
〈大山ケーブル駅〉に着いた。そこからケーブルカー乗り場までは、十五分ほど磴(いしざか)を
上らなければならない。
大山の磴(さか)に紅葉の二三枚 ひでを
磴の両側には名物の豆腐料理店やみやげ物屋が軒を連ねている。句会場にしたい豆腐料
理店をチェックしながら、ゆるゆるだらだらと上りきった。
ケーブルカー秋明菊の揺れてをり 木の葉
ケーブルカー〈追分駅〉の傍らに咲く白い秋明菊が、息のあえぎを鎮めてくれた。花弁が二片
しか残っていないのもあり、いとどはかなげである。
ケーブルカーは三十人乗りくらいだろうか。ひしゃげたマッチ箱のような形をしている。〈不動
前駅〉を挟み、三つ目の終点〈下社駅〉まで六分ほどの行程だ。軌道脇は岩壁が迫り、まだ緑 濃い雑木に埋もれている。〈不動前駅〉近くで、鹿の子が立ち尽くす姿を見かけた。
鹿の子見てグレゴリー・ペックすでに亡く 建一郎
ジェーン・ワイマン逝く大山に鹿の子ゐて ひでを
年代が察せられる。映画「子鹿物語」を追想しているのだろう。あらためて車中を眺めれば、
当然のようにシルバー世代が席巻している。一組、親子とは見えない微妙な年の差を感じさせ る男女が目を引いた。二人の関係を想像するほうが楽しい。
老ひらくの恋かあらぬか残る蝉 壯治
空想が妄想に変わる前に、ケーブルカーは〈下社駅〉に着いた。
神気のありどころ
阿夫利神社の祭神は、大山祀大神(オオヤマツミノカミ)ほか二神。海運、漁業、農業などの
神として信仰された。そのせいか、下社にも築地市場関係者からの寄贈物が目立つ。
境内は、ほのかに木犀が香る。神木かと思える古木が、半分立ち枯れた風情で香を放って
いたのだった。
老いてなほ木犀の香立つ神の社 ゆきこ
阿夫利神社の「あふり」は「雨降り」に由来する。山頂にある、いつも雨滴をたたえている霊木
にちなんだという。それが、水に縁のある職業の人々から信仰されるゆえんだろう。見上げる と、山頂の辺りは白い霧に包まれていた。
頂はやはり雨なりあふり山 ひでを
あふり山水引草の丈高し 木の葉
山頂の本社へは、そこからさらに一時間半の登坂となる。
「昔は、一人が代表で登ったんだ」と、ひでを宗匠が最若輩の筆者に目配せするが、ここは知
らぬ顔の半兵衛を決め込んだ。表向きには、「往復三時間じゃ豆腐料理屋が閉店します」とい うことにして。
本社参拝は次の機会に譲り、下りケーブルの時刻まで下社周辺を散策した。二重の滝から
見晴台をめざす。滑りやすい下り坂が続き、七、八分で二重の滝に到着。これでは、とても見 晴台までは行ききれない。滝音を聴き、山の気を吸って戻った。
二重滝落ちるあたりの薄紅葉 かおる
なぜ、こんなに帰りを気にするかというと、予約を入れた豆腐料理の旅館に無理を言い、閉
店時刻を一時間延ばしてもらったからである。この山中でも、美味求心を最優先するのがセミ の会らしい。
下山のケーブルカーでは、山頂まで往復したという幼稚園児の団体といっしょになった。やは
り雨に遭ったらしく、ズボンを泥まみれにした子どもが何人もいる。俄然にぎやかになった。
尻餅の泥を誇る児秋の山 凡天
風白し稚児らが声に染まるほど 壯治
句材を求めて〈不動前駅〉で下車する。大山寺が近い。天平勝宝四年(七五二)、良辯僧正の
開基と古い。本堂は狭く、その割に御守や荘厳具、絵はがきなどのみやげ売場ばかりが派手 派手しい。
庭にはオブジェめいた小さな池があった。珍しい甲斐犬がすり寄ってきて、わずかに心が和
んだ。次の下りケーブルが近づく音を聞きながら、この古寺も後にする。
秋暑し懺悔々々と女坂 建一郎
〈追分駅〉から再び磴。本社参拝を諦めた悔いも残る。あるいは、ほかにも「懺悔」したいこと
が…。
豆腐料理に舌鼓
不思議である。特に何か基準をもって判断するわけではないが、吟行での句会場(料理店)選
びにはほとんど失敗したことがない。今回も、あらあら一瞥して決めた旅館〈あさだ〉が期待以 上に旨い豆腐料理を出してくれた。
メニューの紹介を兼ねて、諸氏の名句を掲げたい。つきだしは、秋野菜の白和えに「うの
花」。だしと塩加減がよい。
白和へにりんどう添えて山の宿 かおる
くるみ豆腐、茶碗蒸し、小鍋などが続く。豆腐アラカルトとは思えない趣向の妙あり。
新豆腐空也の椀に沈みをり 凡天
秋の宿佳き餡加減空也蒸し 木の葉
締めは、零余子(むかご)飯。野趣の中にも洗練を感じた。
宵待たで坊にいただく零余子飯 ゆきこ
まだ宵の口だったので、帰路、小田急線伊勢原駅前を歩いて、いかにも場違いなカクテルバ
ーを見つけ、立ち去りがたく一日の余韻を楽しんだ。
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